5-3.

 受信機が沈黙したままの道のりは、初めてだったかもしれない。

 真紀が定期連絡を入れる声を聞きながら、健斗はフロントガラスに張った霜を見ていた。


 荒野の朝はいつでも冷える。

 トラックが跳ねるたび、身体の節々が釘を打ちつけたように痛んだ。固い野営用ベッドのせいでろくに眠れず、頭も霞がかったようにぼんやりとしている。

 ここでの暮らしにもだいぶ馴染んだと思っていたのに、こういうところで不慣れが表れる。

 考えていると夢みたいにふらふらと思いが巡った。真紀のこと、自分のこと、これからのこと――。

 あるいは、これも生活が落ち着いてきた、ということなのだろうか。


 隣に目を向けると、真紀はいつも通りに見えた。

 今朝も彼女は炊事の手伝いをやっていた。健斗が起きたときには配膳が始まっていたから、よほど早くから起きていたのだろう。


「やっぱり気になりますか?」

「……ん」

 真紀は口を曲げた。

「ほっぺ、赤いでしょう? 昨日、詩布さんたちの酒盛りに巻き込まれちゃって……」

「ああ。酒って任務中に?」

「私のは水で薄めたワインですけどね。昔は全然飲ませてくれなかったのに、いちどタガが外れるとエスカレートしっぱなしで。私、お酒弱いのに」

「災難だな」

 健斗はなんとはなしに彼女の横顔を眺めて、そこで初めて彼女の髪がずいぶん伸びたことに気が付いた。

 ほら、と言って真紀が髪をかき上げる。

 ほんのり赤く色づいた頬と、白いくびすじが見えた。


「うん、確かに……」

 健斗はシートに身体を沈めた。

 今のはどきりとした。

 ずっと一緒にいたから意識してこなかったが、真紀も成長している。


 自治区に着き、三八式の搬入が終わると、さっそく羽田たちが解体に取り掛かった。

 改造車輌も2度目ともなると手際よく進んだ。

 今回の躯体も、武装やヴェトロニクスは標準化されたものだった。コンピュータに謎の装置がつながっているところも同じ。ジャッキアップして装甲が取り外されると、みるみるうちに泥で汚れたフレームがあらわになっていく。

 

「なんだこれ?」

 足の解体が始まったところで、整備員のひとりが装甲の隙間に手を入れて、何かをつまんだ。

「どうした」

 羽田が駆け寄ると、整備員はつまんだものを差し出した。

 赤い布切れのように見えた。ひどく焦げているが、染め抜いた幾何学模様がかろうじて判別できる。


「挟まっていたのか」

「いえ、切れたウィスカーに巻いてありました」

「馬賊じゃないな。包帯じゃないんだぞ……」

 羽田は傷だらけの装甲をなぜる。何かで引っかいたような跡が残っていた。

「これも刀傷か。妙だな」

「先の解析によると弾痕からはピクリン酸が検出されたみたいで。軟弾頭でやられたらしいです」

「ピクリン酸? 下瀬シモセ火薬か」

「あとはさっきからぽろぽろ落ちてる鉛玉ですね。たぶんこっちは黒色火薬です」

「つまり何だ。21世紀にもなって、こいつは火縄銃マスケットを相手に中破するまで戦ったと?」

「いえ……細かい検査をしないことには何とも」


 健斗はベンチのところで、整備員たちの話を聞いていた。

 仮眠が終わり、もう疲れは感じなかった。

 ここへは次のリハビリまで時間をつぶしに来たつもりだった。

 布切れが作業台に置かれた。端が手縫いで始末されていて、これも21世紀のものとは思えない。


 この三八式を見つけたときは、草原の香りがした。

 みずみずしい青葉と露の湿った香り。荒野の関東平野とは違う。

 

「この子はどの世界から来たんでしょうかね?」

 ベンチの隣に真紀が座った。手続きをひと通り済ませたあとらしく、ちょっと疲れて見えた。

「休まなかったのか」

「ええ。留守中のお礼を渡しに行ってました」

「カルガさんの? 言ってくれたら俺がやったのに……」


 相変わらず、この人は何でもひとりでやろうとする。

 そういうところは詩布と似ていると思う。

 健斗が考えるあいだ、彼女はつまらなそうに三八式を眺めていた。


 ふと、入院していたときを思い出した。

 他に大事な人が見つかりますよ――と彼女は言った。

 いや違う、不甲斐ない自分が言わせてしまったのだ。

 健斗は目を閉じた。

 出会ったときは、詩布と真紀の関係がぎこちなく感じた。今は自分がそうだ。

「具合、悪いんです?」

 真紀の声がした。まだ喉が酒焼けしているらしく、詩布みたいなハスキーな声になっていた。

「いや。俺も本気なんだけどなぁ……」

「大丈夫ですよ。健斗君が真面目にやってること、私はちゃんと知ってますから」

 だろうね、と健斗は低く返した。

 隠すことに慣れすぎて、今さらさらけ出すなんて出来っこない。


 運動室でリハビリのメニューが終わると、今日はカルガがロッカールームで待っていた。

 いつの間に入り込んだのか、のりの利いたワンピースを着崩して、物珍しそうに個人用ロッカーのキイを触っている。

 健斗が隣に立つと、ぱっと指を離した。

「……真紀は」

「よりによって第一声が他の子の名前?」

 ぱん、とカルガはイオン水のボトルで胸を叩いてきた。健斗は受け取って、フタをはずした。

 ずっとカルガに握られていたのに、中身は冷たかった。

「ありがとう」

「ええ、どうも。別に気にしてないけれど」

「ここまでの歩数も覚えたんだな」

「なんだか嫌そうに言うのね」

 カルガはロッカールームのベンチに腰掛けた。はだけた襟から白い胸がちらちらと見えた。

 これが真紀だったら目をそらしていたな、と思う。

「それ、普通はシャツの上に羽織るんじゃないか?」

「オフショルダーなの」

「ごめん分からない。その……見えてるぞ」

「で、興奮した?」

「俺の問題じゃない。真紀も何か言っただろ?」

「それなのよ!」

 唐突にカルガは立ち上がった。


「こんなフザけた恰好であなたを迎えに行きますって言ったのに、『これもすみませーん』ってボトル1本だけ言付ことづけしてハイ終わりって、すっごく失礼だと思わない?」

「へ、……は?」

「私をちっとも意識してくれないってこと。ああイラついちゃう」

「はあ。なるほど?」

 健斗がイオン水を手渡すと、カルガはひと口で半分ほど空けた。

 口をぬぐったところで、あっと小さく言って目を丸くする。

「……ごめんなさい。間接キスになっちゃった」

「あ、知ってるのか」

 真紀も詩布も気にしなかったから、てっきり概念自体がこちら側に無いのかと思っていた。

 ――あるいはこの人も。


「あんたは、の人間だよな」

 健斗が尋ねると、カルガは片方の眉を上げた。

「ごめんなさい?」

「タイムスリップだかワープだかでやって来た人間なのかって話」

「だとしたら、なに?」

「俺よりは詳しいだろうし、事情を聴きたい」

 カルガの手の中で、ボトルが軋んだ。

 すっと足が出て、距離が詰められる。目と鼻の先に、カルガの濁った瞳がある。

 傷だらけの角膜が光を反射して、虹彩に星のような模様が浮かんでいた。


「向こうに行けば、楽園があるって聞かされてた」

 星の裏側に、濃い疲労が見える。現実を知った色だ。

「かもな」

「でもそこに私の居場所は無いんでしょう?」

「……ああ」

 あちら側の日本に、プラスチックの人工血液は無い。

 人工臓器の普及率も低く、戦災遺族の制度も第二次世界大戦でストップしている。

「そんなことだろうと思った」

 カルガは肩を落として、微笑んだ。

「それでも、あなたには価値があるところなのでしょう?」

「捨てたよ。つらい場所だし」

「コマキさんに作ってもらった味噌汁、いつもためらって食べてるのに?」

 気付かれていた。そんな仕草に出ていたとは。

「ねえ、帰りたい?」

 カルガがささやいてくる。

「たまにな。でも当たり前の感覚だ。普段は違うし、抑えられてる」

「そうだとしても決断しておくことは必要よ」

「決断?」

「そう。そのときになったら、あなたはどちらを選ぶのかって……」

 カルガはイオン水のボトルをベンチに置いて、ロッカールームを出て行った。


 少し経って、健斗はベンチに腰掛けた。

 ボトルをつかむ。相変わらず冷たかった。

「決断だって……?」

 ぐいとあおってボトルを空ける。

 甘味はほとんど無く、苦みで喉がきゅっと締まる感じがあって、ちょっとむせてしまった。

 決断など、考えるまでもない。真紀にとって最良のものを選び取ればいい。

 ボトルを握りながら、健斗はひとりごちた。

 ここに来てたったの半年未満だ。

 そうやって冷静になれる程度には、まだホームシックになっちゃいない。

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