第46話 何もない何処にもいない
「え? なんすか? それは世界が繰り返してて、私たちだけちょっと記憶がある的なことです?」
ニーナが言うと、オルガは「ちがう!」と眉根を寄せた。
「そういう妄想の話じゃなくて、実際に――ほら、なんか見たことあるような気がするじゃん。全体的に」
「はぁ、全体的に」
ニーナは辺りを見回した。
「つっても箱しかないっすよ。あとぬいぐるみ?」
「ぬいぐるみ」
何か思い当たる節があるような、ないような口調でオルガは繰り返した。
「じゃなきゃ掃除機すか? ボール? キモい人形?」
「うぅん」
オルガは唸り、また考え込んでしまった。
するとまた遠くの方で、がさがさと音が聞こえ始めた。箱の壁のせいで、見えないが、何かが集合しているような音だ。耳を澄まして聞いてみると、彼らの声が聞こえた。
「友達じゃない」
「友達じゃないね」
「倒す?」
「倒さなきゃ」
「こわい」
「こわいね」
そして、ガチャンと頭上から金属の触れ合うような音がした。見ると、天井からぶら下がっていた鋏のような物が動いている。右に左に揺れながら、大きく手を広げるように。
「あ!」
とオルガはニーナの腕を掴んで、興奮気味に揺らした。
「そうだ! あれだよ、ニーナ! ほら、家電の!」
「え、なんすか、かでん?」
「三人で行ったでしょ――あの、家電屋さんの、上の、屋上の」
捕まれて、ぐらぐらともの凄い勢いで、ニーナが揺れている。まるでそれと同調するかのように、天井の鋏もぐらぐらと揺れた。
「おくじょー?」
「ほら、あれ、あれが有るところ!」
そうオルガが天井の鋏を指さしたのと、その鋏が落下したのは、ほとんど同時だった。
ニーナが声を上げる。
「ああ!」
「うおあ!」
そのニーナの声と被って、遠くからマツダの声が聞こえた。声と言うより、それは悲鳴に近い。
見ると、箱の壁の上にマツダがいた。
ぶら下がっている。
胴体を鋏で掴まれて、吊り上げられているのだ。また物陰から声がした。
「落とせ」
「もっと高く」
「ぺしゃんこだよ」
「やっつけろ!」
その声の中に、ニーナの声が混じった。
「思い出したっす! クレープ食べたとこだ」
「そう、それ!」
オルガが嬉しそうに答えた。しかしニーナはぽかんとしている。
「え? それがなんすか?」
「だから、その時キィコさんが、魔法リストに書いてたのと似てるって」
彼女たちがそんな話をしているうちに、マツダはどんどんと持ち上げられていた。あれくらいから落ちたところで、魔法使いならばなんともないはずだ。
ただマツダに関して言えば、もしかすると危ないのかもしれない、とノラは不安になった。今、マツダがどれくらい魔法を使える状態なのか、ノラには分からない。
「マツダ!」
ノラが声を上げる横で、ニーナとオルガは、まだよく分からない話を続けていた。
「ああ、なんでしたっけ。ゲーセンを全部無料にするとか?」
「違う違う。もっとなんか、ほら、物が動くとか――いやそれも違う。無機物が喋れる――いや、ちがうな」
「あっ! 思い出したっす!」
突然大声でニーナは叫んだ。
「無機物にも人生を!」
その瞬間、方々から白い煙が上がった。
同時に、天井の鋏が開いてマツダが空から降って来る。
ノラは急いでマツダの体を魔法で持ち上げた。そのまま、極力揺らなさないように地上まで下したが、マツダはすでにぐったりとしていた。
けれど、手にはちゃんとビー玉の入った網の袋を握っている。
適度に軽くて、適度に重いものだ。
当のナカザトは、壁になっていた箱を蹴り倒して回っていた。何度目かに破壊した壁の向こうに、ぬいぐるみや家電が、妙な具合にまとまって転がっているのが見える。
しかし、それらは最早ぴくりとも動かなくなっている。ナカザトは振り返り、ニーナに向かって言った。
「お前、さっき何言った?」
「え。さっきっていつすか? あっ、シフトの調整?」
「違ぇよ。今さっき、無機物がなんとか」
「んん? あ、ああ! 人生っすよ、人生! キィコさんが言ってたんです。魔法リストに書いてて、人生って何って思ったんすけど、そういえば確かに、色んなものがすごく似てるなぁって」
ナカザトは舌打ちをして、視線をニーナからオルガに移した。
「おい、通訳」
「え? ああ、はい。あの、私たち、キィコさんと三人で、少し前に西地区の家電量販店に行って、ここに並んでいるものが、その――そこにあったものに似ているなと思って。その変な動物のぬいぐるみも」
オルガは床に転がっている、見たことのない形状の丸っぽい水色の動物を指した。
「その建物のゲームセンターに置いてあったものと同じですし。それで、さっきニーナが言ったのは、その時、キィコさんが魔法リストに書いていたことで」
「あの汚ねぇ手帳か」
「はい。正式名称は魔法使いになったらやることリスト、ですが」
ナカザトははっきりと興味がない、という顔をした。
「すみません。それで、キィコさんが人形とか機械とかみんな喋れればいいのになー、みたいなことを言っていて。それで――あの、これは今思いついたことなのですが、さっき外で上から落ちてきたプロペラ――あれ、この前壊れた待機室の扇風機と同じ色と形だったように思うのですが」
オルガの言葉に、ナカザトは少しだけ考えてから答えた。
「それも書いてたのか?」
「ええ、確か。扇風機を直すだったか、買い直すだったか」
「んなことに魔法使うなよ」
そうぼやいて、ナカザトはさっさと歩きだしてしまった。突き当たり次第、箱を蹴飛ばして壁を崩している。ノラは急いでその背中を追いかけた。
「あの、どういうことなのでしょう。あの魔法リストが、この状況に関係あるということですか?」
ナカザトは特に思案する素振りもなく答えた。
「これだけじゃ判断は出来ねえな。けど、可能性は高い」
「ならば、キィコさんは翼を得ただけではないということになります」
「ただの特異って可能性もある」
「特異?」
ノラの声は跳ね上がった。ナカザトがそれを鼻で笑う。
「翼持ちに特異が発露しないなんて決まりはない。まして白じゃなく黒だしな」
「しかし――そんな例は聞いたことがありません」
「そうか。俺は見たことがある」
それ以上ナカザトは何も言わなかった。言うつもりもない、といった感じだ。
ノラは、フィールスの言った、新しい価値という言葉を思い出していた。ノラにはやはり、黒き翼を倒さなくてはならない理由が思いつかない。けれどそれは、そう思い込みたいだけかもしれない。
実際には、植物は異常に生長し、谷の上空を黒い翼の化け物が旋回している。彼らはノラやマツダに対しては、明らかな敵意を持っていた。まだ報告はないが、他の人間には無害であるという保証はない。
そして、これらの出来事が、キィコと無関係であるという風にはどうしても思えない。少なからず、なにがしかの影響を与えているはずだ。
キィコの新しい力が、直接ではないにしても人々を危険に晒す可能性はある。
「でも――なぜ先ほどのぬいぐるみたちは、動かなくなったのでしょう」
恐ろしい未来のことを考えないように、ノラは別のことを考えた。ナカザトと同じように、魔法を使って壁を壊し続けた。
「ニーナさんがリストに書いてある言葉を放った瞬間、煙が上がったように見えました。別の言葉では何も起こらなかった。これは、何を意味するのでしょう」
ほとんど独り言のようにノラは言った。どうも理屈が分からなかったのだ。何かの力が働いていたのは確かで、しかし、それが働かなくなった理由が理解出来ない。
「もしあいつに――」
と、ナカザトはちらりとノラを見た。答えが返ってくると思わなかったので、ノラは思わず立ち止まってその顔を見た。
ナカザトもまた立ち止まって、ノラの目をじっと見ている。
「あの阿呆に何らかの能力があるとして、それにあいつ自身の性質が関与するようなら、ありえる話だ」
そう言ってナカザトは、また近くの壁を蹴り倒した。
「あいつの思考は呪術めいている」
「え?」
呪術、という言葉をノラは心の中で確かめるようにもう一度呟いた。
呪術。
それは呪いだ。
ナカザトはノラに言い聞かせるように言った。
「魔法と違って呪いには実がない。そこにないものを、あると思い込んでるか、そこにあるものをないと思い込んでるか。呪いってのはその異常な状態のことだ」
破壊された壁の向こうには、階段が現われている。
「正体を明かされるってことは、異常な状態に気付くってことだ。だから、あいつらの言葉で化け物が消えたんじゃなくて、本当は何もないことに俺らが気が付いただけ、ってことなんじゃねえの」
声の途中で、その階段の階上から、小さな光線が差し込んだのが分った。眼球に良く似た球体が二つ、闇の向こうにじっとしているのが見える。ナカザトが嫌そうにそれを見る。
「まぁでも、見える時点で術の中だ。死んだと思い込んで本当に死ぬ生き物もいるからな」
そう言って、ナカザトは鼻で笑った。
「あいつ、呪術師目指したほうがよかったのかもな」
その言葉が終わらないうちに、得体の知れない化け物が、暗闇の中からノラたちに襲いかかってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます