ep3 週に一度のティータイム


 シリーの家に入るとふわりと焼きたてのパンの香りが漂ってきた。

 ルーサーはローブを脱ぐと促されるままに食卓に座る。窓辺から心地よい日差しが差し込むこの家は静かで本当に居心地が良い。


「貴女はきっと朝食も摂らないでくると思ったから、一緒に食べようと思って待ってたのよ」

 紅茶とともにシリーが運んで来たのは、薄切りされた焼きたての胡桃と木苺のハードブレッド。

 バターと手作りのブルーベリージャムに、ルーサーが持ってきた卵を使ったフライドエッグ、その付け合わせにはカリカリのベーコン。そして冬の間倉庫で寝かせておいた野菜がたっぷり入ったスープ。

 次々とテーブルに並んでいく豪勢な朝食に、腹の虫が騒ぎだしたルーサーは恥ずかしそうに肩を丸くした。


「——っ、帰ってから食べるつもりだったから、紅茶しか飲んでなくて」

「うふふ、そうだと思ったわ。遠慮しないで沢山お食べ」


 予想通りとシリーはしたり顔でルーサーの向かいに座る。


「いただきます」


 ルーサーはパンを一口千切って食べた。

 口いっぱいに広がる木苺の甘酸っぱさと心地よい胡桃の食感。焼きたてのパンは外は香ばしく中はふわふわもちもちとして美味しい。暖かいスープも腹の底からじんわりと温まりほっと息がこぼれた。

 客人から自然と溢れる笑みにシリーは嬉しそうに微笑んで、自身もパンを口にする。


「やっぱり人と食べる食事は美味しいわね」

「…………そう、だね」


 ルーサーは師と、シリーは夫と、毎朝食事を食べていたが、彼らは亡くなってしまった。

 互いに寂しさを抱えていることを知っているから、二人は目があうとどちらからともなく微笑みを浮かべた。


「そうそう。いつものお礼用意してあるから、持って帰ってね」

「薬を届けにくるだけなのに、いつもありがとう」

「ううん。カラムの時からそういう契約だもの。それに村のヤブ医者よりも、ルーサーの薬の方がよく効くから」


 村で買い物ができない魔法使いのためにシリーが提案した契約。

 薬の代金の代わりに、シリーが市場で買った食材をルーサーに渡す。

 村人にとっては薬は高価なもの。そして魔法使いにとって市場の食材は手が届かないもの。生活面であまり硬貨を使わないルーサーにとってシリーとの契約は実に有難いものだった。 

 これもカラムから教わった一つの生きる術である。


「でも、私の薬はまだまだ師匠の足元にも及ばないから……お礼を頂くのが申し訳なくて」

「何をいってるの。カラムの薬は確かに効き目が良かったけれど、ルーサーの薬は何より飲みやすい。あのいつまでも口に残る苦さがないだけ有難いわよ」

「はは……確かに、師匠の薬はとんでもなく苦いよね。魔法使いは味音痴が多いっていっていたような気がするから」


 以前の薬の味を思い出すように、シリーは苦い顔をして舌を出す。

 カラムが調合する薬は効き目こそあれどとてつもなく苦い。それも飲んだあと二時間は舌に苦さがこびり付いたまま離れない。魔法薬は効き目こそ抜群だが、味が壊滅的に悪かった。

 そこでルーサーは少しでも飲みやすくするために味を改良してみた。山で沢山取れる木苺をすり潰し薬に混ぜてみたのだ。するとカラムほどの効果はないが、あの苦味は大分緩和されるようになった。

 僅かに甘酸っぱい薬にシリーは大絶賛。こうして実験に付き合ってくれるのもルーサーにとっては本当に有難いことだった。


「それにしても、ルーサーもすっかり素敵な女性になったわね。最初に会った頃は小さな赤ん坊だったのに」


 食事を進めながら、シリーはさらに会話を続ける。


「私が捨てられてた日、師匠に呼び出された話?」

「そうよ。カラムったら朝っぱらから急に呼び出したの。何かと思って大慌てで家に行ったら、赤ん坊を抱きながら『食事は何をあげたらいい。世話の仕方を教えてくれ』って。本っ当にもう、魔法使いって皆あんなに突然なのかしら」

「どうなんだろう……私は師匠以外の魔法使いをあまり知らないから」


 くすくすと楽しそうに笑いながら、シリーは目玉焼きを頬張る。

 ルーサーが訪ねるたび、シリーは途切れることなく口を開く。最近の話からはじまって、昔の話はもう一語一句覚えるほど聞いてきた。


「あら……また同じ話をしちゃった。ごめんなさいね。足を悪くしてからめっきり外に出ることがなくなって。ルーサー聞き上手だから、嬉しくってつい……」

「いいの。シリーの話は楽しいから」

 

 それでもルーサーは黙ってシリーの話に相槌を打つ。

 ルーサーにとってはシリーは唯一頼れる母のような存在であり、大切な友人だから。



 そうして一方的にシリーが話に花を咲かせ、あっという間に朝食は二人の胃袋に収まった。


「デザートに昨日焼いたアップルパイがあるの。いかが?」

「もうお腹一杯だよ……本当に気持ちだけで十分」


 苦しそうに腹を摩るルーサー。結局少食のシリーにあれもこれもと押し付けられ殆どルーサーが食べたのだ。


「あら。それなら半分持って帰って。カラムも私のアップルパイが大好物だったのよ」


 けろりとした顔で皿をトレーに乗せ、シリーは右足を僅かに引き摺りながらキッチンに向かう。

 苦しい腹を摩りながらルーサーは立ち上がる。朝食の礼はしっかりせねばと、皿洗いを手伝うのであった。



「そろそろ、家に戻らなきゃ」

「もう行ってしまうの? もう少しゆっくりしていけばいいのに」


 後片付け後、誘われた食後のお茶も断ることができず、時刻は昼前になっていた。

 家の掃除や薬草の整理に洗濯、やることはまだまだ沢山ある。あまり長居をするわけにもいかないのだ。

 ルーサーは確固たる意思で帰宅の旨を告げると、シリーは名残惜しそうに奧の物置に何かを取りにいった。


「はい。これ、約束のお礼よ」

「……ちょっと。シリー、私こんなに頼んでない」


 薬と食材の物々交換。ルーサーが持って来たバスケットの中には溢れんばかりの食材が入っていた。

 新鮮な野菜に牛乳、小麦粉に干し肉。さらにはシリーが焼いたパンと焼きたてのアップルパイが半分。

 重量感のあるバスケットにルーサーの眉間に皺が寄った。これは等価交換どころか、明らかにシリーの負担が大きすぎる。


「こんなに沢山受け取れない」

「いいのいいの。最近孫が多めに買って来てくれるのよ。一人じゃこんなに使いきれないからねぇ……沢山お食べ」


 返そうとするが、シリーは強い力でカゴをルーサーの方に押しやった。

 下手をすれば師匠以上に頑固なシリーは一度いったら意見を曲げることは、ない。


「……本当にありがとう。次は私もなにか持ってくるから」

「いいのよ。私は貴女が来てくれるだけで嬉しいんだから」


 そうしてシリーはルーサーを玄関まで見送ってくれる。


「それじゃあまた来週、お薬持ってくるね」


 週に一度のお茶会。

 その別れ際、いつもシリーは後ろ髪引かれるように寂しそうな顔をしてルーサーを抱きしめる。


「週に一度といわず、いつでも遊びにおいで。ルーサーは大切なお友達で、年の離れた娘のようなものだから」


 背中を摩られる手が暖かい。ルーサーはそっとシリーの小さな背中に手を当てた。

 どうして人はこうも暖かいのだろう。この温もりに触れていると、離れたくなくなる。つい、もっと一緒にいたいと願ってしまう。

 そんなこと、魔法使いの自分には叶うはずがないのに。


「……じゃあ、また。くる、ね」


 寂しさを振り払うように。悲しい顔を見せないように。ルーサーはフードを深くかぶり踵を返した。


「ルーサー、気をつけておかえり」


 早く家に入って欲しい。こんな所を村民に見られたらシリーの立場が悪くなってしまう。

 けれど彼女はそんなことは気にしないといわんばかりに、丘を下り、ルーサーの姿が見えなくなるまでずっとずっと手を振って見送ってくれた。 



 シリーと過ごすと心が温かくなる。優しくなる。

 どうか彼女がずっと健康で幸せでありますように。いつまでもこの日々が続きますように。

 願いを叶える魔法をルーサーは使えないけれど、でもシリーの薬を作る際、彼女の幸せを願うありったけの祈りを込めていた。

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