ep21 あなたが嫌いです


 遠くから小鳥の囀りが聞こえる。

 カーテンが開かれる音が聞こえ、瞼の向こうに眩しい光を感じた。

 光から逃れるように身じろぎすると、額の上から何かがずり落ちる気配を感じ、テオははっと目を開けた。


「………………あ」


 ベッドの上に落ちる寸前で掴んだそれは、濡れたタオルだった。

 自分の熱を吸い取り、よく冷えていたはずのそれは生ぬるくなっている。

 体が大分楽になり、右肩の痛みも少し引いていた。何よりすんなり体を起こせるようになっていたことに青年は驚きを隠せない。


「——おはようございます。お目覚めになられたようで良かったです」


 声が聞こえた方を見ると、おさげの赤髪の少女が窓を開けていた。

 窓の外はすっかり日が高い。どうやらあれから今までぐっすりと眠っていたようだった。

 少女はベッドに歩み寄ると、じっとテオの顔色を伺った。


「熱も下がったようですね。顔色も良さそうです。後ほどまた薬を塗って、包帯を巻き直しますので」


 少女はじとりとした目でテオを見つめると、素っ気なく部屋の男の手からタオルと抜き取り部屋の掃除をはじめた。

 部屋を見回すが、あの白い魔女の姿が見当たらない。


「……あの魔女は」


 その言葉に少女は肩をぴくりと震わせ、きっと青年に向きかえる。


「ルーサー師匠は村に向かいました。シリーさんにお兄さんのご無事を伝えに」

「余計なことを」


 その答えにテオは小さく舌打ちした。

 昨晩、村でのシリーの立場を嫌というほど突きつけたはずだ。本人も浮かない顔をして責任を感じていたようだが、また性懲りも無く村に向かったのか。

 自分がこの家に匿われていると知られたらまた祖母の立場が悪くなる。あの女はなにもわかっていない。魔法使いというのはどこまで厚顔無恥なのか——言葉にならない腹立たしさがテオの胸にこみ上げる。


「あたし、あなたが嫌いです」


 少女の冷たい声が耳に突き刺さった。

 テオが眉をひそめながら顔を上げると、少女は怒りを含んだ真っ赤な瞳を真っ直ぐと青年に向けていた。


「君も魔女なんだろう」

「まだ魔法使いではありません。あたしは魔法使い見習い。修行中の身です」


 昨晩は半信半疑だったが、こんなに幼い魔法使いもいるものなのだとテオは少しだけ驚いた。

 逸らされることなく真っ直ぐと向けられた少女の瞳には、確かな怒りと嫌悪を感じ取れた。


「俺たちが魔女を嫌っているように、君も俺たちを嫌っているんだろう」


 人間と魔法使いは相容れることはない。

 魔女狩りという制度が終わった今でも、その深く刻まれた溝は埋まることない。

 人間が魔法使いを嫌悪しろと親から教わっているように、彼女たちもまた人間を憎み見下せとそう教育されてきたのだろう。

 注がれた視線に耐えきれず、テオが目を逸らすや否や、少女はその言葉とはっと鼻で笑った。


「あたしが嫌っているのは人間ではありません。あくまでも、あなた個人が嫌いなんです」


 その言葉にテオは目を見開く。

 すると少女は握っていたホウキを力強く握り締めた。


「あたしが知っている人間界の知識は、魔法界の書物や授業によるもの。あたし自身はまだ人間と関わったことがないので、まだ嫌悪も好意もありません。どちらかといえば、仲良くなりたいとさえ思っています」

「……そんなことを考える魔法使いもいるんだな。師匠サマの受け売りか」

「師匠が必死にあなたを助けたのかも知らずに、一方的に罵倒するなんて。魔法使いがどうこういう以前に、一人の人間として最低のことだと思います。だから、あたしはあなたが嫌いです」


 きっぱりとした物言いに、思わずテオは言葉を失った。

 何をいわれても彼女たちには恨み言を返そうとしていたのに。ぐうの音も出なかった。

 気まずさを覚え、テオが視線をベッドサイドに向けるとプレートの上に小さな鍋とテーブルロールが置かれていた。


「朝食です。具合が良くなってきたので、食べてください」

「……魔女が作ったのか」


 少女は壁に箒を立てかけ、テオに歩み寄る。


「師匠が作りました。あなたのために、です。あんな酷いことをいわれたのにも関わらず、師匠があなたを助けたいという気持ちは微塵も変わっていません。だから、腹立たしいけれど……師匠のためにあたしはあなたを看病します」


 少女はプレートをずいと青年に差し出した。

 手で払いのけることもできず、青年はそれを受け取ることしかできない。


「師匠は否定してますけど……師匠の料理には魔法がかかっています。食べたらすぐ元気になると思いますよ。一秒でも早くこの家から立ち去りたいのであれば、よく食べて、よく寝て早く元気になるのが得策です。食べ終わるころにまた来ますから」


 そうして少女は言いたいことだけ言い残すと、箒を手に部屋を後にしようとする。

 立ち去る前に、あ、と思い出したように足を止めテオを見た。


「師匠は『魔女』という呼称ではなく、『ルーサー』というとっても素敵なお名前があります。ちなみにあたしの名前は『君』ではなく『エリュー』といいます。それじゃあ、また。魔法使い嫌いの猟師さん」


 たっぷりと嫌味を言い残し、エリューはその場から立ち去っていった。

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