ep17 目覚めたのは見知らぬ場所

 ゆっくりと目を開けた男の視界には見知らぬ天井が広がっていた。

 咄嗟に起き上がろうとするが、体は鉛のように重く思うように動かない。

 周囲を確認しようと力を振り絞って首を動かすとぽとりと濡れタオルが落ちた。


「…………ここ、は」


 口内が痛いほど乾燥し、酷く掠れた声を出すだけで堪らず咳き込んでしまう。

 男はベッドの上に横たわっていた。上半身は裸で右腕に巻かれた包帯からは滲んだ血が乾いていた。

 窓を見ると、外は暗く夜の帳が下りている。誰かが自分を村まで連れ戻し、治療をしてくれたのだろうか。

 師匠や祖母の家とも雰囲気が違う。どの村人の家なのか皆目見当もつかない。

 その時、部屋の扉が開く音がして男ははっと視線を向けた。


「————あ」


 二つの声が重なった。

 扉からひょこりと顔を覗かせていたのはまだあどけなさが残る赤いおさげ髪の少女。

 男と目が合うと、少女は丸い大きなルビー色の瞳をさらに丸くしぱちくりと瞬きを繰り返す。


「あ、あの…………キミ、は……………」

「……………………起きてる」


 長い沈黙の後、少女はぽつりと呟いた。


「起きた! 師匠! 猟師さんが起きました!」


 状況を飲み込んだ少女はうるさい位に声を張り上げる。


「ちょ、ちょっと……落ち着いて……」


 どうしよう、どうしたら……と入り口で少女はうろうろと慌てふためいている。

 こちらが心配になってきてしまう。男が恐る恐る声をかけると、少女ははたと動きをとめ男に視線を向ける。小刻みでキレがいいその動きはまるでリスのような愛らしい小動物を彷彿とさせた。


「あ、あのっ。動かないでくださいね。無理したらすぐに傷が開いちゃうって師匠がいってましたから」

「師匠……?」


 こんな小さな子が医者の手伝いをしているのだろうか。


「あっ、今師匠を呼んできますね! えっと……ついでに、タオルも濡らしなおしてきます!」


 男の枕元にそそくさと近づき、少女は濡れタオルを手に取るとぱたぱたと慌ただしく部屋を出ていった。


「…………な、なんなんだあの子は」


 嵐のように少女は去り、部屋に一人残された男は呆然と目を瞬かせた。

 動こうにも体は動かないし、意識が戻ったことで痛覚が研ぎ澄まされてきたのか、右腕は痛み熱く鼓動をうっている。



 あの大きな熊に襲われてよくぞ生き残ったものだと、男は自嘲を浮かべる。

 生きているということはまだ死ぬべき時ではないのだろう。

 どこの誰かは知らないが、命の恩人だ。あの少女とここの家主には感謝しなければ——。


「エリュー。ちょっと落ち着いて。そんなに慌てなくても大丈夫よ」

「師匠、早く。猟師さんが起きたんです!」


 扉の向こうから足音が二つ近づいてくる。

 一つは少女のもの。もう一つは柔らかな声、落ち着いた足音。おそらくここの家主だろう。

 足音は扉の前で止まり、小さなノック音がした後ゆっくりと開かれる。

 思わず男は緊張で身構えた。



「目が覚めてよかった。具合はどうですか」


 現れた女を見た瞬間、男の目はこれでもかと見開かれる。

 真っ白な服。亜麻色の髪、エメラルドの瞳。自信なさげにいつも俯いているその顔は忘れず目に焼きついている。


 村の皆が噂していた。

 白いローブを纏った魔女が、山の麓に一人で暮らしていると。

 その魔女は週に一度一目も憚らず村にやってきて、ある場所に向かう。

 村人と目が合うと、申し訳なさそうに目を逸らす。だが厚かましくも何度も村に訪れる無礼者。


「…………………………白い、魔女」


 男の口から吐き出された言葉は呪いのように重く忌々しいものだった。

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