ep11 師の想い
「エリューはどうして私のところにきたの?」
天井から吹く冷たい夜風。暖炉の前で毛布に包まる二人。
ホットチョコレートを見つめながら、ルーサーからエリューに疑問を投げかけた。
「どうしてもルーサー様にお会いしてみたかったんです」
「落ちこぼれの
自嘲するルーサーにエリューは真面目な顔で頷いた。
「ルーサー様が魔法使いになる前から、魔法界では貴女の噂が時折流れておりました」
「……まぁ、最高位の弟子がこんなのだったら噂されて当たり前でしょうね」
肩を竦めながらルーサーはホットチョコレートを啜る。
自分のことが悪く噂されていることは知っていた。だからカラムもそれを彼女の耳に入れないために弟子を一度も魔法界に連れていかなかった。
「あたしがまだ一年生だったころ、学校の特別授業で一度だけカラム様がいらしたことがあったんです」
「師匠が?」
驚くルーサー。
そういえば、時折魔法界に呼びだされたとカラムは家を留守にすることがあった。
いつも渋々出かけていくが、一度だけ楽しそうに目を輝かせて魔法界に赴いていったことをルーサーは思い出す。
「色々な魔法について、実演しながら教えてくれました。あたしには使えない魔法ばかりで……勉強したらこんな風にできるのかと、とても興味深かったです」
エリューは身振り手振りで話してくれる。
ルーサーも幼い頃、カラムの魔法を見るたびに目を輝かせたものだ。
氷で出来た馬車。熱くない触れる炎。星のようにキラキラと輝く光——いつか自分もそんなことができたらと、師の背中を追っていた。それは夢で終わってしまったけれど。
「授業は無事に終わって、質疑応答の時間がありました。その中で、最高学年の男子生徒がカラム様に質問したんです」
『カラム様には一人お弟子様がいるとのことですが、その人が魔法が使えないのは本当ですか』
ルーサーはごくりと息を飲んだ。
まさか魔法学校の生徒にまで自分の話が知られているとは思わなかった。きっと教師がいらぬことを吹き込んだのだろう。
「今まで誰も触れなかったことです。和やかだった教室が緊張に包まれました。まだ一年生の私でも空気の凍りつきがわかるくらいに」
『……ああ。事実だ。私の弟子……ルーサーは魔法が使えない。人間の子だからな。生まれ持った魔力量がとても少ないんだ』
静寂の中、カラムは冷静に穏やかに言葉を積むいだ。
教師陣がほっと肩の力を抜かしたことをエリューはよく覚えているという。カラムはその教師たちを一瞥したが、質問をした生徒に向ける眼差しは優しいものだった。
子供に罪はない。いつも子供によからぬことを教えるのは大人なのだ、とそれがカラムの口癖だったからだろう。
質問をした生徒は魔法学校、最高学年の首席で将来を期待されている優等生だった。
調子づいていた彼はそこで引き下がらず、続けてカラムに言葉を発した。
『ならば、僕を弟子にしてください!』
生徒の手は震えていた。覚悟を決めた言葉だったのだろう。
カラムは一瞬驚いたように目を丸くしたが、首を横に振った。
『……申し訳ないが、私は元々弟子を取ってはいないんだ。ルーサーは私の気まぐれの特例。家の前に捨てられていた赤子を見捨てることはできなかったからな……』
カラムは愛おしそうにルーサーのことを話していた。その顔は師匠というよりは、娘を愛す一人の父親に近かった。
『僕は優秀です! 魔法だってこの学校の生徒の中で一番使えます。先生方だって褒めて下さった』
『……少年。驕りは危険だよ。こんな小さな箱庭を出たら君の上は五万といる』
鼻高々に自分の実力を語る生徒をやはりカラムは優しく窘めた。
『カラム様。どうかお考えいただけませんか。彼は魔法学校きっての天童です。そしてあの赤の魔法使い《レッド・ウィザード》であるグウェン様のご子息——』
そっと校長がカラムに耳打ちをする。
その瞬間、カラムの目がきっと吊り上がり、校長を睨みつけた。
『私は弟子は取らんと何度もいっている。まさか、この為に私をここに呼んだのではあるまいな!』
『い、いえ……そんなつもりは……』
カラムの怒声に校長は怯みながらも、媚びへつらう笑顔だけは貼り付けたまま頭を下げた。
さらに張り詰める講堂の空気に、カラムは深くため息をついた。
『怖がらせてしまった……すまないな、未来ある小さな魔法使いたち。今以上に魔法を学び、立派な魔法使いになっておくれ。だが、私のような偏屈で頑固な魔法使いは見習わないように』
カラムは冗談交じりに笑い、これ以上騒ぎが酷くなる前に講堂を後にしようとした。
優しい笑顔に、行く末を見守っていた全生徒の肩の力が抜けた。
立ち去ろうと背を向け、ひるがえる漆黒のローブ。その美しさにエリューは目を奪われたという。
『お、お待ちください!』
だが、事態はそこで収まらなかった。
一人、立っていた質問者の男子生徒は講堂の階段を降りカラムの元へ向かう。まだ弟子入りを諦めていないようだ。
何せ魔法界に一握りしかいない最高位の黒の魔法使い。誰だってその者の弟子入りは憧れるものだろう。
『きっとお役に立ってみせます! ですから!』
『しつこい男は嫌われてしまうよ、少年』
だが、あいも変わらず軽く窘められた少年のプライドが傷ついたのだろう。拳を握り、カラムの背中にこう叫んだ。
『貴方の弟子より、よっぽど僕の方が有能です! あんな……あんなっ、負け
その名が出た瞬間、緩んでいた空気が再び張りつめた。
黙っていたカラムが、ゆっくりと生徒の方を振り向いた。その顔からは表情が消え、瞳にははっきりとした怒りの炎が宿っていた。
『我が愛弟子をその名で呼ぶな! 無礼者!』
講堂に響き渡る怒号に、生徒は恐れ慄き腰を抜かした。
カラムは怒りに震えた手で、生徒の胸ぐらを掴みあげた。
『魔力量が多いからと、すぐに魔法が使えるからと驕るのも大概にしろ小僧。その魔力量で、魔法学校で習う程度の魔法使えて当然だバカモノ! 鼻高々に驕るほどのものでもないわ!』
『…………っ』
生徒は怯え、その目に涙が浮かぶ。
しかし周りの教師たちは誰も助けに入らない。そこまで最高位の魔法使いは不可侵の存在なのだ。
『良いか。我が弟子は魔法は使えない。だが、人一倍努力をしている。生まれ持った魔力量だけはどうにもならない。けれど、それが分かっていても……努力が必ず実るものではないと分かっていても彼女は絶対に絶対に諦めない!』
そして、カラムは一息で言葉を続けた。
『それに、彼女はお前たちよりも数百倍も優しい魔法を使える。魔法界がかつて無駄だと切り捨てたものを。私の弟子は、我々魔法使いがなくした人の心を持っている、儚く、優しく、立派な魔法使いだ』
そう言い切って、カラムは今度こそ一度も振り返ることなく魔法学校を出ていった。
それからカラムは一度も魔法界に姿を現さず、最高位の魔法使いだというのにも関わらず魔法界をあげた葬儀も執り行うことなくひっそりとあの世へと旅立っていったのだ。
「……だから、あのカラム様が美しいといった魔法を使えるルーサー様にどうしてもお会いしたくて。こんな私を唯一弟子にしてもいいといってくれた魔法使いの誘いを放り投げてきちゃいました!」
エリューはお茶目に笑った。
その一方でルーサーはマグカップを強く握りしめた。
そんなことがあったなんて、初耳だったのだ。そういえば、師が機嫌よく出ていったあの日。帰宅した彼はとても悲しそうな表情をしていて、出迎えたルーサーを強く抱きしめたことを覚えている。
『……誰がなんといおうとも、お前は私の最高の弟子だよ』
そう告げる師の声が辛そうで、ルーサーは思わず涙目になりながらカラムの大きな背中に手を回した。
カラムは、自分を信じてくれた。
それを見たエリューは、そんなカラムの言葉を信じ、顔も知らぬ落ちこぼれの白の魔法使いを訪ねてくれた。
ならば自分もそれに応えるべきだろう。
自分の料理を素晴らしいと褒めてくれた。立派な魔法だといってくれた。
この二人から逃げずに向き合おう。
そう覚悟して、ルーサーはコップを床に置きエリューを見た。
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