王女フローレンスと魔法使いエマニュエル

 不安げに、そして困ったように、わたしをずっと見つめているフローレンスさんという女の子。なにか引っかかるような気がするけれど、その表情を見ていると、なんだかいけないことをしているような気分になって、却って焦ってしまって、混乱に拍車がかかってしまった。


 フローレンス、あたしの、友達で――。


 その言葉が一瞬出てきたけど、結局、大混乱した頭がその言葉を吹っ飛ばしてしまった。えーとえーと、とわたしが言っていると、フローレンスさんは尚のこと、困ったような顔をして、思い出したようにカーテンの後ろへ振り返り、びっくりするくらい大きな声で怒鳴った。


「エマ! エマニュエル!! 早く来なさいよ、このインチキ魔法使いが!」


「うるさいな。いや、それよりインチキとは失敬な。プリンセス、あなたのお父上とわたしは契約しているんだよ。きみとわたしは、対等。そう習っているだろう?」


 不機嫌そうにそう言いながら、薄いレースのカーテンから、もう一人やってきた。赤みがかった金髪を緩く一まとめにして、わたしの右手の指輪の石のように真っ青な瞳をした、これまた綺麗な人だった。


 ただその人は、パッと見て、男の人なのか女の人なのか、性別が全くわからなかった。男の人にしては少し華奢な気がするけれど、でも女の人にしては上背がかなり高い。

 服装は、黒い燕尾服みたいな恰好で、左手には銀色の鳥のような飾りがついた杖を持っていた。燕尾服のせいか、胸は平坦だけど、その中性的な顔は男装した麗人、っていう言葉がぴったりだった。二人が並び立つと、綺麗すぎて目玉が飛び出そうだった。


 フローレンスさんは、そのエマ? なんとかさんを、むっとした表情で見上げた。フローレンスさんは綺麗な衣装だし、腰に手をやって、胸を反らしてもどことなく気品があるのは、そうか、このエマなんとかさんの言うプリンセスだからか。わたし一人で納得していた。やっぱり最初に思ったお姫さまみたい、というのは当たっていたようだ。


「ええ、存じ上げておりますとも、エマニュエル卿? でも、わたしはあんたと契約していないし、ただ一個人として、あんたをインチキだと言っているのよ。

 見なさい、マリアがあんたの調合した毒薬のせいで、記憶が飛んじゃってるんだから」


 プリンセスというわりには、かなり大雑把な言葉遣いだけど、それを気にする様子もなくエマなんとかさんは首を傾げる。そして胸ポケットから、紫の小瓶を取り出した。それを透かし見るようにして、肩をすくめる。


「おかしいね。わたしは小瓶の四分の一を飲むように、と再三言い含めたが、このお嬢さん、半分も飲んでいる。これは保証できかねるな」


「四分の一なんて、どうやって飲めってのよ、この小さい瓶で! このままマリアの記憶が戻らなかったら、縛り首でも斬首でも好きな死に方選ばせてやるから覚悟しなさい!」


 この世界にもなん分の一、というのがあるのか。それとも勝手にわたしが異国語が喋れるように、都合のいいように、翻訳されているのかな。そんなことを考えながらも、フローレンスさんが地団駄を踏んで、飛び出てくる物騒な言葉を聞き流していた。


 怒鳴って少しすっきりしたのか、フローレンスさんはわたしに向き直ると、かがんで、わたしの顔を見つめながらわたしの右手をぎゅっと握った。手を握ってくれるフローレンスさんはレースの飾りがついた真っ白い手袋をしていて、あまり体温は伝わってこなかったが、本当に――便宜上わたしとするが――わたしが、大切みたいだった。両親以外に、そういう人がいなかったから、なんだか羨ましいのと同時に、すごく嬉しかった。


 死ぬ間際の弟の顔を思い出す。弟の宗也そうやは、わたしのことが嫌いだったんだと思う。


 小さいころ、わたしが急に発作を起こして病院に担ぎ込まれたとき、昼間でお父さんは仕事で、小さな弟を家にそのまま置いていくわけにもいかず、お母さんが一緒に連れてきたとき、あの子は泣きながら、わたしに向かってこう言った。「いつもお姉ちゃんばっかりずるい!」と。


 それを聞いたお母さんが、怒って宗也を叩いて、あの子は余計に泣いてしまった。留守番ができる年になったら、弟はわたしのお見舞いに、ほとんど来なくなった。死ぬ間際に来たこと自体、驚いた。もしかしたら、お母さんが無理やり引っ張り出してきたのかもしれない。


「おお、怖い怖い。まったく、いつも思うが君はプリンセスとは思えないよ。いっそ死刑執行人にでもなったらどうだね?」


 エマなんとかさんは、慣れ切った様子で軽口を叩きながら、もう一度肩をすくめた。そして、杖の先でこつんと床を叩いた。


「しかしプリンセス、君の仰る通り、単に今は記憶が混濁しているだけの可能性が高い。ちょっと彼女と二人きりにしてくれないかね」


「変なことしないでしょうね」


 すかさずフローレンスさんは睨んだ。


「娼館に忍び込んだ上に、妓女のふりをして標的を暗殺して、仮死性の毒を飲んでお仲間に回収してもらうような女に変なことなどしないさ。

 それに、プリンセス。あなたがいつまでも、お気に入りとはいえ侍女の部屋にいるべきではないだろう。またいらぬ噂を立てられるよ」


 エマなんとかさんは、きっぱり言い切ったが、そんなことよりも、なんだかまたとんでもワードがいくつも飛び込んできた。

 本や漫画をたくさん読んだから、勉強したことがなくても、意味くらいはわかる。だけど現実味がなかった。ただ二人の問答を聞いているだけだった。言葉が右から左へ抜けて行ってしまう。


 結局、「なにかあったら叫ぶのよ」とフローレンスさんが、離れがたそうにしつつも、その場を去った。そしてエマなんとかさんは、近くにあった椅子に腰かける。気だるげに、杖にもたれかかるようにしてわたしを見つめてきた。小瓶を見透かした時のような、わたしの中を見るような目付きに、なんだか自分の内面を見られたような気がして、気分が悪かった。


 知らないうちに顔に出してしまっていたのか、わたしのその気持ちに気づいたように、エマなんとかさんは、ふっと微笑んだ。


「おや、気を悪くしないでくれたまえ。それで、マリアの中に入った誰かさん。君は、誰だい?

 あとわたしは、エマニュエル。さん付けはいらない。だから、そろそろエマなんとかさんは止めていただきたいね」


 わたしは硬直した。


「ああ、呼びにくかったらエマでも構わんさ。マリアも、普段はわたしのことをエマと呼んでいたよ」


 にっこり微笑んで、エマ……は、言った。心の中が読めるんだろうか。やっぱり心臓が破裂するんじゃないかっていうくらい、胸がドキドキしてきた。わたしの病気は治っていなかったのかもしれない。

 綺麗で中性的な自称魔法使いの言葉に、心臓が早鐘を打つのを、わたしは止めることができなかった。

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