継承

 しばらく考えあぐねていた左門だが、ふと思いつき、JUNに相談してみることにした。


 「JUN、これから亜衣と飲みに行くんだけど、店はどこがいいと思う?」


 「仕事の打ち合わせですか?それともデートですか?」


 「デ、デ、デート?!何を言ってるんだ…ただ一緒に食事するだけだ!」


 左門は少しうろたえていた。


 「『デ、デ、デート』ではないのですね。承知しました」


 「こら!変な揚げ足をとるな」


 「すみません。失礼しました」


 「しかし打ち合わせでもないのは確かだ。じゃあ、その両方の可能性で調べてくれ」


 「両方の可能性あり、ですね。フフっ」


 「『フフっ』ってなんだ!いいから早く調べてくれ」


 「承知しました。しかし、余計な情報かもしれませんが…」


 「なんだ、言ってみろ」


 「はい。異性の部下と飲みに行って、セクハラが発生する確率は80%となっています。しかも最近この数値は上昇傾向にあります。特に新人の若い女性と…」


 「分かった分かった、もういい。そんな一般的な統計データを引っ張ってこなくていい。私に限ってそんなことがあるわけないだろ」


 「いえ、左門さんのパーソナルデータを係数に掛け合わせてあります」


 「は?そうなの…?う〜んそうか…。ただな…JUN。まだまだキミも学習が足りないのかもしれないけどな…私は亜衣をそんな対象として微塵も思っていないし、優秀な彼女を私の後継者として立派に育て上げようと思っている。そもそも人間っていうのはね?そういうデータだけで簡単に計れるものではなくてね、その…なんというか…」


 AIを開発しながらデータを信用しない、と言おうとしている矛盾に気がついた左門は途中で言葉に窮した。


 「左門さんの気持ちは分かります」


 「お〜そうか、分かってくれるか」


 「はい、よく分かります。『人間は自分自身のことを一番分かっていない』ということは学習済みですから」


 「おいおい…」


 そのとき部屋の入口付近で物音がした。扉の磨りガラス越しに人影が見えた。なにやらゴソゴソ動いているように見える。


 「そこにいるのは誰ですか?」 


 「主任、私です。亜衣です!」


 「亜衣?」


 左門は駆け寄ってカードキーをかざし扉を開けた。


 「なんだ戻ってきたのか!」


 「はい、戻ってきちゃいました、すみません!ただカードキーが見当たらなくって…。あ、あった。ありました!」


 亜衣はカードキーのストラップを首にかけると部屋に入った。


 「いやだ、なんでこんな暗がりにこもってるんですか〜。電気つけますよ?」


 明かりをつけると、亜衣が片手にコンビニのビニール袋を持っているのが分かった。


 「ジャジャーン。差し入れです!」


 缶ビールとツマミだった。


 「おいおい!そんなものこの部屋に持ち込むなよ!」


 「いいんですよ主任!堅いこと言わないでください。もう今年も終わりです。私にもたまには言わせてくださいよ!今夜は無礼講です。たまにはパーッといきましょう!」


 「おいおい…相当飲んできたのか?」


 「いやいや大して飲んでませんよ〜。それに私、お酒は強いんですから」


 「しかし相当フラフラしてるぞ。まぁとりあえずそこに座って」


 亜衣は左門が座っていた対面の椅子に勢いよく座った。


 「フラフラしてるのは〜…違うんです。実はこれには訳があって…エスカレーターなんです。一階の。あそこのエスカレーターが故障して止まってたんです。知ってます?主任!聞いてますか〜?」


 「は?何を?」


 「エスカレーターですよ!今言ったでしょ?ほら。やっぱり聞いてない。止まったエスカレーターを歩いたことあります?あれ、すごく気持ち悪いんですよ!すごく変な感じしますよね?なんでなんでしょうね?それで少し目が回っただけなんですよ〜」


 亜衣は完全に酔っ払いの絡み口調だった。ここまでくると、左門ももう諦めるしかなかった。


 「分かった分かった。とりあえず一息つきなよ。とにかく差し入れありがとう。たしかにたまには一区切りつけた方がいい。お互いずっと仕事にかかりっきりだったからな。特にこの数ヶ月は」


 「お、主任、分かってくれますか?さすが!学習してますね」


 「おいおい…」


 とりあえず左門も缶ビールを一本手にした。それは左門が好きな銘柄だった。


 「それ主任が好きなやつでしょ?」


 「うん?まあな。よく分かったな」


 「でしょ〜?私は主任のことはよ〜く知ってるんですから!な〜んちゃって。本当は前もってJUNに聞いといたんですけどね」


 「おいおい…あんまり変な使い方するなよな」


 「は〜い!でも、いろんな角度から接点を持った方が、JUNにとってもいいかもしれないですよ?AIの可能性が広がるかもしれません」


 「それはそうだが、JUNはまだまだ開発の初期段階だ。赤ん坊にビールの好みを聞く必要もないだろう」


 「え〜?もう十分小学生くらいには成長してますよ!いいえ、もうそれ以上かもしれません。私はそう思います。主任はいつも何事も過小評価し過ぎじゃないですか?」


 「そうか?でもまぁ、そうかもしれないけど…あいにく良くも悪くも慎重なタイプなんでね…」


 「はい!じゃぁ、まあ、とりあえず乾杯しましょ!主任。今年はお世話になりました。来年もよろしくお願いします。乾杯!」


 亜衣はしんみりしかかった雰囲気を仕切り直した。


 「そうだな。乾杯!」


 左門は一気に飲み干すくらいの勢いで一口飲むと大きく息をはいた。


 「それにしても一年あっという間だったな。亜衣は来年はどんな年にしたい?」


 「なんですか?その取ってつけたような質問は!主任おもしろい!」


 「え?そう?おかしいかな…」


 「大丈夫ですよ。ちょっと言ってみただけです。来年ですか?う〜ん…とにかく主任の下で頑張ります!かな」


 「ありがとう。それは頼もしい」


 左門は微笑んだ。頬を赤らめたのは、お酒のせいか、亜衣の好意的な発言のせいかは分からなかった。しかしすぐに神妙な面持ちに変わった。それはいかにも重大な告白を前に思い詰めた表情だった。


 「来年な…。実は…来年は…キミに私の役割を引き継ごうと思ってるんだ」


 「え?急に何言ってるんですか!主任」


 「いや本当なんだよ。キミは本当に優秀だと思う。この半年あまり一緒に仕事してきたから、私にはよく分かる」


 「主任もう酔っ払ったんですか?そんなに持ち上げたって何も出ませんよ?あっ、じゃあ、おツマミもう一つ開けます!」


 「思いつきで言ってるんじゃない。そもそもキミはそういう使命をもって採用されたんだしな。キミは一流大学で最先端の情報処理技術を学んできたわけだから。しかも首席で卒業して…」


 「でも実際まだ何もできてないですよ?私なんか…」


 自信なさげな亜衣の様子を見て、左門は和ませようと言葉を探った。


 「いやいや、実践が足りないのは仕方ない。社会人になったばかりだからな。しかし私が新人のときと比べたら天と地だよ。大人と子供。私が新人のときなんか単なる鼻垂れ小僧だったよ」


 「は、鼻垂れ小僧?主任おもしろい!私、鼻垂れ小僧って言葉を生で聞いたの初めてです」


 「そ、そうか…?まあいい。それにしても、なんてったってキミの名前は『亜衣A I』だ。まさに『AI』の申し子だからね」


 「も〜それはいいですって!大学時代から散々言われてきたんですから〜」


 「そうか。ごめんごめん。じゃあそれはもう言わないでおこう。でも本当にキミは後継者にふさわしい。私の知りうることをすべて伝えようと思う」


 「じゃあ主任、まずはJUNの名前の由来から教えてください」


 「え?それはもう一番最初に…」


 「プロジェクトの立ち上げが『6月JUNE』だったから」


 「そうだよ」


 「でも私、さっきの飲み会で聞いたんです。実は主任のお子さんの名前だって。純子さんでしょ?」


 「誰が言ってた?そんなこと。私はひとこともそんなこと言ってないのに。たしかに娘の名前は純子だけど…。それは、たまたま重なっただけだよ」


 「いいじゃないですか〜隠さなくたって。も〜秘密主義なんだから。お子さんの名前をつけるって素敵じゃないですか!きっと『AIも自分の子供のように大事に育てたい』っていう思いが込められてるんですよね?主任の愛情が滲み出てます」


 「ち、違うよ。私はそんなにおセンチじゃない」


 「お、『おセンチ』?やだ〜主任おもしろい!」


 左門は照れくさそうに視線を落とすとツマミを口にした。亜衣はご満悦といった感じで、いいペースでビールを飲んでいた。


 「娘さんはお元気ですか?たしか小学生?でしたよね」


 「うん、まぁ元気は元気だね」


 「かわいいですか?」


 「うん、まぁ…。子供はかわいいよ」


 「子供『は』?ですか?じゃあ…奥さんは?」


 「バカ、変なところで引っかかるな…」


 左門は最後の一口を飲み干して新しい缶を開けた。


 「でもそろそろ娘も中学生になる。すっかり大人びてきちゃて。小さいときはいつも笑ってニコニコしてたのに…」


 「お名前が純粋の純ですもんね」


 「うん。でも最近は笑わないどころか、無表情というか、それこそ何か不満なのか、どっちかというとムスッとした顔して…」


 「女の子ですから。そのうちお父さんとは洗濯機に入らないとか…」


 「風呂だろ?あと洗濯物を一緒にしたくない、だろ?」


 「あ、すみません。そうです。でも、子供が成長するっていうのはそういうことなんでしょうね。きっと」


 「そうだな…そうやって成長しながらいろいろ変わっていくんだろうな…。いつまでも純粋な子供のままではいられないから…。でも親としては心配が尽きないんだ…。もし娘が道に迷ったら正しい道を示してあげたいし、崖から落ちそうになったらちゃんとキャッチしてあげたい」


 「崖?って… そんなに無いですよね…。主任おもしろいすぎ」


 左門もだいぶ酔ってきたように見えた。


 「実は、JUNもそんな感じなんだ…。さっき、例の調整を少し入れたんだけど…」


 「例のディープラーニングのハイパーパラメータの調整ですね?」


 「そうそう。そのせいもあってか、だいぶJUNも変わってきたような気がするんだ…。良くも悪くも、揚げ足をとったり、変な勘ぐりをしたり…」


 「変な勘ぐりってなんですか?」


 「うん?いや、私と亜衣がデ、デ、デー…。あ、いや、なんでもない…」


 「主任と私がデ、デ、デー?」


 「いやいや、なんでもないんだ…。とにかく…ま、いい!今日は飲もう!乾杯!」


 「さっきしましたよ〜!乾杯は」


 左門は一度大きくため息をついた。


 「亜衣…。実を言うとな。正直、最近怖くなってきたんだよ」


 「奥さんが、ですか?なんちゃって〜」 


 「いやいや真面目に聞いてくれ…。『変化』だよ。無邪気に大量の情報を吸収し続けた結果、JUNは何か違うものに変わってしまうんじゃないかと…。もちろん私たちが望む方向に進化してくれればいいが、変な方向に向かってしまったらどうしようかと…」


 「主任!そんなこと言ったら何もできなくなっちゃいますよ!フレーム問題と一緒です。そこを微調整しながら正しい方向に動かしていくのが私たちの任務だと思ってます。主任と私が力合わせれば、絶対できると思うんです!」


 左門は、珍しく熱のこもった亜衣の主張に圧倒された。


 「それにJUNだってかわいそうじゃないですか!信じてあげてください!JUNも娘さんも!主任の愛情は間違いなく届いていますから!」



 「亜衣…。ありがとう。そうだな。亜衣の言う通りだ」


 左門は少し目を潤ませていた。


 「頼もしいよ。やっぱりキミはこの任務にふさわしい。偉そうに子供の心配してたけど、崖から落ちるのを救ってもらったのは私の方だったな…」


 「主任…」


 「亜衣…」


 「崖、好きですね…」

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