第10話 社畜もなかなか悪くない

「500万か…この規模の会社にとっちゃ、下手すりゃ資本金くらいの額だな」


 おれたち三人は、黒岩社長と柏木氏に別れを告げ、事務所を出た。振り向くと、昨日は気付かなかったが、工場の煙突から煙がもくもくと出ている。


「まぁ、社長の気持ちも分からんではないな」


 おれの独り言に合わせて、伊澤支店長も言葉を足した。


 この件については話し合いの末、今後もお付き合いいただくことを条件に、本来の溶接管の値段に変更し、差額を返金することで落ち着いた。それでも黒岩特殊板金にしては400万以上の出費となる。この商品を生かすことができなければ、会社の存続にも関わるだろう。しかし黒岩社長は、その険しい道をあえて選択した。会社の未来を担う若手の成長のため、と言えるだろう。


「支店長、今回は本当にありがとうございました」


 安藤は、支店長に頭を下げる。


「今回は良かったが、毎回こううまくいくわけじゃないからな。安藤もこれからは、もっと仕事に責任を持つように。いいな」


「はい!」


 この若者からこんな覇気が出されるとは…安藤の成長を目の当たりにしたようだった。


「安藤、預かってる書類はどうする?」


 おれは支店長に気付かれないように小声で安藤に聞いた。昨日突き出してきた退職願いのことだ。このタイミングならもしや…


「…すみません、処分してください」


 安藤は微笑みながら軽く頭を下げる。どうやらこの瞬間、安藤も自分の未来を決めたようだ。おれはニッコリ笑ってうなづいた。


「何してるんだね?今日は私のおごりで飲みに行くぞ」


 おれと安藤は顔を見合わせる。暗黙のうちに『マジかよ?どうする?』とやり合っていた。支店長からの誘いは初めてだ。


「なんだ?いいだろう?今日は久しぶりに仕事に達成感を持てているんだ。飲むしかないだろう?付き合いなさい」


 もし付き合ったら、長くてうざい 説教が待っているかもしれない。考えただけでもゾッとする。


 しかし。生理的にあれほど拒絶反応を示していた伊澤支店長の顔が、不思議とこの瞬間だけはいつもよりも嫌とは感じなくなっていた。


 明日にはどうなるか分からないが、今なら悪くないかもしれない。


「安藤、行くぞ」


「…はい」


 安藤も最初は渋い顔をしいていたが、おれに促されるとまんざらでもなさそうだった。


「安藤、お前は顔にすぐ出るな。まずはそこから直していかんとな」


 伊澤支店長は、安藤にそう言って笑った。


 蝉の鳴き声が、おれたちの背中を押すようにけたたましい。


「そっかぁ、うまくいって良かったね」


 今夜も由美はおれの呼び出しに付き合ってくれた。


 酔っ払った伊澤支店長に肩を抱かれるなどしてさんざんいじり回された後、時間は11時くらいだろうか。明日も仕事を控えているのに、由美は待っててくれていた。


「由美のおかげだよ。ありがとな」


「うんうん、それは良かった。もっと感謝してくれてもいいからね~」


 由美は、心から 満足げにカクテルを飲み干した。


「でもさ…」


「ん?」


 結局おれは現場で何も言わないまま、事態だけがおれの手を離れてかって に進んでいくこととなった。おれは今回必要なかったんだろうか?


 そんな疑問を話すと、由美は大声で笑った。


「そんなことないよ。私から見たら、今回の手柄は全部裕一のもの!」


「ええ?どこが?」


「裕一は、人を見て、人を変えて、人を動かして場を整えたの。辞めたがっている部下、偏屈な上司、それに責任をなすりつけようとする客。全部言っちゃえば、裕一の敵だったでしょ?」


「敵?までいくと言い過ぎかもしれないけど…」


「敵の定義は、ここでは裕一の道を阻む者。そういう意味では、みんな敵だったでしょ?」


 言われれば。事件を起こし、おれの身にも責任問題が降りかかる状況を生み出したのは安藤。部下のフォローもせず、叱責ばかりだった伊澤支店長。そして元凶の黒岩社長・柏木氏の二人。悪い見方をすればこのような構図だったわけになる。


「そんな人たちを動かして、変えたのは?」


「…おれ?」


「その通り!」


 由美はおれの手を勢いよくと掴んだ。


「頑張ったね!裕一も成長したはずだよ!」


「おれも成長…?」


 確かにおれは、現場では何もしなかった。しかし結果的に安藤は、退職せずにこの会社での未来を選ら んだ。もしこの件がうまくいかなければ、彼を引き止めることはできなかっただろう。敵対関係だった伊澤支店長を味方につけて動かし、関係改善にもつなげることができた。黒岩特殊板金は、今後も顧客になってくれるだろう。結果だけ見れば、全て良い方向に動いている。


 それらは全て、考え方・捉え方を今までと変えたおれの言動や行動が発端になっている、と考えることができた。つまりは、人をより深く見るようになったということだろう。


「そっか…おれも成長してたのか」


 いままで8年営業という人と接する仕事をしていても、おれはうわべの営業テクニックを身につけて一人前になっていた気になっていたのかもしれない。


 人を見る。人と接する。


 そのためには、今までの価値観や考えを捨て、異なった視点も取り入れなければならない場合もあるようだ。


「由美、サンキュな。やっぱり社畜も、なかなか悪くないもんだな」


「…でしょ」


 由美の手を握り返すと、由美は急に照れたように笑った。


「そろそろ終電かな。あんま飲めなくて残念だけど、そろそろ行くか」


「今日は…もう少し飲もうよ」


 由美はそう言って、立ち上がろうとしたおれの手を離さなかった。


 この時間で『もう少し』。その意味するところは、すぐに想像がついた。


「あれ、少し顔赤くね?」


 おれは由美の頬を指でつついた。


「…バカ!」


 おれの手を由美は払いのける。その手をおれはまた掴んだ。由美の温もりがおれの手を通して伝わる。


窓から見える夜の街が、今日はやけに輝いて見えた。

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社畜もなかなか悪くない ふくろう @mayama0816

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