第26話 夜が来て光はない
庭園を辞すると、窓から見える景色には影が差し始めていた。と言っても何も見えないのだから、平生と大して変わりがあるわけではない。
それでも、日が沈めば夜は夜だ。
ノラが廊下を進むとランプの火が灯って、通り過ぎると消えていく。後ろからこつこつと、一定の軽さ、あるいは一定の重さの足音が続くのが無性に気になった。
マツダは先ほどから何も言わない。何かを言いたいのだろうけれど、ノラが暗にそれを拒否しているから黙っているのだ。
窓の向こうに見える黒雲が、闇の濃度を増している。そうして時々、落雷の轟音が、大きな音のまま小さくなって、耳に届いてくるが不思議だった。
ごうごうと。
何かの鳴き声みたいだ。
「お嬢」
ついにマツダは、ノラの横へ来て呼びかけてきた。
「大丈夫ですか?」
なぜいつまでも敬語を取り払わないのだろう。
こんな風に、今まで気にとめなかったことが、酷く気になるのはなぜなのかノラには分からなかった。
「マツダは、ぼくの何かが大丈夫じゃないと思うの?」
「そりゃあ――」
マツダが少し動くたびに、服についた鳥の羽がひらひらと揺れた。彼の肩や頭の上に鳥が止まる、その気持ちがノラには痛いほどよく分かる。その足や腕に、巻き付いてしまいたいという蛇たちの思いも。
けれど、ノラは生まれたときからその慈愛を完全に手にしているのだ。マツダは出会った時から、もうすでにノラたちの従者だった。自分で手に入れたものではないのだ。何もかも、自分の力で手にしたものではない。それがずっと淋しかった。
だから、間違えたのだ。
あの日。
「友達だろ?」
マツダは眉を潜めて言った。随分苦しそうな顔をしている。
「ともだち?」
ノラが繰り返すと、不満げな声が返って来た。
「そうだよ。お前がそう言ったんだろ? 友達と遊んできたんだって、俺に言った。その友達を、何でわざわざお前が倒しに行かなきゃいけないんだよ。あの人らが決定したことは仕方ないにしても、何もお前が」
マツダの言葉の途中で、ノラは大きく首を振った。
「違う。ちがうよ! ともだちじゃ、ない」
言葉を吐くたびに喉がきゅっと締まって息苦しくなる。気が付けば瞳からはまた涙が流れていた。あれだけ泣いて、もう絞りつくしたと思ったのに、まだ出るのか。
「あ、ごめん」
そう言って、マツダはノラの頭をぐっと自分の胸に抱き寄せた。
「すみません、お嬢。泣かないで――俺が悪かった。ごめん、ノラ。泣くなよ」
マツダが喋るたび、ひらひらと目の前で羽が揺れる。
けれど、その可笑しさを伝えたい人間は、もう傍にはいないのだ。
「キィコさん」
その名前を呼ぶ度に、色彩が蘇るようだった。あの彩度の高い、体液と土埃と生活が張り付いた、目映い彼女の笑顔が――。
キィコはノラにとって友達というのではなかった。
「あの人は、ぼくの」
光だ。
光だった。
間違いだと知っていて、あの日抱いた。希望そのものなのだ。
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