Best or Bad Friends?

 ぼんやりと過ごしたまま終わりを迎えた一日。

 日照時間が短くなってきたのか、気付けば教室は夕焼け色に染まっていた。

 こんな時間まで教室に居残っている生徒なんて、現実の世界では希少な部類に当たる。ドラマや漫画などの放課後の教室は何かしらのイベント事が催されるのが定番ではあるが、そんなものは起こりもしないし望んでもいない。

 私が生きているのは現実の世界で、誰かが用意した造り物ではない。


「造り物でない世界なんて、在るのかしらね」


 綺麗な声音が夕陽の中に溶け込んで、消えていく。

 振り返った先に見えたのは、彼女の告げた言葉をそのまま体現しているかのような容姿の女子生徒だった。造り物。人形。ほんの少しの生気すらも感じ取れない。生物ではなく、造形物。夕と夜との狭間が見せる幻想か。

 ——違う。否定するように彼女は微笑んだ。


「あなたのお隣さん、亡くなったそうね」


 先ず、苛立ちが湧く。


「何が楽しいの」

「……意外ね」


 同感だった。

 自分がなぜこんなにも憤ったのか、よく分からなかった。


「あなたとお隣さんは別に親しくはなかったのでしょう?」


 返す言葉が見当たらず、ただ黙した。


「あなた自身、クラスメイトを失った可哀そうな自分に酔っていたのではないかしら」


 図星を突かれたのだろうか、それとも私が揶揄した連中と同類であるとされたのが耐えられなかったからなのだろうか。釈然としないまま、否定だけした。


「近からずとも、というところね。少なくとも、あなたはお隣さんへ特別な感情を抱くことに疑問を覚えた。そこに関しては明確に違うわね」


 違和感。彼女はなぜ、私の考えたことを知っているのだろうか。

 言い様のない不気味さが陽を翳らせてゆくかのように、教室の暗がりが広まる。


「あなたさえ良ければ、場所を変えてもう少しだけお話しをしない?」


 頷く以外の選択肢が取れなかった。




 開かずの間として有名な、図書室のある特別棟三階の奥の教室。

 噂に聞く程度で、特に興味もなかった場所ではあるが、実際に目の当たりにすると、時刻も時刻の所為で余計に雰囲気を感じてしまう。


「ここでならゆっくりとお話しができるわ。巡回なんて滅多に来ないもの」


 面白げもなく笑うと、開かずの間は予想外なまでに簡単に開かれた。

 思ったよりも中は綺麗、というよりも物が少ないと称すのが正しいか。長机とパイプ椅子が数脚、壁に立てかけられているだけ。気持ち程度に机に置かれたハードカバーの本が嫌に目立つ。


愚者楽ぐしゃらく、あなたも読む?」


 聞き覚えのないタイトル。サーカスで見かける道化師が暗闇を楽し気に闊歩しているような表紙。子供がふざけて描いたような拙いタッチの絵柄だが、それが返って不気味さを増長させている。


「読まない。それよりも、さっきの話しの続きだけど……」

「あなたは他の人たちとは違う、って話しかしら?」


 敢えてそこを主張してくるあたり、私の主張を否定したいのだろう。


「そんな事を思った訳じゃない。ただ、大して仲良くもなかったのに、その子が死んでしまった途端に友人のような顔をするのは間違ってると思っただけ」

「無関心でいる方がよっぽど良い、と」

「そうじゃ、ない……けど、私はそうだった」


 悲しくはなかった。何かを感じたことに違いはないけれど、それは悲しみではなかった。そして、ほんの些細な感覚でしかなかった。


「人は他人に対してどこまでも無関心なもの。特別に関心を寄せる対象でもない限りそれは変わらない。道端で救急車が走り去る際、搬送されている人間の安否を気に掛けるかしら? その後を追うまでの事をするかしら? いいえ、そんな事をする人間はいないわ」


 同じ事だと言うのだろうか。


「同じ事よ。名前と顔を知っているだけで、友達でも何でもない他人だったのでしょう?」


 理屈の上ではそうに違いない。彼女の言う事は正論に違いない。

 けれど、納得してはいけないような気がする。


「全く知らない訳じゃない」


 そうか。顔見知りではあったのか。

 他人以上、友人以下。とは言え、誇れるような間柄ではない。


「どこまだが他人で、どこからが友人だと言うのかしら」


 意地の悪い質問だ。定義の仕様がない。

 彼女の意図が分からない。彼女は私に何を告げたいのだろうか。何を気付かせたいのだろうか。一向に分からない。


「あなたの揶揄する人々とお隣さんとの関係を、あなたは知っているのかしら」


 知らない。知り得るはずもない。

 しかし、他に仲の良い友人がいれば自殺を決行しようとはしないはず。故に私と同じか、それ以下であろう人たちが大半なはず。他人でもなく友人でもない。クラスメイトという曖昧な関係。


「クラスメイトがクラスメイトの死を悲しむのはおかしな事かしら」


 そこか。彼女の狙いが分かった。

 正当な理由もなく他人を責めいていたのは私の方だった。それを証明しようとしていたのか。


「私が間違ってた……これで満足?」


 しかし、彼女の表情は曇った。


「このお話しの本質はね、非を責めるものではないの」


 見えない。話しの本筋が見えない。

 目の前の彼女の思考が読めない。理解ができない。


「それなら、この話しはなんの為にしているのよ」

「敢えて言うのなら、あなたの救済、かしら」


 救済。私を救おうとしている。彼女が。なぜ。


「あなたはお隣さんの死と向き合おうとした。そして、今も向き合っている」


 それは違うような気がする。初めて、彼女の言葉に綻びを見た。

 私は向き合ってなどいない。自分が薄情な人間ではないと思い込もうとしていただけ。そしてなにより、自分の無頓着さに気付いてしまっただけ。


「死に対して悲しみ、涙を流すのは一種の反射でしかない。涙を流す行為自体がストレスを軽減させる為とも言われているくらいだもの。つまり、あなたが揶揄した人々は急な悲報に対して反射的に悲しみを顕わにしただけ」


 心が、ざわめく。


「あなたは自分が何も感じない事に違和感を覚え、その事に愁いた。あの瞬間、どれ程の人たちが彼女の死について思慮深くあったか、考えるまでもない」

「でも、それで向き合っていると言えるの?」


 結局のところ、私はアカの他人の死としてでしか捉えられなかった。


「無知である事の自覚より、学びは始まる。あなたは確かに向き合った。その結果、悲しむには至れないと悟った」


 二の句を告げられずに、彼女の言葉を待った。


「もう少しでも早くあなたが彼女と向き合う事ができていたとしたら、現在いまは変わっていたかもしれない」


 頭のどこかにあった。

 あいさつ程度でも交わしていたのなら、こうはならなかったのではないか。

 後悔の念ばかりが彼女の言葉を合図に押し寄せてくる。胸を鷲掴みにする悲哀の感情が、抑え込めない。


「今からでも遅くなんてない。お隣さんと友人になればいい」

「なに言って——」

「死んでしまった後ですら独りだなんて、それこそ寂しいと思わない?」


 初めて聞く穏やかな口調。それはまるで、私のことを諭しているようにも思えた。




 木下きのしたさんの葬儀に出席していた同級生は、やっぱり私だけだった。

 親族の方たち、特にご両親の方から木下さんの自殺について問い詰められたり叱責の言葉を浴びせられるのではないか、と不安に思っていたけれど、驚く程に私に対して無関心だった。

 お焼香の際、中学時代と思われる笑顔の木下さんの写真を見て、なぜだか涙が止まらなくなった。彼女曰く、これはストレス軽減の為の防衛本能が所以らしいけれど、この時の私はそんな事を思い返す余裕はなかった。ただ、気持ちの赴くまま感情に身を委ねた。

 私も、自分に心酔した愚かな人間の一人に違いない。

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