ep20 眠れない夜の語らい


「師匠……」


 ガラスで切った手を手当てし、心を落ち着かせるために水を飲もうとキッチンに向かうと、エリューがダイニングテーブルに突っ伏していた。


「……師匠」

「エリュー。まだ起きてたの? 先に寝ていてよかったのに」

「眠れなかったので、ホットミルクを飲んでいたんです。師匠も飲みますか?」

「ありがとう。自分でやるから大丈夫よ」


 ルーサーは戸棚からマグカップを取り出し、小鍋にミルクを入れてかまどにのせる。

 ふつふつと鍋の縁に小さな泡が沸き立ってきた頃合いでマグカップにミルクを移し、力なく突っ伏しているエリューの向かいに腰を下ろした。


「そんなに眠いのなら無理して起きてなくて良いのよ。ベッドにいってゆっくり休みなさい」


 エリューとて、今日は早朝から慣れない魔法を使って疲労困憊のはずだ。

 ルーサーは彼女が眠っていると思って、その肩を優しく揺する。


「必死に助けたのに……あの人酷いです」 


 むくりと顔を上げたエリューは、頬をぷくりと膨らまし見事なまでなふくれっ面を浮かべていた。


「あそこで助けなければ、あの人は死んでいたわ」

「そうですけど。あまりにも酷すぎます。最低です」


 どうやら湧き上がる怒りに興奮してエリューも眠れなくなってしまったのだろう。

 床につかない足をぱたぱたと動かしながら憤る弟子の姿に思わず笑みを零しながら、ホットミルクを一口啜った。


「師匠。ハチミツ入れますか? おいしいですよ」

「……じゃあ、いれようかな」


 そうして、エリューは蜜壺を取り出しそこからひとすくい、ルーサーのミルクの中にとろりとハチミツを入れた。

 ほのかな甘さと、やすらぐ香り。

 ルーサーはふう、と深いため息をついて椅子にもたれかかった。


 今日は一日色々ありすぎて、酷く疲れた。

 テオは取り敢えず命の危機は乗り越えた。だが、まだ熱は高かったから夜中に何度か様子を見に行かなければならない。

 寝室で寝たら絶対に朝まで起き上がれない。リビングのソファで仮眠を取るていどにしようか。

 それにしても、村の様子も気になる。なにより、彼の祖母であるシリーもきっと心配しているに違いない。

 テオにあんなことをいわれた直後ではあるが、明日の早朝にでもテオの安否を伝えるためにシリーの家に赴かねば——。



「——師匠?」


 額に手を当て、目を閉じながらぐるぐると考え込むルーサーの耳にエリューの声が飛び込んできた。


「…………ごめんなさい。少し考え事をしていて……なぁに?」


 体を起こすと、エリューはマグカップを両手に握りしめ神妙な面持ちを浮かべていた。


「人間はあんなに魔法使いを嫌っていたんですね」

「……魔法使いはそれ以上に人間を恨んでいるんでしょう」


 少しだけ重い空気が流れる。

 魔法使いと人間の確執。ルーサーはカラムから教えられ、エリューは魔法界でそのことを嫌という程教わってきた。


「あたしたち魔法使いは悪いことをしていません。魔法で人間を助けていました」

「そうね。でも、人間は自分たちと同じ姿をしているけれど自分たちには使えない力を持つ魔法使いを恐れ始めた」

「だから魔女狩りがはじまったんですよね」

「……自分たちと異なる者はどうしても迫害の対象になってしまうから。それは人間も魔法使いもそうでしょう」

「…………そう、ですね」


 人間達に迫害を受けた魔法使い。無実な同族達を根絶やしにされかけた魔法族が人間を恨む気持ちもよく分かる。

 そしてルーサーやエリューも、落ちこぼれだと蔑まれ、同族から除け者にされた。


「魔女狩りが終わった今でも人間は魔法使いを恐れ、そして魔法使い達は人間を嫌い、生物として見下している。同じ、人間なのにね」

 二人は俯きがちにカップの中を覗き込む。


「エリューも、人間が嫌い?」


 ルーサーの言葉に、エリューは顔を上げた。


「あたしはまだ人間と交流していないから答えは出せません。でも、人間を恨んでいるわけじゃない。できることなら、仲良くなりたいと思っています」

「……そう」


 エリューの言葉にルーサーはほっとしたように微笑みをこぼした。


「師匠は……人間や魔法使いがお嫌いですか?」


 エリューから返された質問に、ルーサーは言葉を詰まらせる。

 人間として生まれ、魔法使いに育てられ、現在は魔法使いとして生きているルーサー。中途半端な彼女はどちらにも属せず、一人ぼっちの存在だ。

 自分を捨てた人間を恨んでいないといえば嘘になる。魔法使いを嫌っていないといっても嘘になる。

 だが、自分によくしてくれるシリーという人間がいた。我が子同然に愛情を注いでくれるカラムという魔法使いがいた。


「…………私は、自分を認められたいとは思わない。でも、私のせいで誰かが傷つくのは許せない。師匠も、シリーも、エリューも。そして、あの人も」

「皆、仲良くできればいいんですけどね」

「貴女のような魔法使いがいれば、少しずつでも変わっていけるかもしれないわね」


 心やさしい魔法使い見習い。

 彼女のような考えを持つ魔法族が少しずつ増えてくれれば、シリーのような考えを持つ人間が増えてくれれば——二つの種族の溝も埋まるかもしれないのに。



「エリュー……もう、寝ましょうか。夜になるとつい色々考えてしまうから」


 そんなことを二人で考えたところで現状はなにも変わらない。

 それよりも今日はお互い疲労をゆっくり取ることが大事だろう。二人はゆっくりとホットミルクを飲み干した。


「師匠はリビングで寝るんですか?」

「ええ。夜中に様子を見に行かないといけないから」

「なにかあったら起こしてくださいね」


 毛布を持ってリビングに移動するルーサーに、エリューは心配そうに声をかける。


「ええ。ありがとう。おやすみ、エリュー」

「おやすみなさい、師匠」


 月が空高く輝くころ、二人はそれぞれの寝床についた。

 こうして長い長い一日は幕を閉じたのであった。

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