第45話 幻影的異形迷宮箱

 ノラはそのことを考えようとした。自分が誰で、どうしてここにいるのか。けれど、すぐには言葉が出てこなかった。

 ナカザトは、燃えている石を手の内で弄びながら言った。

「返答次第じゃ連れて行ってやっても良い」

「何を偉そうに」

 ぼそりと言ったマツダの腕が微かに燃やされる。ノラは今一度頭上を見上げた。

 随分苛められてこの塔に逃げて行ったのだ、というフィールスの言葉を思い出す。

 あんなに繊細な人が、そんなことをされて、どれだけ辛かっただろう。そう思うと、じっとしてはいられない。どんな状態でだって、ノラは彼女のことが一番に気に掛かる。

「ぼくはキィコさんの友達で、彼女を助けたくて――」

 しかし、もうそれだけでは済まないということは分かっている。

「でもぼくは魔法使いなので、彼女を倒さなくてはいけません」

 自分がやらなければフィールスがやってくる。例えフィールスがやってこなくても、他の魔法使いが来るだろう。

 彼らは、黒き翼を討伐するということに、少しの疑問も抱いていない。なんの躊躇いもなく、速やかに彼女を倒してしまうだろう。倒す。殺す。フィールスが言った通り、すっかり殺してしまうだろう。

 ならば、せめて自分が行かなくては。

 ナカザトは目を細めて、射るような声音で言った。

「どっちか決めろ。友達なのか、魔法使いなのか」

 まるで誰にでも簡単に答えられる問いだと言わんばかりの言い方だった。もしかしたら、本当はそれくらい単純な問題なのかもしれない。けれど、ノラにはそうじゃない。

「決められません」

「あ?」

「ぼくは、自分が何者で、何をするべきなのか、それを知るために来ました。今はまだ――どちらかを選ぶことは出来ません」

 ここに来るまでは、確かに魔法使いだった。

 ほんの少し前まで彼女を倒さなければと思っていた。しかし、キィコの気配を感じた瞬間にすっかり分らなくなってしまった。自分が何者なのか。何者であるべきなのか。

 ナカザトはしばらくノラの言葉ごと、ノラのことを眺めているようだった。

 ニーナとオルガはよく分からないという顔をしている。ノラが魔法使いであることを知ってしまって、彼女たちの人生に害あったらどうしようと不安になる。

 意味の分らないピカピカとした不安定な光が、絶えず空から降り注ぐのと、大きな獣の羽ばたく音が合わさっている。

 あの獣たちは、一体誰からキィコを守っているのだろう。

 何のために。

「分かった」

 ナカザトは急にそう言って、ノラに背を向けた。手に持っていた石を二回軽く宙に投げると、二回目の着地で、その石は炎を纏いながら、水の中を跳ねたように雫をこぼし、煌めいた。

 それは一瞬の出来事で、そうして、まったく魔的な瞬間だった。

 ナカザトが大木になってしまった建物に向かってその石を投げる。投げ込んだ瞬間、風が強く石に纏わり付いて、瞬きをしない間に炎の石が大きな火球になった。

 そのまま、美しいとも言える、柔らかい音を立てて、火急が大木を貫く。

「ついて来ていいぞ」

 ナカザトの言葉の意味を理解するまで、ノラは相当の時間を要した。冴えている頭でさえ、彼の行っていることが分らない。まるで魔法。

 どんどんと遠ざかっていくナカザトの背中をただ眺めて、突然ノラははっとした。

「はい!」

 ノラは叫ぶように言い、同じように驚きと混乱で何事か声を上げるマツダの手を引っ張り、急いでナカザトの後を追った。

 大きく穴の開いた建物は、すでに蔦が這い、隙間を埋め始めている。

 谷だ、とノラはもう何度目か分らない感慨を抱いた。




*    *    *    *




 建物の中には、何もなかった。

 あの塔の中は空っぽなのだ、とノラはキィコから聞いていたけれど、実際に目の前にしてみると、とても不気味だった。どこまでも床が続いていて、植物の千切れたような匂いだけが充満している。

 外壁ばかりでなく、内壁にも植物たちが侵入してきている。しかし、それ以外は何もなく、広い空間だけが広がっているだけだ。特に変わった様子もない。

 ただ一つ、階段の位置だけは変わっているらしかった。

 なんでもニーナは以前、酔っぱらってこの中に忍び込んだことがあるらしく、その時には階段は一つ所にあって、そのまま上階まで上りきることが出来たらしいのだ。

「まぁ、すぐ飽きて昇るのやめちゃったんすけど、でも少なくとも十階までは昇ったですよ?」

 ニーナはそう訴えたが、ナカザトは何も答えなかった。

 ノラたちが昇った階段は、一階から二階へ昇ると途切れてしまっていた。三階に上がるための階段は、対角線上の柱の向こう側にあって、それも三階まで行くと途切れた。

 どの階段も位置や方向にまるで統一性がなく、どことなくあべこべな感じがした。そもそも、ニーナが入った時には昇降機があったというのだ。しかし、見渡す限り、それらしきものはない。

 そうして、かなりの階数を昇っていったあたりで、ついにニーナは叫んだ。

「あー! 絶対に嘘っすよ! こんなんなかったですって!」

 何も知らないノラが見ても、明らかにその階だけ様子がおかしかった。店が並んでいるのだ。無数の洋服屋、雑貨屋、あるいはカフェや歯医者。地上ではよく見る光景だが、どうも異様だ。

「私が来たときは、空っぽだったっすよ」

「ならその後に出来たんだろ」

 ニーナの訴えに、なにが可笑しい、という風にマツダが答える。

 その後に出来たのは間違いない。しかし問題は、誰が、いつ、何の為にこんなものを作ったのか、ということだ。

 ノラがキィコと一緒に谷に来たのはつい数日前のことで、その時もここはオブジェとしてしか機能していなかった。

 なにより、どう見ても存在が異様だ。

 魔法ではないが、それに準じる能力――何か幻のようなもの――が使われている感じがする。そこに何か理由をさがすとすれば、ノラにはキィコの存在しか思いつかない。

 けれど、何がどうなってこんな風になっているのかは分らない。

 次の階も、その次の次の階も、寸分違わない景色が続いていた。

「芸がねえな」

 前を行くナカザトがぼやいた。

 けれど、階段の位置だけは変わっているのだ。試着室のカーテンの奥にあったり、柱の裏にあったり、それらはどう考えても隠されていた。

 自分たちが何階にいるのか、もう誰も分らないようだった。

 昇って、ノラが光を付け、階段を探し、また昇る。窓もなければ、なぜかそれらの階には葉のひとつさえ落ちていなかった。全てが同じで、いくら昇っても先に進んでいる感じがしない。

「なんなんだよ」

 新しい階段を上りながら、マツダがそうぼやいた。その声がずいぶん疲弊しているように聞こえて、ノラは振り返ろうとした。

 その瞬間に、斜め前の方から声が飛んできた。

「誰か来たよ!」

 ぎざぎざと尖った高い声だ。ここにいる誰のでもない。

 また別の声が続いた。

「お友達?」

「どうだろう」

「きっとお友達だよ」

「お友達だね」

 真っ先にナカザトが駆け上がっていった。ノラもそれを追いかけて、階上に光を灯した。

 登り切った所で、視界の端で何かが走り去ったのが見える。けれど、それは障害物の影に隠れて追い駆けられなかった。障害物――それは無数の箱が積み上がった物だった。

「玩具?」

 と、オルガが呟いた。

「いや、家電とかもあるっすよ、ほら、あれなんて冷蔵庫ですもん」

 ニーナは箱のうちの一つを指さした。けれど、概ね玩具の箱のようだった。大小様々な箱が、壁を作り通路を作っている。いつだか絵本でみた迷路のようだ。

「なんか物々しいな」

 マツダの声に顔を上げると、天上に大きな鋏のような物がぶら下がっている。しかし殺傷能力があるようには見えない。切るというより、掴む作業をするものではないだろうか。

 と、ノラが考えていると、横から小さな爆発音がした。見ると、迷路の最初の曲がり角の前で、何かが燃えている。少し近づいて見てみると、それは耳の生えた獸のようだった。

 ただし、生き物ではなく、子供が持っているようなぬいぐるみだ。

「熱い、熱いよ!」

 しかし、炎の中からは声が上がっている。

「え、は? 何やってんだあんた」

 マツダが声を上げながら、ナカザトに詰め寄った。

「あ? 見て分んねえのか」

「何で燃やしてんのかって聞いてんだよ。あっつ!」

 腕を甘く燃やされたマツダは「こいつ頭おかしい!」と言いながらノラの元へ帰ってきた。

 ナカザトによって燃やされたぬいぐるみは、やがて形を崩し、何も言わなくなった。けれど、また別の声が四方から飛んでくる。

「かわいそう、かわいそう」

「どうして?」

「お友達じゃなかった」

「お友達じゃないね」

 箱の影から、掃除機が、丸いゴムボールが、異様に髪の長い人形や、燃えたのと色違いの獸が顔を覗かせている。

 ノラがぼうっとそれを眺めていると、ナカザトがつかつか歩み寄ってきて、マツダの胸元に手を伸ばした。

「え?」

 とマツダの間抜けな声が聞こえたかと思うと、ぶちり、と何かがちぎれる音がした。

 ボタンだ、とノラはまだぼんやりした気持ちでそれを見ていた。

 ナカザトはマツダの服からちぎり取ったボタンを、喋る家電やぬいぐるみの隠れている箱へ向かって投げつけた。投げられた瞬間、ボタンは大きく燃え上がりそのまま箱に命中した。

「おい! なにすんだよ、ボタン!」

 とマツダが声を上げる中、燃えていく箱々の向こうで、ぬいぐるみたちの移動する音がした。

 ナカザトは少しも悪びれず、むしろ不機嫌そうにマツダに言った。

「投げるもんがねえ。お前なんか探して来い」

「はあ? なに、投げるもんて」

「なんでもいい。適度に軽くて適度に重いやつ」

「だからなんだよそれ。つうか自分で探せよ!」

「別に、お前が困らないならいいけど」

 そう言って、ナカザトはまたマツダのボタンを引きちぎった。

「やめろよ! はだけちゃうだろ!」

「じゃあ探してこいよ」

 しばらくそんな風に噛みついていたが、結局マツダは言う通りに適度に軽くて適度に重いものを探すことにしたらしい。

 ナカザトは、片っ端からこの部屋のものを燃やしていくつもりのようだ。ノラにはそれが適切な処理かどうか分らなかったが、黙っていた。

 適切かどうかは問題ではない。出来るだけ早く上階に行かなくてはならないのだ。

 その時、ニーナが声を上げた。

「ん? どうしたんすか、オルガさん。お腹痛いんです?」

 言われたオルガは、何かを考え込んでいるような顔をしていたが、その言葉に首を振った。

「いや――」

 そう呟いたかと思うと、彼女は酷く神妙な顔付きをして、突然でこんなことを言いはじめた。 

「ねえ、私たち、何か知ってるよね?」

 彼女の目の中で、困惑と確信がない交ぜになっているのをノラは見た。

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