5-2.
シグナルの発信はおおよそ毎250分の間隔。
2.4キロヘルツから3.6キロヘルツの周波数で、強度は一定だった。
周波数のブレや波形を通信科で解析しているが、当てはまる暗号は無いという見解らしい。
「アタシ、これでも暗号電信のモス持ってるんだけどね」
金属探知機を振りながら詩布は言った。
「すみません、何て?」
健斗はヘッドフォンの片耳を外した。
年代物のイヤーパッドはゴムが崩れていて、耳をこするだけで指が真っ黒になる。
「だから、実地で使ってる暗号なら分かるって言ってんの」
「はあ」
「でさ、ポケベルって知らない?」
詩布は片手でスキットルの蓋を外して、口につけた。
彼女のマスクはとっくに外れていた。近くに真紀が居ないのを幸いと、酒のペースも速い。
「知ってますけど。俺の親世代ですよ、それ」
「アレとおんなじでさ、余裕が無いときは数字でメッセージを伝えるのが流行ったんだよね」
そうですか、と健斗は返した。
前線では色々なものが発明される。部隊内だけで通じる暗号なんて、その最たるものだ。
「あの周波数のブレって、そういう暗号じゃない?」
「俺に聞かれても困りますが……」
「じゃあアタシの独り言ってことで」
言い合ううちに風が強くなってきた。
気取られないよう、そっと健斗はマスクのバンドを締め直した。傷ついた身体に関東平野の風は毒だ。
シグナルの発信源は放棄された都市だった。
周囲の地雷原は記録されていなかった。恐らくはここのゲリラが勝手に埋めたものだろう。
あちこちに極東戦争時代の戦車や迫撃砲が転がっていて、核弾頭も使われたのか、街に入ってからずっとガイガーカウンタがカリカリとうるさかった。たしかに、兵器を隠すには絶好の場所だった。
探知機に反応があり、地雷じゃないと分かると、健斗はブーツで地面を蹴った。分厚く積もった砂がめくれて、ぺしゃりと潰れたライフルの弾頭が出てきた。
「またか」
健斗は弾頭をつまんだ。
末期に
「これでMLFV用の20ミリ、見つかるんですかね?」
「サンパチとは限らないし、分からないかな」
詩布も薬莢を拾って、後ろに投げた。
「うん、ダメだね。ここも歩兵陣地になってる」
彼女が本部に報告するあいだ、健斗は手を休めることにした。
この身体では荷物も運べず、この作業に志願したわけだが、なかなか手持ち無沙汰だった。なるほど詩布も酒を飲みたがるわけだ――この人は理由が無くても飲むだろうけども。
ふと、いま拾った弾頭を取り出す。
戦車にぶつかったのか、折れて縁がぎざぎざになっていた。口径は5.56ミリメートル。アサルトライフルを戦車に撃つような状況だったなら、持ち主はすでに生きていないだろう。
「慣れたな……俺も」
たかが弾丸ひとつから色んなものが見えてしまう。
思えば半年前まで高校生だったのに、今となっては巨大ヒト型ロボットで何人も殺した傭兵もどきだ。
筋肉の付き方も、竹刀を握っていたときとはまるで違う。食事もよく摂るようになったから、適当に撃っても体重だけで拳銃の反動を抑えられる。
この変化は喜ぶ気になれなかった。
戦争は終わった。いつまでも馬賊狩りばかりやっていられないのだから。
顔を上げたとき、かすかな物音がした。
もう片方のイヤーパッドも外す。
音はもう聞こえなかったが、かすかに空気の流れが変わっていた。唾をつけた人差し指で風を読むと、正面のビルから空気が抜けてきていた。
「俺、ちょっと見に行ってきます!」
通話中の詩布に呼びかけて、歩きだす。
さっきは気が付かなかったが、この辺りは道が広い。道路わきに目を向けると、杭頭処理の丸い跡が残っていた。元々あったビルを崩して、戦車も通れる道幅に変えたものだ。
自然と、表情が険しくなる。ここで間違いない。
ビルの前に立つ。
正面シャッターは健斗の背の5倍ほどの高さだった。最近まで使っていたのか、外壁と比べると汚れが少なかった。横の開閉スイッチにも、別系統のリード線が取り付けてある。
中から風が吹き抜けた。首すじからひんやりと熱を奪っていく。ほのかに草原の香りがした。
恐る恐る手を伸ばした。
わずかな抵抗があったのち、指先で『開』のスイッチが沈み込む。
ざあざあと砂を吐きながらシャッターが上がっていく。重金属のかすが落ちきると、下に隠れていた焦げ臭いにおいが漂ってきた。
健斗はしばらく立ち尽くした。
シャッターが開ききると、内部に日の光が差して、巨大な室内があらわになった。
典型的な整備工場だったらしい。整備用ジャッキやテスター、小型の発電機。小さな机には広げたままの図面も残っている。至る所にうずたかく砂と埃が積もっていて、放置された年月を教えてくれた。
そして最奥には、片膝をついた灰青色の巨人。
「……見つけた」
健斗の呟きに、三八式の濁ったカメラアイは沈黙したままだった。
◇◆◇
自治区から整備小隊が来るまでには、道路のブービートラップの除去も終わった。
健斗が見つけた三八式は、その場で簡易検査を済ませることになった。
爆導索で荒っぽく処理された地雷原をあとにして、真紀のハーフトラックでインスタントの紅茶を水筒にさらさらと注ぐ。荷台に屈んだとき、まだ癒えてない背中がずきずきと痛んだ。
「サンパチの照会が終わりました。前期生産型の8号車だそうです」
真紀が運転席のドアを蹴り閉めてやって来る。
「俺たちのやつは?」
「2号車ですね。どっちも『燃える帝都』でドライヴァごとMIAになってました」
「ドレッド・ノートか……」
東京撤退戦では未確認のMLFVによる襲撃が相次いだ。
ターゲットは捜索連隊から司令部付小隊までさまざまだが、共通点は三八式が配備されていたことだ。
健斗が殺した築城大尉も三八式に搭乗して、ドレッド・ノートと交戦していた。
今回の個体もやはり斥力シールドを搭載して、ウィスカーの人工筋肉に換装されているのだろう。
「風が吹いていたんだ」
健斗は飲み差しの水筒を真紀に手渡した。
「はっきりしないけど、たぶん草の香りだった。こんな荒野でさ」
「……偶然ですよ」
「分かってるよ」
真紀が水筒を傾けるのを、横目で見る。「俺たちと同じだ」
しばらくすると、詩布が整備員とやって来た。
整備工場で何か拾ったらしく、整備員は膨らんだボストンバッグを抱えていた。
「どうでした?」
真紀が水のボトルを投げつける。
剛速球のそれを詩布は片手でキャッチすると、ひと息にぐびりと飲み干した。
「全然ダメ。放射線で末端制御のコンピュータは劣化してるし、キャパシタも縮電しまくり」
「改造したのは証安党ですか」
「そ。ブラックボックスもロシア製のクラッカーでこじ開けられてた」
そこまで言って、空っぽになったボトルを初めて気付いたように見つめる。
「冷えてたね?」
「当たり前じゃないですか。詩布さん、今日は飲みすぎですし」
詩布は顔をしかめてボトルを地面に捨てた。隣の整備員が、ちょっと考えてから拾い上げる。
「基地局は?」
健斗が尋ねると、詩布はかぶりを振った。
「見つけたけど、暗号表も無ければ指令書も無し」
先日の波形は規則的だったが、今のところ復号はできないということだ。
水分補給を終えると、詩布はすぐに三八式の復旧に戻って行った。
整備員が真紀にボトルを渡すついでに、抱えていたバッグを下ろす。
「こちらの保管をお願いします」
そう言って、整備員はレコード盤を取り出した。
「それ、あのサンパチか?」
「あー……まあ。製図台のところに立てかけてあったんで、持ってきました」
健斗は受け取ってラベルを見た。
歌謡曲のレコードらしい。歌手は日本人らしいが、聞き覚えのない名前だった。
B面は題名のところにアリランと書いてあった。カバー曲だ。
「ジャケットは?」
「無かったっす」
整備員はボストンバッグを漁った。
何かの部品がごちゃごちゃと突っ込んであった。整備班で解析するらしい。
「レコードって昔は麻薬の輸送に使われてたそうで。ジャケットの内側にパウダーを塗り込むもんだから、香港の波止場には裸のレコードがぎっちり沈んでるって話でした」
「その話、羽田さんから?」
「ああ、はい……」
「あの人も詳しいな」
真紀がボトルを片付け終えてきたので、レコードを渡した。
彼女は眉をひそめてラベルをなぞった。
「アリランって?」
「韓国の民謡だったかな」
「カンコク……?」
真紀がまばたきする。
健斗はこちら側の38度線が無い世界地図を思い出した。
「……朝鮮半島だよ」
向こうと違って、ここじゃ原爆といえばベルリンだったり、どうにも落ち着かない。
真紀がレコードをしまうあいだ、整備員は自前の水筒を手に取っていた。
お茶のようだ。
このあいだ羽田に振る舞ってもらったものと同じ香りがした。
この青年もずいぶん可愛がられているらしい。
「秩父から離れるのも慣れてきたかな」
整備員はこくこくとうなずいた。
「そっか……」
健斗は少し苦笑した。
運命というものはつくづく奇妙なものだ。
「俺の親戚も秩父に住んでいたんだけどさ」
「初耳ですね」
「ああ。もしかすると、疎開先はそっちになってたかもしれない。だから驚いたよ」
言葉を切る。
真紀はまだ置き場所を探してゴソゴソとやっていた。整理が下手なのはこちらでも変わらない。
「……サンパチには、真紀と一緒に乗ったって?」
「ややこしかったっすね。あなたと同じ名前ですから、小牧さんも間違えてました」
ああ、と健斗はうなずいて、青年の小動物みたいな横顔を眺めた。
ツナギの胸には『鹿屋』という名前が縫い付けてある。鹿屋健斗。まさか隣に座った男が、異世界からやって来た2年後の自分とは思ってもいないだろう。
「たぶん、自分が思ってるよりも優秀なんだろうな」
「はい?」
「いや。真紀も羽田さんも、人を見る目は良いからさ……」
健斗は微笑んだ。
この青年なら、少しはマシな人生を送れるのかもしれない。
あるいは健斗自身も考える時間を持っていれば、今の後悔は軽くなったのだろうか。
ふう、と健斗は息を吐き出した。
なんだか今日は、自嘲みたいなため息になってしまった。
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