サイラスのお祝いと、恋

 十四刻の鐘が鳴り終えると、フローレンスは特に予定がなく部屋で読書をすると言うので、わたしは食器を片づけるために部屋を辞した。

 厨房まで食器を持っていき洗って自室へ片付け終えると、休みとはいえなにもしないのも気が引けてきた頃合いだったので、女中たちの手伝いでもしようと思いついた。住み込みで働く女中たちが住む部屋に向かった。すると、向こう側の廊下からサイラスさまが見えた。


 サイラスさまと目が合って、わたしは慌ててお辞儀をする。サイラスさまの方が目上の人だから、わたしは立ち止まってお辞儀をしなくてはいけない。それがこの国のマナーだった。


「マリア。探していたんですよ。……顔を上げなさい。いつも言ってますが、あなたに頭を下げられるのは気味が悪い」


 この人は、いつも誰に対しても敬語のようだった。その割に言い方が厳しい。毒舌家というやつなんだろうが、気味が悪いという言葉にわたしは真正面からショックを受けた。だが言われたとおり、顔を上げた。ちょっと泣きそうになって、涙を堪えた。サイラスさまはそれに気づくことなく、わたしへ近寄る。


「あなた、今日が誕生日なんでしょう。菓子職人がフローレンスさまに無理やりケーキを作るのを手伝わされたと愚痴をこぼしていたと、アランから聞きました。……あなたが作れと、姫さまに言ったわけではないですよね?」


「え!? はい、あ、いや! フローレンスさまが、内緒で、わざわざ作ってくださいました。わ……あたしを、びっくりさせたかったと仰って」


 眼鏡の奥から注がれる厳しい目線に、わたしはぶんぶんと首を横に振った。過去を見返したって、破天荒な性格とはいえ、さすがのマリアも王女さまを顎で使うことなんてしない。わたしだって考えない。


「……そうでしたか。なら、いいでしょう」


 その事の真偽を確かめに、わざわざ、わたしを探していたのか。たしかに、一国の王女さまが厨房に入るのは、国の宰相としては見過ごせなかったんだろう。もしかしたら、マリアがセンペル皇国の人間だというのもあるかもしれない。事態に納得すると、サイラスさまは踵を返した。と、思ったらすぐに振り返った。


「ああ、いけない。忘れていました。誕生日、おめでとう。ささやかですが、お祝いです」


 サイラスさまはそう言って、片手に持っている小さな紙包みをわたしに寄越した。


 サイラスさまの一挙一動が気になって、それを持っていることにまったく気づいていなかった。紙包みを受け取ると、それからは、美味しそうなお菓子の匂いがした。ああ、これはセンペル皇国のお菓子の匂いだ。今日、市場でも見かけたし、マリアの記憶にもある。


 わたしはセンペル皇国に郷愁を感じることもないが、きっとサイラスさまは、マリアの為に、わざわざ選んできてくれたんだ。マリアを羨む気持ちがないわけではない。本当のわたしのためではないから。でも、その心遣いが嬉しかった。


 やっぱり、わたしはサイラスさまに恋をしてしまったんだと思う。じゃなかったら、どうしてこんなに浮かれた気持ちになるんだろう。また、顔が赤くなった。


「あ、ありがとうございます……!」


 嬉しくて嬉しくて、顔が赤くなって、思わず笑顔で答えてしまった。サイラスさまは、目を大きく見開いた。やばい、またまずったかもしれない。浮かれた気持ちが潮が引くように消えていった。


「……気にすることはありません。たまたま、知っただけですから」


 特に言及することなく、サイラスさまは呟くようにそう言った。もう行っちゃうのかな。わたしは、どうにかして会話を繋げたいと思ってしまった。


「さ、サイラスさまは、いつお誕生日ですか!?」


 思わず口をついて出た言葉に、サイラスさまは驚いたような顔をする。それもそうだ。勢いで聞いてしまったが、サイラスさまのお誕生日はいつも舞踏会が開かれる。馬鹿なことを聞いてしまった。


「来月ですよ。灰ノ月、二十五日です」


「ら、来月、ですね。えと、あの、わかりました。わ……あたし、お返し用意します! あ、いや、あの貰っただけなのは、申し訳ないからで、ええっと、あの、なにがお好きですか?」


 こんなの、きっとマリアらしくないだろう。マリアはいつも、淡々とサイラスさまに接していたから。ほとんど感情がこもっていないような態度だった。


 でも、どうしても話をしたかった。聞きたかった。サイラスさまはなにが好きだろう。なにか、贈れないだろうか。でも嫌がられたり、断られないかと不安が襲う。わたしは上目遣いでサイラスさまを見てしまった。


「……、なら、どこか、ラーロ王国の物ではない、別の国のお菓子を持ってきてくれますか。センペル皇国のお菓子でもいいですよ。お菓子については、あまり詳しくないものですから。

 ――仕事中は、甘い物が食べたくなるんですよ」


 サイラスさまは、迷うように言葉を選ぶようにだったが、そう言ってくれた。最後は、ちょっと誤魔化すような言い方だった。この世界も、男の人は甘い物が好きというのは、あまり口にしたがらないのかな。それでも、なにより断られなくて良かったと、わたしは安堵する。


 この国のお菓子ではない、お菓子。マリアもティレル一族と言うからには、商人の端くれだったはずだ。物を売るなら、いろいろな国のお菓子くらい食べたことがあるに違いない。ラーロ王国はいつも異国の人々も店を構えている。一番美味しいやつがあるか、あとで記憶を思い出してみよう。


「ほかの国のお菓子ですね。わ、わかりました。来月、きっと持っていきますから」


 胸がドキドキする。好きな人と話すって、こんな感じなのかな。嬉しくて嬉しくて、仕方なかった。サイラスさまと会う口実も作れたし、来月、灰ノ月の二十五日。別の国のお菓子。心の中で繰り返しながら、わたしは戻ったらカレンダーに印をつけようと決めた。


「ええ、ありがとう。楽しみにしていますよ」


 またこの前みたいに優しく微笑んで、サイラスさまは踵を返して去っていった。


 わたしは、改めて面映ゆいのと、嬉しい気持ちでとにかくいっぱいになってしまって、このお菓子をとりあえず自室に置きに行こうと歩いて行った。部屋に戻って、急速に眠気を覚えた。そこまでは、覚えている。

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