第47話 花の咲かない花束を

 近づけば近づくほど、近寄るなという強い意思が感じられるようになった。

 逃げ惑いながら、ニーナとオルガは先ほどから訳のわからぬ言葉を連呼している。

「もぬめめ! いや、違うっすね、もっと意味の分からない感じの――んのぺぺ? そぬくく?」

「それさっき言った!」

「こっつつ!」

「全然違う!」

「うおぉ!」

 化け物は、明らかにニーナとオルガを狙っている。ノラはさきほどから魔法で彼女たちを防御しているのだが、それを言ってよいものか分らなかったのだ。

 ノラは魔法使いと関わった人間が、どんな処理をされているのか詳しく理解していなかった。

 それらは、末端の魔法使いの仕事なのだ。

「あーもう! なんなんすか!」

 ともかく、三つ前の階段を上ってから、奇妙な生き物がこちらを襲ってくるようになった。けれどそれも、一つ下の階までは、大した害のない生き物ばかりだった。

 触れると冷たいだけのぶよぶよした水の塊や、暖かい風を口から吹き出し続ける獣や、歩くたびに鈴の音がする二足歩行の丸い球体や。

 どれもキィコが魔法リストに書きつけたものらしい。優しい生き物シリーズというのだ、とニーナとオルガは言った。よく分らない。

 ナカザトの言った通り、ニーナとオルガがなんとか思い出して、その名を呼ぶと、彼らはぱっと消えてしまうのだ。

 もはや、彼らがキィコの魔法リストから生まれたものだということは明らかだった。

「ごちぬぬ!」

 ニーナがまた唱えると、刃物が飛んで来る。オルガに向かったそれをノラが弾くと、刃物は化け物の方へ戻って行った。マツダが眉を潜める。

「どこが優しい生き物なんだよ!」

 確かに、今まで正体を明かしてきた化け物たちは、こちらに危害を食わせなかったし――そもそも危害を加えられる機能がついていなかった――部屋が暑いとか寒いとか、そういうことを解消してくれる生き物なのだと聞けばなんとなく理解は出来た。

 しかし、今対峙しているものは、緑色の大きな毛玉の中に、大きな赤い目だけがついていて、両手に刃物まで持っている。今まで一番化け物染みた見た目だ。

 ニーナが言った。

「違うんすよ、だからこれは、美容師とする話が苦痛だっていうのを解決してくれる生き物で」

「はあ?」

「だから、お仕事なにしてるんですかとか、そういうの聞かれるの嫌だから、待機室にいつも髪切ってくれる子がいたらいいねーって」

「それがなんでこんな気持ち悪い見た目なんだよ!」

「キィコさんは画力が独特なんす! うおわ」

 また化け物が刃物を投げつけてくる。マツダが吠えつつも、彼女たちを守っている。

「ていうかなんで向かってくんだよ。髪切れよ!」

 ノラはナカザトをちらりと見た。

 やはり、キィコの性質、というより思考が関係しているのだろうか。階下の化け物たちも、ぶよぶよの体を押し付けてきたり、顔面に風を吹きつけてきたりという些細なものではあったが、どうもノラたちを階段の方へ行かせないようにしていたように思える。

 するとナカザトは、壁際で刃物を避けてしゃがみこんでいるニーナとオルガを一瞥して言った。

「お前ら帰れ」

「え? なんすか!」

「邪魔だから帰れつったんだよ」

 それだけ言うと、ナカザトはマツダの持っているビー玉の袋をひったくって、いくつかを化け物に投げつけた。

 炎の柱が上がる。

 化け物は燃え始めたが、消えてなくなりはしなかった。正体を明かさない限り、彼らは消えることがないらしい。

「は? なに!」

「うるせえ」

 気付くと、マツダがナカザトに首根っこを捕まれている。そのままナカザトマツダを盾に化け物に近づいて行った。それから少しだけ振り返ってノラを見て、手で何かを払うような仕草をした。

 二人を撤退させろ、という意味だろう。

「あの」

 ノラはしゃがみ込んだままのニーナとオルガを覗き込んだ。

 けれど、なんと声を掛ければ良いのか分からなかった。ここまで来て、帰れというのは少し酷だ。彼女たちだって、心配に違いないのに。

 すると、ニーナがぱっと顔を上げた。彼女が瞬時にノラの顔色を理解したのが分った。

「あ、いや、大丈夫っすよ。最初からそういう約束だったんで」

「約束?」

「店長が邪魔だって判断したらすぐ帰るって、そういう――条件っていうんすか? ねえ?」

 ニーナはオルガを見下ろした。けれど、オルガはじっと床を見つめて動かない。明らかに様子がおかしい。

「どうしました? どこか、怪我を?」

 ノラが言うと、オルガは一度口をぎゅと引き結んでから勢いよく顔を上げた。そして、縋るような目でノラを見た。

「ノラちゃん! キィコさんは、どうなるの?」

 そう言われて初めて、ノラはオルガがこれまでずっと焦っていたのだということに気が付いた。思い返せば、最初に店の屋上で出会ったとき、彼女はもっと冷静で、常に毅然としていた。

 それが今日は、会った時からずっと、どこか上滑りしているような声を吐いていた。ニーナは逆に、とても明るくよく笑った。

「ノラちゃんは、魔法使いなんだよね?」

 オルガは泣きそうな顔でそう言った。ノラは後先のことを考えずに、素直に頷いてしまった。

「そうです。私は、魔法使いで――」

 それ以上言葉は続かなかった。自分の存在自体が、彼女たちの前では非道な罪であるような気がしてならなかった。

「キィコさんを、倒すというのは」

 オルガも言葉を飲み込んだ。

 ノラが塔の入口でナカザトに放った言葉は、やはり彼女たちにも聞こえていたのだ。聞こえていて、今までじっと黙っていた。

 どうして彼女たちは、こんなにも思慮深いのだろう。

 ノラが何も言えぬままでいると、ふとニーナが床に手を伸ばし、刃物で壊された壁の破片を一つ拾い上げた。

 拾い上げた瞬間、ニーナの手の内から小さな爆発音が上がる。

「あー、やっぱりこれになっちゃうか」

 そう言って、ニーナは手の内の物を見た。

 それは花束のようだった。しかし、天辺に着いているのは花弁ではなく、薄緑の蕾ばかりだ。

「オルガさん、なにか紐持ってます?」

「持ってない」

「んー、じゃあそれ。借りますね」

 そう言ってニーナはオルガの付けているブレスレットを外した。それを手際よく、花束の茎に括りつけて、ノラに差し出した。

「これ、キィコさんに渡して欲しいっす」

 意図を読み取れないまま、ノラはその花束を受け取った。触れるだけで、生きているということが分かる。茎の中を水が流れていることを感じる。

「仕方ないっすよ」

 ニーナは誰に言うでもなく言った。

「ずっとそうだったじゃないすか、生まれたときから決まってることってたくさんあるんですよ。だから、私たちには、出来ることしか出来ないし、出来ることがあまりにも少ない」

「ニーナ」

 オルガはただその名前を呼んだ。とても苦しそうな声で、瞳からは今にも雫が落ちそうだった。しかしニーナの声は溌溂としている。

「私たち、生きていることの方が可笑しいんですよ」

 その言葉は、ノラの頭を弾丸のように貫いていった。

 ノラには、彼女たちの使う「生きている」という言葉を分かる日はこない。彼女たちの生活と、ノラの命が余りにもかけ離れているから。

 永遠に、分かってあげることも、分かってもらうことも出来ないのだ。

 するとまた、ニーナは明るい声で言い直した。

「ああ、違いますよ? 今まで生きてこられたことがすごい、って意味です。よくやったなって、褒めてるんす。自分にやれることを、精一杯やってきたなって、ちゃんとそう思ってるんすよ」

 けれど、そう言ったすぐあと、ニーナは口をきゅっと結んでしまった。それから一瞬、遠くにいるナカザトたちの背中を見て、ニーナはまっすぐノラの目を見た。

「その花、必ずキィコさんに渡してください。私たちに出来ることって、それくらいしかないから。そんで、ノラちゃんはノラちゃんの出来ることをやればいいっすよ。誰が悪いってことないす。みんな生きてるんだから、ある程度は仕方ない」

 ノラは、何も答えることが出来ずに、でも微かに首を振った。ニーナの言葉が悲しかったのだ。

 キィコが世界の「仕方ない」という部分を変えたくて、魔法使いになりたかったことをノラは知っている。けれど、それよりもずっと長く近くにいた彼女たちは、ノラと比べものにならないくらい痛切に、痛烈に、本当に痛いほど、それを知っているはずなのだ。

 だからこそ、彼女の口から「仕方ない」という言葉が出るのが悲しかった。

「ね! オルガさん!」

 ニーナが発破をかけるように声を掛けると、オルガは小さくうるさいと言ってから立ち上がった。そして、やはり小さく笑いかけて、ノラが茎を握りしめる手を上からそっと触れた。

「ねえ、ノラちゃん。魔法は――私たちを幸せにするためにあるんだよね」

 ノラは反射的に強く頷いた。何度も何度も頷いた。それは、心底嘘偽りのない思いだった。魔法は、人々を助けるためにある。ノラたちは、そのためだけに生まれたのだ。

 彼女たちを幸せにするためだけに。

「じゃあ大丈夫だ」

「大丈夫っすよ」

 思えば、どの時間を振り返っても、彼女たちは笑っていた。キィコもそうだ。小さなことでも、大きなことでも、よく笑った。

 それこそ、彼女たちの言う、やれることを精一杯やるということなのかもしれない。

「店長! じゃ、あとよろしくお願いします! あっ、シフトの調整も!」

 そう言って、ニーナはオルガを連れて帰ろうとした。

「あの!」

 ノラは掛けて行って、彼女たちの前で目を瞑り、魔法を掛けた。こんな風に、祈るように魔法を使うのは初めてだった。けれど、もしかすると本来、魔法とはこんな風に使うのかもしれない。

 透明の膜につつまれた二人は、興味深そうに周りをきょろきょろ見渡している。

「これで、もし下にまだ何かがいても、お二人の姿は向こうには見えません」

「え?」

 ニーナが間の抜けた声を出して、ぼんやりノラを見た。今まであまり感じなかったが、こう見ると彼女が一番年下だということが良く分る。好奇の目がよく似合うのだ。

 ニーナがぽかんとして言った。

「なら最初からこれすれば良かったんじゃ?」

「ちょっと、ニーナ! 空気読んで」

「ああ、ごめんなさいす」

 そのやり取りに、ノラは今までの自分の行動を馬鹿馬鹿しく思った。この先にどうなるかなど考えず、やりたいようにやれば良かったのだ。

「本当ですね」

 ノラが笑って言うと、彼女たちも笑う。

「でも、お気をつけて」

 二人は、ノラの言葉に手を振って、階段を下りて行った。ノラはまた、今度は強く、長く目を瞑って祈った。

 出来ることならば、永遠に自分の魔法が彼女たちの身を守るように。彼女たちが笑っていられるように。

 それがどれだけ無謀なことか、もうノラにも良く分っているけれど。それでも、祈らずにはいられなかった。

 彼女たちが、幸福であるように。できうる限り、永く。

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