第一章 夜叉の目覚めた日(2)
「〝
「…………シュウシュウ?」
蘭華と中年宮女が声を重ねて言い、揃って
二人とも意味がわからないという顔をしていたので、説明することにする。
「翼の生えた妖魚ですが、見たことありませんか? 口いっぱいに水を溜めて、ぶーっと一気に吐き出す魚です。火気を嫌うので、
「……何言ってんだいあんた。わけわかんないこと言って
「
熱弁するが、中年宮女の顔からは一向に険がとれない。
特徴を伝えればわかってもらえるかもしれないと、身振り手振りを交えてさらに続ける。いつも
しかし
さらに「火事を予知する魚でもあるからしばらく火気に気をつけた方がいい」と口にすると、いよいよ堪忍袋の緒が切れたのか、
「
それだけ言って足音をずかずか響かせながら、中年宮女は渡り廊下の先へと消えていった。どうも火に油を注いでしまったようである。余計なことをしてしまったなと考えていると、ぽんと蘭華が頭の上に手を乗せてきた。
「前にも言ったでしょ? アンタと違って妖異なんて見えないの。普通はね」
「じゃあ蘭小姐も見たことないんですか? 習習」
訊ねると彼女は溜息をつき、呆れたように首を縦に振る。
「あるわけないでしょうが」
「……都会の人はそうなんですね」
後宮で生活をするようになって、沙夜が最も驚いた事実がこれだった。都会に暮らす人たちには、妖異
けれど後宮にだって妖異はいる。空には妖鳥が飛び、河に行けば妖魚が泳ぎ、物陰には幽鬼が
「里のみんなには見えてましたし、それが普通だと思ってました。春になると食卓に並ぶことも多かったですし。妖魚も妖鳥も」
「ははは」と蘭華は苦笑い。「まったく嵐山の里ってのはどんな人外魔境なんだか。一度見てみたい気もするけどね。怖いもの見たさってやつで。……でもさ」
彼女はそう言って沙夜の肩に腕を回してきた。
「痛快だったねぇ。あのオバサン、すんごい顔になってたもん」
「笑ったら悪いですよ」
同じお宮で生活しているのだから、今後も顔を合わせることはあるだろう。できれば和解したいが、妖異の存在を信じてくれないのでは難しいかもしれない。
「いいんじゃない? 別に理解されなくてもさ。結構みんなそんなもんだよ。普通の人間だって、立場によって見えるものも見えないものもあるからね」
「えぇ……? 何かうまいこと言ってまとめようとしてます?」
「まあね!」
柔らかな
後宮入りしてからこれまでの一ヶ月間は、決して楽なものではなかった。下級宮女に与えられる食事は質も量も乏しく、寮に帰れば隙間風の吹く大広間で雑魚寝をするのみ。しかも安眠などできず、同僚が
だけど諦めたくはなかった。官吏になるという夢はすでに失われてしまったけれど、宮女として下積みをこなせば女官になる道はある。歯を食いしばって耐えていれば、いつか望む未来に辿り着けると思っていた。
それにいまは一人じゃない。近くに蘭華がいてくれる。こうして彼女に出会えたのだから幸福ではないにせよ、不幸でもないのだろうと考えていた。
少なくとも、この日の夜までは。
序列一位は
とはいえ、美女が百人以上いるだけでも大変なことだ。この後宮には妃と宮女三千人に加え、五百人の宦官を加えた三千五百人余りが生活している。
昔は妃だけで数万人いた時代もあったそうだから、それに比べれば
なのに、
だから道を歩けば様々な身分の者とすれ違う。けれど、下級宮女の沙夜に許された行為と言えば、頭を下げて地面に膝を突き、決して目を合わさぬようにして貴人が通り過ぎるのを待つことくらいだ。
だからこの日も何度も
それが沙夜にとっての後宮の日常であるが、この日の昼過ぎに少々変化があった。
「──沙夜。香妃様がお呼びだよ。すぐに出頭するように」
【次回更新は、2020年2月21日(金)予定!】
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