2章「おちこぼれの想い/偏見と野菜スープ」

ep13 早朝の木苺摘み

 人里離れた山の麓に暮らす魔法使いルーサーの元に、見習い魔法使いエリューがやってきて早一週間。

 相変わらずエリューの修理魔法は上手くいかず、リビングの屋根には大穴がぽっかりと開いたままだった。

 今のところ気候に恵まれ雨は降ってはいないが、そろそろ手を打たなければ家中水浸しになってしまう。

 村から大工を呼ぼうにも魔法使いに力を貸してくれるはずもなく、ましてや女子二人に木材を屋根にあげてなおすという力もないため、現時点ではエリューの魔法の上達を祈るしかなかった。


「師匠! このくらいのでいいですか?」

「うん。その位の赤さならしっかり熟して美味しいはず」


 早朝、朝露が葉に滴る頃、二人は少し山に入り、木苺を取りに出かけていた。

 カゴ一杯に摘まれた真っ赤な木苺。エリューの紹介も兼ね、木苺のジャムを作りシリーの元へ届けようとルーサーは考えていた。

 エリューは人間界での生活が物珍しいのか、何をするにも目を輝かせていた。

 まだ慣れないことばかりだが、人手が増えるということは楽になるということで。ルーサーも二人暮らしに少しずつ慣れはじめていた。


「一粒味見してもいいですか?」

「……仕方ないなぁ。一粒だけね」


 一応尋ねてはいるが、エリューの手はすでにカゴの中の木苺に伸びていた。

 ルーサーの了解を得た瞬間、大きい木苺を一つ口に放り込む。


「んーっ! 甘酸っぱくておいしいです!」


 ぷちっと果肉が弾け口の中に広がる甘酸っぱさ。エリューは頬を綻ばせながら恍惚の表情を浮かべた。

 エリューはすっかり人間界の食事の虜となり、食べ物のこととなると食いつきが凄まじい。まあ、今までの生活があのお世辞にも美味しいとはいえない魔糧丸マジックフードであれば、こうなるのも不思議ではない。


「……さて。これくらいあれば十分ジャムが作れるね。そろそろ家に帰りましょうか」


 ルーサーが持つカゴの中に山盛りになった木苺。

 そろそろ家に戻ろうとエリューに声をかけると、彼女は山奥に視線を向けたまま立ち竦んでいた。


「あの、師匠。この奥に行けばもっと立派な木苺がありますよ?」


 エリューが指差す場所。確かに点々と赤く、立派な木苺がなっているのが見えていた。

 ルーサーはエリューの肩に手を当てながら首を横に振る。


「ここから先は私たちが行ってはいけない場所。この先は動物たちの領域だから」

「……動物の領域?」

「この山には色んな動物が住んでいるの。元々は彼らの住処であったこの場所を、人間が切り開いて人里を作った。私たちは動物たちに山を借りているだけ。だから、ここから先は動物たちの住処。薬草も木の実も立派なものが多いけれど、それは私たちが取っていい食べ物ではないわ」

「魔法界でいう、妖精たちが住む禁域のようなものですね」


 納得がいったようにエリューは頷いた。


「そうね。この先に進んで良いのは猟師だけだから」

「……リョウシ?」

「肉や皮を得るために動物を狩る人たちのことよ。人間も生きていくために食べ物は必要だから、年に何度か猟師たちがこの先に入って最低限の狩りをしているの」

「禁域に唯一入ることができるなんてかっこいいですね!」

「その分危険はつきものだけどね」


 ルーサーの表情が少しだけ曇った。

 猟師達は山に行く前必ずルーサーの家の前を通って行く。

 大きな獲物を取って嬉々として帰ってくる時。誰かが負傷して肩を貸されながら帰って来る時。そして、山に飲まれたのか帰って来る人数が一人減っている時。

 人間は自然に敵うことはない。時に生きて帰ってこれぬこともある。

 動物達の命を奪うのだから、奪われる覚悟もしなければならない。だからこそ猟師は命がけで、神聖な職業なのだ。

 今朝も一人猟銃を抱え山へ向かう人影が見えたから、無事を祈るばかりだ。

 そんなことを思いながら、ルーサーは山奥を一瞬見据え、帰路へと着いた。


「師匠。帰ったら何をするんですか?」

「そうね……朝食を食べてから、この木苺でジャムを作って。それからシリーに渡す魔法薬の準備を——」


 その時、二人の背後から突如空気を裂くような乾いた破裂音が山の中に響き渡った。

 二人は肩を震わせ、振り返る。ルーサーはとっさにエリューを己の背中に隠した。


「し、師匠。なんですか……今の音」

「鉄砲の音。きっと猟師が撃ったのね」

「鉄砲……?」

「……動物を狩るための道具。時に人を傷つけることもあるから、とても危険な物よ」


 聞きなれない大きな音に、エリューは不安げにルーサーのローブを握りしめた。

 ルーサーは怯える彼女を安心させるように背中を撫でながら、音の出所を探った。発砲場所はそう遠くはない。恐らく先ほどエリューが見ていた山の奥からだろう。

 だが、いつもと山の雰囲気が違う。銃声が聞こえると鳥達は騒ぐが、今回は異常だ。森は騒めき、木々から鳥たちが慌てて飛び立っていく。

 嫌な予感をルーサーは感じていた。きっと今の音は動物が仕留められたものではない。きっと山の奥に進んだ猟師の身になにか——。


「エリュー。私の側を絶対に離れないって約束して」

「師匠?」

「……なんだかとても嫌な予感がするの」


 山奥に視線を向けたまま動かさないルーサーの表情を見て、エリューは何かを察した。

 不安で震えている己と一緒に、師の手も僅かに震えていた。


「は、はいっ。絶対に離れません!」


 二人分の不安を振り払うように、エリューは元気を振り絞り力強い返事をした。

 魔法使いはあまり人間に関わることはない。ましてや普段なら銃声の一発、なんの気も止めないというのに。何故だか今日は胸騒ぎが止まらない。

 そして朝日がゆっくり昇りかけている山の奥。人間が本来侵入を許されていない領域へ、二人は恐る恐る進んでいくことにした。

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