第39話 余りは淋しい

 マリィの声に、冴えていたノラの頭が一瞬鈍くなった。

 箱の中の時間はまた早まり、いくつもの陽が昇り、落ちた。恐竜たちは、変わらず栄光の時代を生きている。大地を統べている。

 しかし、次の瞬間、ノラの目の端で赤く燃えた。

 硝子の中はすっかり赤く燃えてしまっている。大きな燃える火の石が、次々と大地に降り注いでいるのだ。少し前の炎の塊とは比べものにならない。

 目に見えるもの何もかもが燃え、じきに黒煙があたりを包み込んだ。

 箱の中に黒煙が充満して、動いているのかいないのか、それさえも分からなくなる。

「恐竜は?」

 ノラが言うと、マツダはなぜかゆるく笑って言った。

「死んだよ」

「みんな? みんな死んでしまったの?」

「うん。生き残ったやつらもいただろうけど、それも死んだ。絶滅したんだ、恐竜は」

 その言葉に、ノラはもう一度硝子の中を見た。

 ただ暗い色が見えるだけだ。それは、現在も谷の上を覆っているだろう黒雲によく似ていた。希望を総て吸い取っていくような色だ。

 みんな死んでしまった。何も残っていない。

 すると、マリィが小さく二回、硝子の上を叩いた。

「けれど、まだ生きているものたちもいた」

 もの凄い速さで箱の中の時が流れていく。黒煙が少しずつ形を変え、黒から灰色に、灰色から透明に近づいていった。枯れた大地が現れ、そして、またそこに緑が現れ始めた。

「繰り返しよ」

 大地に色が増え、生き物がまた蠢き始める。

「そして、そろそろ私たちの直近の先祖が現れる」

 遠くで大地が少し盛り上がった。それはごく簡易的な人間の住処のように見える。穴を掘り木々を加工し、壁や天井が出来上がる。

 それらの住処が目まぐるしく、様々な場所に現れては、消えていった

 人間がいるのだ。箱の中に流れる時間が早くて、個々として識別は出来ないけれど、そこに人が生きていることは分かる。

 ノラは硝子に手を振れ、もっと近くではっきりそれを見たいと願った。

 時間の流れが遅くなり、景色が近づいてくる。

 そうして、ノラはやっと人間の姿が確認した。それらは歩き、座り、大きな木を持ち、馬の首元を触り、あるいは、何か互いに話をしているようだった。

 動いている。生活している。

 しかし、それらはノラたちと全く同じような姿形をしてはいるが、一つ決定的に違う所があった。

 ふいにノラは先ほどマリィが放った言葉を思い出した。

 かつて、我々は一つの種族だった。

「これが、ぼくたち?」

「そう。少し前の私たち」

 そんなはずはない。だって――。

「翼がない」

 ノラの言葉に、マリィはごく軽く「ええ」と相槌を打った。

「我々はかつて、ただの一人も翼を持ってはいなかった」

 翼を持っていない。ノラには、自分が今抱えている感情が何であるのか、上手く観測出来なかった。自然に納得しているようにも思うし、体が震えるほど何かを拒否しているようにも思える。

 なぜ、翼の生えた人がいないのだろう。

 すると、マリィはやはりなんでもないことのように付け足した。

「もちろん、特異も持っていなかったのよ」

 その言葉に、ノラの頭の中はすっかり穴が開いてしまった。すとん、と言葉が体を打ち抜いていって、あとには何も残らなかった。

 マリィが続ける。

「私たちは、翼を持たず、特異も持たず、その変わりに沢山の言語を持っていた。かつての私たちは、全くひとつの、全く同じ種族だった」

 箱の中では、高層建築が建ち始めていた。

 それは今現在、地上で見られるものと全く同じだった。何もかも同じ。ただ一つ、大きくえぐれた地面がないだけだ。

 そうだ。ここには谷がない。

 箱の中のどこを移動して見ても、水のない池が見当たらなかった。人間に翼がついていないと同じで、その他は全て同じなのに、池だけがない。

 地上の西にあるような小さな木の平屋も、北の学院に似たものも、工場地帯も、すべて同じ。ただ、翼と谷がない。そして特異もいないと混じりは言う。

 ノラはもう一つ、自分の知っている世界と違う部分を発見した。しかしそれは、今でも存在していると言われているものだ。

 果てがないように見える水たまり。誰が動かしているわけでもなさそうなのに、それらは常に大きく蠢いている。沢山の生き物が生きている水の化け物。海。

 こつん、とマリィが硝子を叩いた。

「そしてまた繰り返し。滅びの時間」

 すると突然、大地の真ん中が大きく膨れ上がった。

 短く息を吸う音がする。しかし、それはノラ自身がたてた音だった。

 見てはいけないものが、目に入ったのだ。

 今や、箱の中は、再び闇に包まれている。建物も人間たちも、瞬きの間に燃え尽き、全て消えてしまった。

 これは違う。これはさっきまでの滅びとは違う。

 炎の塊が土から流れ出したのでも、上空から火の玉が落下してきたのでもない。今のは。

「魔法?」

 ノラは急いで箱に触れ、中の時間を巻き戻した。

 一瞬の滅びの少し前、世界はまったく正常に働いていた。建物があり、人がいて、海が見える。しかし、ある一点に恐ろしいものが存在しているのが分かった。

 そしてもう一度、ゆっくり時間を進めた。その場所を拡大して、見逃さないようにゆっくりと。

「こんなこと」

 ノラの声はそこで途切れた。こんなことは許されるはずがないのだ。

 彼らは、魔法を使ったように見えた。しかしそれは本来、考えることさえ許されないようなものだ。

 世界に存在するさまざまな形を組み替え、別の物を作ることをノラたちは魔法と呼んでいる。けれどそこにはただ一つ、絶対に破ってはいけない規則がある。

 それは、どれだけ形を細かくばらしても、組み替える時には、決して、一つの余りも生み出してはいけないということだ。全ての形を、すっかり組み替えてしまわないといけない。

 あまりを出してはいけないのだ。

 それは――禁忌だ。

 箱の中の人間たちは、不完全な形をいくつも作り上げ、無数の余りものを生み出していた。余りものたちは、自分も何かの形になろうと、必死になって動き回る。

 けれど、余りもの同士では形は作れないのだ。それでも、余りものたちは形になろうと動き回る。スピードを上げ、悲鳴のように動き回る。

 こうなるから、全てをきちんと組み換えなくてはいけないのだ。ひとつでも余りをだせば、それが狂気的に動き回り、他の形を壊し、また新たな余り物が出来る。そうして増幅し、もはやそれらのスピードは制御出来ない。

 そして突然、その時は来た。

 ひとつの余りものが、自らの速さについていけず、弾け飛んだ。

 すると、それに共鳴し、連鎖して、次々と全ての余り物たちが弾け飛んでいった。

「こうして彼らは、全ての形を壊してしまった」

 今や、箱の中には黒雲が広がり。暗いだけの世界で時だけが流れている。

「どういうことだ?」

 マツダの声は酷く軽かった。きっと見えなかったのだろう。

 けれど、ノラには恐ろしくて何が起ったのか説明することも出来ない。考えれば考えるほど、恐怖で体が固まっていく。

 それでも、未だ冴え渡っているノラ頭は、体が震えていることなど気にも留めず、考え続けていた。

「これは――彼らのうちに、魔法使いがいたということですか」

 マリィが微かに首を振る。

「いいえ。彼らは魔法を知っていて、それを作り出す術を持っていただけよ」

「それって、魔法使いとどう違うんですか」

 マツダが言った。マリィは笑った。

「魔法を使えるということと、魔法と同じ効果を生み出せる、ということは違うわ」

「はぁ」

 マツダがよく分からない、という顔をする。ノラも理解出来なかった。魔法を使えるのならば、それは魔法使いだろう。しかし、マリィはやはり首を振り、少し笑った。

「いいえ。彼らは魔法使いではない。少なくとも、我々のような魔法使いではなかった。私も完全には理解できていないけれど――そうねえ、たとえば、あなたたちは昇降機に乗ったことがあるわね?」

 ノラとマツダがそれぞれ頷くと、マリィも頷いた。

「あれは私たちが魔法を使って、高い所から地上に降り立つのと、似ているようで違うでしょう」

 マツダは少しも納得出来ない、という顔をしている。

「全然別のものに思えますが」

「それは過程ばかりを見るからよ。結果だけを見れば、魔法も昇降機も、同じように肉体は空から地上へ降りている。似ているというより、その点だけを見れば全く同じなのよ。私たちは魔法を使って水を操ることが出来るけれど、ここにある水道だって、蛇口を捻るだけで水が出てくるのよ」

 そう言って、マリィは炊事場まで行くと、蛇口の栓を捻って見せた。当然のこととして、その口からは水が流れ出る。

「私たちはこれを魔法とは呼ばない。でも、これはとっても魔的なことなのよ」

 マリィは惚れ惚れと水道を眺めた。ノラは、そして恐らくはマツダも、納得したようなしないような微妙な気持ちになった。それを見て、マリィは理解が得られなくて残念、というように軽く笑った。

「彼らの魔法の使い方については研究中だけれど、ともかく――彼らは魔法を使う術を持っていたけれど、その使い方を間違えてしまった」

 硝子の中を覆っていた黒雲が、また少しずつ晴れていった。黒雲は灰色になり、灰色が透明に変わっていく。そして大地が現れる。全くの繰り返し。

 ただ、今度は現われた大地は、真ん中が大きくえぐれている。

 丸い円を描いて。

「谷」

「そう。これが今私たちに谷と呼ばれているもの。その最初の姿」

 大地の色はただ茶色いばかりで、どこにも何もない。

 けれど、ノラはその後に何が生まれるのか、もうすっかり知っているのだ。陽が沈み、雨が降り始める。土が濡れ、また陽が昇り、大地を照り付ける。

 旭日。落日。朝がきて、夜になる。そしてまた朝になると、ぽつりぽつりと、大地には色が付くのだ。緑色に変わっていく。そして、彼らは増殖する。大地が緑に浸食される。谷の外も、谷の中も全て緑に染まる。

「強くなってる」

 ノラが言うと、マリィは頷いた。

「ええ。彼らは繁栄と滅びを繰り返し、進化した」

「進化?」

「そうよ。そしてまだ――また、生き残っているものたちがいた」

 そう言って、マリィは目を伏せて箱の中を見た。

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