バレンタイン

八谷彌月

バレンタイン

「やっ、おはよう」


 自分の席でスマホを弄っているわたしに、一つ前の席の安海あずみが挨拶をしてくる。


「あきらん、今日くるの早くない? 珍しいね」


 そう、今はまだ一時間目の授業まで三十分以上ある。普段のわたしからは考えられないくらい早い。

 勿論これには理由がある。

 そしてその理由の原因をわたしは安海に指摘する。


「その紙袋、甘い匂いがする」

「え、あきらんマスクしてるのに。そんなに匂い強いかなあ」


 安海の鞄の脇にある茶色い小さな紙袋。

 彼女の言うとおり、匂いなんて届かない。

 でも今日という日を考慮すれば中身は簡単に推察できる。


「まあバレちゃあしょうがない。ほらマスク外して口開けて」


 安海は紙袋からタッパーを取り出す。

 その瞬間わたしは見逃さなかった。タッパーの他にもう一つ可愛くラッピングされた袋があることに。

 そして、彼女はタッパーから沢山あるチョ◯ボールよりは大きい粒のチョコの中から、ひとつ摘まむ。

 その行為は、所詮わたしなんか彼女にとって特別ではなく、大勢の中の一欠片でしかないと突き付けられているようだった。

 偏りすぎか。


「はい、あーん」

 と安海は摘まんだチョコをわたしの口の前に持ってくる。

「……」


 時々、平気でこういうことをしてくる。

 公衆の面前でそんな恥ずかしいことできない。

 そのまま安海の指ごと食べてしまいたい衝動を押さえて、わたしは自分の手でチョコを奪い取って、口に放り込む。

 口の中に甘々なチョコが満ち満ちていく。


「おいしい?」


 安海は不満そうな表情を浮かべながら感想を求める。


「ん、安海の味がする」

「どんな味よ。まあココアパウダーまぶし過ぎた気がしたんだけど、あきらんが苦くないならいいか」


 どうやらわたしは大衆の中の一人どころか、実験台でしかなかったらしい。

 安海のモルモット。それも悪くないかも。


「なに、ニヤニヤしてんの。わたし他の人にも配ってくるからじゃあね」


 そういって安海は紙袋を持って教室から出ていった。



 □□□□□□



 あの後、わたしは安海の後をけたが、タッパーから大量生産されたチョコを配るばかりで、ラッピングされた方を渡したり下駄箱に突っ込んだりすることはなかった。

 休憩時間や昼休みも教室を出る度、追いかけていたが何もないまま帰りのHRになってしまった。

 彼女が誰かにチョコを渡すタイミングも、わたしが彼女にチョコを渡すタイミングも残るは放課後だけ。

 彼女が誰に渡すかわからない状態では、わたしも彼女に渡したくはない。

 ずるいって言われてもいい。

 わたしのこの思いが無駄になるよりは何倍もマシだ。

 友チョコとして渡すことは決してしたくない。渡すならあくまでも本命として、だ。

 安海が誰に渡すかなんて全く想像つかなかった。

 そういう話をしないというのもあるが、彼女は誰とでも仲良くするタイプだ。

 クラス内でもほとんどの子たちとよく喋ってる。候補が多すぎて絞りきれない。

 わたしとは真逆。

 学校に行っても話しかけてくれるのは安海だけ。

 だから好きになった。

 人が人を好きになるなんてそんなもんだ。

 目の前の安海はそんなわたしの気持ちも知らず、頬杖をつきながらぼーっとしている。

 担任の先生がまた来週という言葉で締めたところで、放課後になった。

 安海は何も持たず、そそくさと教室を出て行く。

 勿論わたしも見つからないように追いかける。

 遂にチョコを渡すのだろうかと思ったが彼女は手ぶらだ。実はもう知らない間に渡してたとか、単に忘れただけとかもありえる。

 下駄箱まで来て彼女は靴に履き替えて外に出た。

 外は下校する生徒で溢れ返っていて、少しでも目を離したら見失いそうだった。

 というか自分も靴を履き替えてる間に見失った。

 荷物を持っていなかったから校外には出ていってないはずだ。

 そして恐らく人目につきやすいグラウンドにもいないだろう。

 だとすると校舎裏のどこかか。人の少なそうなところを探してみるしかない。

 一通り周ってみたものの見つからない。

 どこだ、どこにいる。わたしの焦りは加速していく。

 あと探してない場所……。

 駐輪場は探してないけど下校する生徒で多いだろうし。でも一応行ってみるか。

 駐輪場には予想通り人も多く、安海もいなかった。

 もう他に探す場所がない。結構時間が経ったから、安海が教室に戻った可能性もある。

 そう諦めかけたところでもう一つ探してない場所に思い至る。

 駐車場だ。

 車やバイク通学は禁止されているので生徒がいる訳ないし、先生だっている可能性は低そうだ。

 わたしは最後の望みを託して、駐輪場から少し下った所にある駐車場に向かう。

 いた!

 出入口から一番離れている車の陰に生徒が二人いるのが確認できる。

 わたしは気づかれないように出来る限り近づく。

 確かに安海だ。そして、もう一人は知らない男子生徒。

 ここからじゃ二人が何を喋っているのかは聞こえない。

 それでもなんとなく、いい雰囲気じゃないのは伝わってくる。

 話はもう終わったようで、男子生徒は先に陰から出て来て駐車場から出ていった。

 二人で一緒に出てこないところをみると、やはり安海の告白は失敗したらしい。あんな可愛い子を振るなんて男子生徒も見る目がないな。

 そして、それをどこか喜んでいるわたしはクズなのだろうか。

 安海はしばらく留まっていたが、やがて大きく深呼吸をして校舎に戻っていった。

 これで安心してわたしはチョコを渡せる。

 彼女が告白したことで、今彼女に付き合っている人もいないということも確認できた。

 わたしもそろそろ戻るか。

 早く戻らないと安海が下校してしまうかもしれない。

 なんて声をかけようかな、と考えながら駐車場を後にする。


「やっぱ、みてたんだ」

「……」


 歩道に出ると、塀に安海が寄りかかっていた。

 安海が発した言葉は純粋な怒りで充ちている様だった。

 何で……。教室に戻ったと思ったのに。

 駐車場から出てくるのを見られては、言い訳のしようがない。


「えっと……その……ごめん……。でも、なんで」

「なんでって、こっちが訊きたいよ。あきらんさ、今日ずっと私の事追いかけてたじゃん」

「それは……」


 見つかってたのか。

 安海が誰にチョコを渡すのか気になって。

 そんなことを言えるはずがなかった。


「バレてないとでも思ったの? 今日はバレテナインデーじゃなくてバレンタインデーだよ」

「……………………」

「……………………じゃあねっ」


 安海はわたしに背を向けてどんどん歩いて行く。

 いや、激怒してると思ってたのに、急につまらないギャグを言われても困る。

 どう対応していいか全くもってわからないが、とりあえず謝る。


「ごめん」

「なにが?」

「えっと、だから安海が告白してるのを覗いたこと」

「ふん」


 それっきり安海が何か言うことはなかった。

 嫌われてしまったのだろうか。

 自分の行動の結果とはいえそれだけは嫌だった。

 何としても仲直りがしたくて、教室に戻るまでわたしは何度も繰り返し謝る。

 誰もいなくなった教室に戻って安海はやっと口を開く。


「で、何で今日ずっと追いかけてきて、挙げ句の果てに告白まで覗いたの? ごめん、じゃなくて、ちゃんと理由を教えて」


 安海が好きだから。

 それはこんな状況で言うつもりの科白ではなく、言葉に詰まってしまう。


「友達として? 野次馬として? それとも好――」

「ちがう!」


 いや、違くないんだけど。

 ただ友達としてとだけは言いたくなかった。それを言ってしまえばこれ以上安海との仲が進展しなくなってしまうような気がしたから。

 だからわたしは、覚悟を決める。


「違わない。わたしは安海が好き」


 そう自分の机の中から水玉模様の赤い紙で包装された箱を出して、人生で初めての告白をする。


「すごい嬉しい。ありがとう」


 安海は先程まで険しい顔をしていたのに、一気に顔を弛める。


「ねえ、何で誰もあきらんに近づかないか知ってる?」


 それは今までと脈絡の無いような質問だった。少なくともわたしにはそう思えた。でも彼女からはその質問に、間違ってでも絶対に答えなきゃいけないような圧力があった。


「わたし自身コミュ力があるわけじゃないし、目付きが悪いって言われるから怖いんだと思う」

「ふうん、そう思ってたんだ。まあ怖がられてるってのは間違っていないけどね。正解はね、私が『新木さんは不良です』って噂を流したから」


 そんな想定外すぎる答えにわたしは唖然とするしかなかった。


「私、初めてみたときからあきらんを好きになっちゃったの。一目惚れってやつ。だから独り占めにしたくて、あきらんを孤立させたくてそんな噂を流したの。このチョコ、ほんとに嬉しい。私達が両思いって証拠だね」


 両思いと言われればわたしだって嬉しいはずなのに、そんなの信じられるわけがなかった。


「じゃあ、さっきの告白はなんだったの?」

「あきらん勘違いしてるようだけど、告白したのは私じゃあなくて、向こうからだよ。私が誰かに告白するかも知れないからって、先手を打って告白してきたんだって。笑っちゃうよね。もちろん私にはあきらんがいるから振ったけど」

「そんな……」

「ねえ、やっと付き合えるんだし、キス、しよっか」


 そう言って安海はわたしに迫ってくる。

 わたしの感情はマッ◯フルーリーのようにぐるぐると冷たくかき混ぜられていた。

 こんなことになっても、不思議と彼女に対する好きという気持ちは変わらない。

 でも裏切られて悲しいという気持ちもある。

 ただ彼女が噂を流さなくてもわたしは孤立していたような気がする。

 現に中学のときがそうだった。友達と呼べるものは漫画かゲームくらいだ。

 それに安海はわたしを受け入れようとしてくれる。

 わたしも安海を受け入れていいのかもしれない。

 そうだ、今度はわたしが安海を縛ればいいんだ。

 安海の友達を一人ずつ壊して、わたしから離れさせないようにすればいいんだ。

 うん、そうしよう。

 これからは永遠に一緒だからね。

 そうして、わたしは迫ってくる安海を受け止めて、唇を重ね合う。


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バレンタイン 八谷彌月 @tanmatsu

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