第49話 空を飛びたい恐竜たちの
破裂のような驚きだった。しかし、どうしてそんな簡単なことに気が付かないでいられたのだろう。ノラに何かを気付かせたのはリュシーだ。全てに疑問を持つようになったのは、彼女がノラに与えた力だった。
それを知ってよく観察してみると、冴え渡っているノラの頭には、一部分だけ「実」のない場所がある。
十全に働いているはずなのに、そこだけすっかりなにもないように感じるのだ。ないものをあると錯覚させる。あるものをないと錯覚させる。
呪いの正体そのもの。
けれど、リュシーはもう死んでしまっている。
彼女は何を思い、どうしてノラにこんな呪いを掛けたのだろう。
「リュシーさんは、私に何を望んでいたのでしょう」
答えが欲しい一心でノラは口にした。少しだけ正体に気が付いたからか、ノラの頭の働きもまた、少し悪くなったようだった。
ノラはこの呪いが、解けて欲しいような、解けて欲しくないような気持ちだった。
「それは自分で考えろ」
ナカザトはやはり冷淡に答える。
しかし、ノラは瞬時に頭を振った。ばさばさと一緒になって手の内の草花が揺れて、余計に焦ったような気持ちになる。
「むりです。ぼくには分らない。魔法使いは頭が悪いんです」
「面白ぇ自虐だな」
ナカザトは妙な動物を見つけたように呟いた。けれどノラは、自分が本当に妙な動物であることが恥ずかしく思いながら、それでも行った。
「そうですか。笑ってもらえるなら光栄です。でもこれは――本当のことです。何かを持っている者は何かを持っていない。全くその通りです。ぼくたち魔法使いは、何もかも持っていて、何も持っていない。死ぬことだって一人では出来ない」
それに、死ぬということに恐怖さえ抱けないのだ。
「ぼくたちは、生きるということを教わってこなかった。いくら制御がなくなっても、導いてくれる人がいなければ、どこにもゆけません。ぼくたちは、人間に似せて作られたんだ。獸にはなれないし、教育されないのなら人間にもなれない。でも――もう少しで分りそうな気がするんです。ぼくが、なにをするべきなのか」
自分の正体は何なのか。何でいたいのか。
魔法使いなのか、彼女の友達なのか、もっと他のものなのか――。
ノラは縋るようにナカザトに訴えた。
「時間がないんです! ぼくがキィコさんを倒さなければ、兄が彼女を殺しにやって来る」
マツダがそれにぴくりと反応をしたのが分かった。しかし、ナカザトは何も反応しなかった。
その時のことを想像して、ノラはまた強く頭を振った。
「ぼくは、ただ見ているのだけは嫌です!」
言葉は踊り場にわんわんと響く。そして、その反響が完全に消えてしまうまで、ナカザトは黙っていた。
それから、ふっとと息を吐いたかと思うと、小さく呟いた。
「一メートルごとに灰皿」
突然、ノラの近くで、あるいは遠くでも、小さな爆発音が鳴った。階段に乱立している灰皿が消えたのだ。
馬鹿が、と小さく吐き捨ててナカザトはノラの顔を見た。
「いいか。進化っつうのは、動物の逃げ果せた結果だ」
ナカザトの言葉は、きらきらと煌めいているように見えた。それは実際の煌めきで、ナカザトの背後ではまだ溶けた壁が、水を流し続けているのだった。
煌めくものを一心に受け止めようと、ノラはナカザトの言葉そ注視した。
「死ぬかもしれない、殺されるかもしれない、そういう恐怖から逃げ続けた奴らだけが、形を変えてまで生き残ってんだ。生き物は頭が悪いんだよ。死ぬのは一瞬だし、二回目もない。それに比べりゃ、生きている限り追って来る恐怖から逃げ続けるなんて、最高に頭が悪い」
ノラは恐竜たちのことを思い出した。
火球からどたばたと懸命に逃げ回る、巨大な力を持つ生き物たち。けれど、彼らは死んでしまった。一匹残らずいなくなってしまった。
馬鹿だというのは、そのことも含まれるのだろう。どれだけ全力で逃げ続けたとしても、生き残るとは限らない。
大きな災厄を目の前にすれば。
それで、とナカザトは続けた。
「俺はあれだけ捨て身で、現実から逃げ続けている馬鹿な生き物を、今まで見たことがない」
その語尾がごくわずかに揺れたような気がして、ノラはナカザトの目を見た。本当に微かではあるけれど、笑っている。
とても穏やかで、ごく自然で、それはナカザトの本当の顔なのかもしれなかった。
「俺があいつに目を掛けてやってるのは、あいつが逃げながら夢を見てるからだ」
「夢?」
その言葉は、ノラにとって未知なものだった。意味は知っている。使ったこともある。
それなのに、今初めて、ノラの人生に登場したように思われた。ナカザトはノラに言い聞かせるような口調で続けた。
「生き物が夢を見続けた結果が今だ。特異も、翼持ちも、あんたら魔法使いも。すべての生き物の夢――」
その時、ぴちゃりと頬に水が当たった。
それにはっとする間もなく、ノラの体はぐらりと揺れた。そのまま床に叩き付けられる。
「いってえ」
床ではない。体の下が柔らかい。人の手だ。
「マツダ!」
ノラが声を上げると、その下からマツダの軽い声がする。
「いや、あのそんな大声出すようなやつではないです」
マツダはそう言って、ノラの体の下から腕をどかして半身を起こした。同時に、ぐるる、とどこかで聞いた低い地鳴りのような音が響いた。
ノラは目を動かして異常を探した。すぐ近くに煉瓦の破片が落ちている。それが飛んできたのだ、と壁の方を見上げると、壁に穴が開いているのを発見した。ノラは急いで、手放してしまった花束を握りなおした。
穴の向こうに、動く影を発見したのだ。それは間違いなく、キィコと共にこの塔へ飛んでいった、黒い翼の獣に違いなかった。
「なるほど」
軽い口調でナカザトは呟いた。
「何がなるほどだ!」
反射的にそう返しながら、マツダはノラを抱き起こした。
ナカザトはその言葉を無視して、また壁を触った。すると、今度は大量の水が壁から落ちて、波打つ水が階段の方へ流れていく。
溶けた壁の向こうに、大きな空間が広がっているのをノラは発見した。同時に、唸り声が大きく聞こえて、巨大な獣の姿が露わになった。
「入るぞ」
そう言って、まずナカザトは穴の中へマツダを放り込んだ。獸がちらりとそちらを見て、その間にノラも穴の中へ放り込まれた。
水の音が背後に通り過ぎて、すぐに葉の千切れたような匂いが鼻先に香った。目の前の景色に、ノラははっと息をのんだ。
最初の階と同じ景色が広がっていたのだ。しかし、どことなく雰囲気が違った。
またうなり声が聞こえて振り返ると、獣が走っているのか飛んでいるのか分からない状態で、ノラたちを飛び越え、前に立ち塞がった。
するとナカザトは、なぜか急にマツダの首根っこを引っ掴んだ。
「うお! なに、なんだよお前さっきから!」
「黙ってろ」
「黙れるか!」
「うるせえな、お前は狙われてねえんだよ」
「はあ?」
ノラその言葉に獸を目で追った。
ナカザトがマツダを獸の前で、ぐらぐらと揺らす。すると、獸の尻尾がぐるぐると周り、うなり声が柔らかくなる。
「動物だから?」
そう呟くと、マジか、と言ってマツダは困ったような顔をした。
動物に異様に好かれるという性質を、マツダ自身はあまり良くは思っていないようだった。というより、いつも罰が悪そうにするのだ。
けれど、ノラたちが僅かにでも動くと、獸は黒い翼を開いて、口から牙を覗かせた。ナカザトはじっと何かを考えているような顔をしている。
またマツダをおとりに使おうと思っているのだろうか。しかし、もうあまり無理はさせたくない、と考えたときだった。
「ノラ!」
突然ナカザトはノラの名前を呼んだ。声と、その事実自体に驚いて、ノラは飛び上がった。
「え? あ」
すると、その動きに合わせて、獣の目がぎらりと光ったのが分かった。翼を大きく広げて、牙が剥き出しになる。ナカザトが、平坦な声でノラに向かって呟いた。
「あんただな。狙われてんの」
そう言って、また獸の気をそらせるように、マツダの体を揺らした。獸の目線がノラから逸れる。ナカザトが続けて言う。
「さっきまでのやつらには、俺も結構狙われてた。けど、こいつだけ狙いが明確に違う」
「なんでだよ」
マツダが疑わしそうに言う。
「なんでノラ?」
「順位でもあんじゃねえの」
「順位?」
「来て欲しくない順位」
ナカザトは淡々と言った。
この生き物がどういうものなのかノラには分からない。キィコに翼が現れた時にそばにいたというだけで、キィコとどういう関係であるのかも判明していない。けれど、きっとこの獣はキィコの立場を理解している。
そうに決まっている。
キィコに翼が生えてしまったときも、彼女に寄り添っていた。同じ黒い翼を持った彼らが――いや、彼らだけが、一人淋しいキィコの側にいたのだ。
彼らが慮っているのか、キィコがそう願っているのか、そんなことはどちらでもかまわない。どちらでも同じことだ。
明らかなことだ。
キィコは、ノラに会いたくないのだ。
当たり前だ。ノラはずっと彼女に嘘を吐いてきたのだから。自分が魔法使いであることも、キィコが魔法使いになれないことも、知っていて言わなかった。
きっとなれるだなんて、大きな嘘を、何度も吐いた。
そんなノラを、キィコが受け入れるはずはない。
しかし、ナカザトはマツダを抱えたまま、ノラを振り返り言った。
「やっぱりあんた一人で上まで行け」
その言葉に、ノラは急に何もかもから見捨てられたような気持ちになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます