1章「おちこぼれの出会い/魔法のホットミルク」

ep1 おちこぼれのモーニングルーティーン


 日の出と共に鶏の甲高い泣き声がルーサーに朝を告げた。

 眠い目を擦り、勇気を出してベッドから這い出た。春先といえ、山の麓の朝はまだまだ冷える。

 包まった毛布の裾を引きずりながら向かうのはキッチンにある大きなかまど。

 中を覗くと、今にも消えそうに赤く煌めく小さな炎にルーサーは慌てて細く小さな薪を放り込んだ。


 魔法使いにとってかまどは命の次に大切なものである。春夏秋冬二十四時間、かまどの火を絶対に絶やすことはない。

 炉の灯りが絶えるとき、それはその魔法使いが死を迎えるときである。

 ルーサーは亡くなった師から火種を受け継ぎ、それ以来ずっとこの火を守ってきた。

 山に木を拾いに行き、薪を割り、夜中に何度も起きては薪をくべる。

 本来の魔法使いならばそんな苦労をせずとも一度火をつけた炉が消えることはないのだが。なにせルーサーは魔法が使えない。魔法使いとして初歩的な着火の魔法すら、だ。

 だから彼女は原始的に薪をくべる、という人間界の方法で師が残したものを守り続けていた。


 炉の火に活気が戻ると、かまどの口の上にポットを乗せて湯を沸かす。

 本来このかまどの上にいるはずである大鍋は倉庫の奥深くで埃をかぶって眠っている。

 薬の調合は小さな鍋で十分だし、湯を沸かすのはこのポットで事足りる。

 火を絶やさずに守っていると大層なことを述べたが、その用途の殆どは調理や湯沸かし程度なのだ。


 湯が沸くのを待つ間、洗面所で顔を洗う。

 眼前の丸鏡に映るのは、寝癖が跳ねる亜麻色の髪。寝ぼけて細いサファイア色の瞳。つまるところ、代わり映えのしないいつもの自分の顔が写っている。

 寝間着を脱ぎ、洋服に袖を通す。胸元に師からの贈られたサファイアのブローチをつけ身支度を整えたところで丁度湯が沸いた。

 キッチンに戻り、眠気覚ましの紅茶を淹れつつ戸棚にしまっておいた小鍋を二つ取り出す。


「うまくできたかな」


 蓋をあけると鼻を突く薬草独特の臭いがのぼる。

 一つの鍋にはさらさらとした澄んだペールアクアの液体。もう一つは、粘り気のあるホワイトのジェル。

 方や飲み薬、方や塗り薬。どちらもルーサーが煎じたものである。

 簡単な薬の調合には殆ど魔法は使わない。

 ルーサーが唯一できる魔法使いらしい魔法の真似事。風邪や軽い怪我ならばこの薬で治すことができる。

 なにせ偉大な魔法使いであった師が遺したレシピだ。人間界の薬よりは効能は絶大。

 ルーサーはそれらを小瓶に移し、カゴに入れると立ったままゆっくりと紅茶を飲んだ。

 そうして炉に大きな薪を入るだけくべると、体がすっぽりと隠れる程の真っ白なローブを羽織り家の外に出た。


 魔法使いの階級は身に付ける黒いローブの内側の色で分かる。

 最高位は闇夜に紛れるブラック。その下が色の三原色であるレッドブルーイエロー。それらを混ぜ合わせた、パープルオレンジグリーン。色なしと呼ばれる落ちこぼれのグレー、それよりも下のホワイトの九つ階級で分けられている。

 ルーサーが持つホワイトはその階級の中で最も低いおちこぼれの最下位級。黒いローブを着ることすら叶わず、夜の闇でも目立つ純白のローブをルーサーは師から与えられたのだ。




「おはよう」


 家の目の前に広がるのは大自然。

 山の麓の家に一人で暮らすルーサーの話し相手は野鳥や動物ばかり。

 パンくずを撒くと一斉に集まってくる彼らに発声練習がわりの挨拶を。返事はないけれど、それでも友だ。

 家の脇の小屋には、鶏が四羽ほど。

 元はといえば魔法の生贄用に師が買ったものだが、 ルーサーが命を一つ代償として行使する魔法を使えるはずもない。

 ましてや鶏の首を切るという度胸もない。ので、こうして毎朝新鮮な卵を有り難く頂戴していた。


「……はぁ」


 卵を割れないように布に包み、薬が入ったカゴに入れる。

 そうして向かう先は山の下にある町。あそこに行くのは非常に気が重いがどうしても行かなければならない用事がある。

 深呼吸か溜息か、どちらつかずの深い息をついてルーサーは歩き出す。

 空は清々しいほどの快晴だが、彼女の足取りは酷く重たいものだった。

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