ep25 あなたが好きよ


 まだ村人も寝静まっている夜明け前。ルーサーはシリーの家の前に立っていた。

 扉をノックしようとした手は、その寸前でぴたりと止まる。


『お前のせいで婆さんは!』


 昨晩、テオに吐き捨てられた言葉が頭の中に木霊する。

 自分はこの扉を叩いていいのだろうか。心優しい彼女の家を訪ねる資格はあるのだろうか。

 だが、きっと、彼女は孫の安否を気にしているはずだ。

 テオの無事を伝えたらすぐに帰ろう。そうして、もう二度とこの場所には来ないのだ。これが最後。シリーに会う最後だ。


「——どちらさま?」

「…………っ」


 深呼吸を繰り返し、意を決して手を動かそうとした瞬間扉が開いた。

 隙間から顔をだす、少し弱々しいシリーと目があって思わずルーサーは身じろいだ。


「ルーサー! テオ……孫を見なかった? 昨日一人で山に入ったきり帰ってきてなくて」


 来訪者がルーサーだと分かった途端、シリーは彼女に掴みかかった。

 いつも綺麗に束ねられた髪がほつれている。寝巻きこそきているが、きっと心配で眠れない一夜を過ごしていたのだろう。


「どうしましょう。村の猟師にいったのだけど、誰も動いてくれなくて。アルバート——今、テオがお世話になってる猟師さんが、夜が明けたら山に探しに入るっていっているのだけれど」

「……っ、シリー」

「どうしましょう。息子のようにテオも山から帰らなかったら……私……私…………」


 肩を掴むシリーの手は酷く震えていた。声も徐々に涙に濡れ、今にも泣き出しそうに瞳が潤んでいる。

 若くして亡くなった彼女の息子も、また猟師だったと本人の口から聞いたことがあった。

 彼女がどれだけ、テオを、その家族を大切にしているか。家に飾られた写真をいつも眺めていたからそれは明らかだった。


「……シリー。落ち着いて。よく聞いて」


 ルーサーはそっとシリーの肩を掴み、その目を真っ直ぐと見つめた。

 泣いているシリーを見ると自分も悲しくなってくる。鼻の奥がつんとするのを感じた。


「テオは、大丈夫。森の奥で怪我をしているところを見つけて、今私の家にいるわ」


 その言葉にシリーははっと目を見開く。

 シリーが口を開く前にルーサーはさらに続けた。


「クマに襲われて右肩を負傷してたの。村に運んでいたら間に合わないと思ったから、私の家で治療してる。熱も少し下がってきたから、起き上がれるようになったらすぐに帰ると思うわ」

「………………………よかったぁ」


 深い息をついて、シリーはその場にずるずると座り込んだ。

 シリーを支えながら、ルーサーも一緒にその場にしゃがみ込む。


「貴女がテオの面倒を見てくれているのね……それなら、安心だわ……本当に、よかった」


 うわ言のようによかったと繰り返すシリーの背中をルーサーは優しく撫でる。

 こんな優しい女性が村人たちから疎外されているだなんて、そう考えただけで心が痛んだ。

 自分のせいで、彼女に、彼女の大切な家族に迷惑をかけてしまう。


「……シリー。ごめんなさい」


 シリーの背をさすりながら、ルーサーはぽつりと謝罪の言葉を呟いた。

 そして彼女からそっと離れ、立ち上がる。


「じゃあ……彼の無事だけ、伝えたかっただけだから。私が責任を持って彼の怪我を治すから」


 そういってすぐにシリーに背を向けて歩き出した。


「ルーサー?」

「シリー、さようなら。元気で」


 これを伝えたらもう二度とここには来ない。そう決めていた。


「ルーサー! ちょっと待って」


 シリーはルーサーの異変を感じ取り、慌てて声をかけた。

 背中にシリーの声がかかる。けれど足は止めない。だが、二度三度と呼び止められれば足を止めそうになってしまう。


「ルーサー!」


 十メートルほど離れたところで、シリーはルーサーに駆け寄り腕を掴んで引き止めた。

 シリーは足が悪い。ルーサーに追いつくために走るだなんて無茶なことを。


「っ!」

「シリー!」

 

 ルーサーの腕を掴んだ拍子にシリーは体勢を崩した。

 それを見たルーサーは慌てて彼女を抱きとめた。


「……ルーサー。お願い聞いて。私は、なにも気にしていないわ」

「……っ、なにを」


 思わず振り返ったルーサーは息を飲む。

 シリーはとても悲しそうに微笑んでいた。彼女には、すべてお見通しだった。

 自分の境遇も。テオが彼女になにをいったのかも。そして、ルーサーが自責の念を感じ、もうここには二度と現れるつもりはないということも。


「貴女はなにも悪くない。テオも、カラムも、村人も…………そして、私も。皆、それぞれの考えがあって生きている。考えが違う人間たちが皆仲良く暮らしていくのはちょっと難しいだけ」


 シリーはルーサーを優しく抱きしめた。


「いいたい人にはいわせておけばいい。私は惨めだなんて一度も思ったことはないもの」


 実の子にするように、シリーはルーサーの背中を優しく撫でた。


「貴女は私の大切なお友達。ルーサーと会えなくなったら、私それこそ寂しくて死んじゃうわ」

「シリー……」


 おどけて笑うシリーにルーサーは困ったように眉を下ろす。

 決めたはずの硬い決意が緩んでいってしまう。だめだ。またシリーに迷惑をかけてしまうと、ルーサーは無理矢理シリーから目を逸らした。


「ねぇ、ルーサー?」


 シリーは満面の笑みを浮かべると、さらにきつくルーサーを抱きしめた。


「私は、貴女が大好きよ。カラムだって、貴女が大好きだったわ。貴女のことが大好きな人は、きっと貴女のそばにいてくれるから……だから、そんなに自分を責めないで」


 ああ、彼女にはかなわない。

 そう諭されると、縋ってしまう。いつもいつだって、優しい彼女に頼ってしまう。


「……っ。私は、貴女に会いにきてもいいの?」

「もちろんよ。だって、貴女は私の大切な友人だもの」


 ルーサーは思わず涙を一粒こぼし、シリーにすがりついた。

 どうしていいかわらかない。自分が何をすればいいのかわからない。ふと時折消えたくなる。


「私も、シリーが大好きよ」


 けれどここにいてもいいといってくれる人に、シリーの存在にどれほど救われたのか。


「……さぁ、中に入って。お茶を飲んで帰りなさい」


 そうしていつものように、ルーサーはシリーに手を引かれ家の中に招かれるのであった。

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