1-2.
その男は古めかしい戦闘服を着ていた。
襟章は――健斗の記憶が正しいなら、大尉。
まず目につくのは鍛え抜かれた筋肉だった。肩から背まで身体すべての場所が盛り上がり、顔すら肉のすじが浮き上がって見える。
目が細く見えるが、これも頬の肉が膨れているせいだ。
ロシア系だろうか。背が高くて肩幅も広い。でもアジア人の血も入っているように感じる。
「まあ、今そこで仕留めたところです」
健斗は安全装置を外して、ロウレディの位置に散弾銃を構えた。
撃てるまで、この距離ならコンマ3秒。相手が拳銃では、少し分が悪い。
「日本のシカは小ぶりだが素晴らしい。なんといっても背中がきれいだ」
「はあ……」
「上手かったな。心臓を狙ったんだろ?」
男が胸に手をやる。
健斗は銃口を向けた。ペースを奪われたら
「あんた、馬賊だろ」
コンマ、ゼロ5秒。これで互角。
男は唇をひん曲げると、両手を上げた。
「RAMかもしれないぜ。いきなり銃を向けるなんて
「猟場で地味な格好してる奴がマトモなもんか」
「馬賊の通り道で派手なジャケットを羽織ってるのも大概だがね」
男が下がっていく。足取りからすると暗器は仕込んでいないようだ。
「……目的は?」
「あんたの顔を見たかった」
男は喉の奥で笑った。
「ふざけるな。そんな理由で――」
突然、あることに思い当たった。肌が粟立つ。
今、家はがら空きだ。こんな簡単なことに気が付かないなんて。
「おまえ……真紀たちに手を出したら殺すぞ! おい、何したんだ!」
「出たよ
男はわざとらしく息を吐いた。手首まで曲げて、へらへらと振ってみせる。
健斗が銃口を下ろさないでいると、男は真顔に戻った。
「今はRAMの連中とことを構えるつもりはない」
「信じろと?」
「俺はシーフだ。
視線がかち合い、健斗はその真意を読み取ろうとした。
やはり分からなかった。
この男はやり手で、しかも馬賊だ。
「……話だけは聞く。短く済ませろ」
「大事な話には前置きが必要だ」
シーフは手を下げ、ポケットに突っ込んだ。
健斗が撃つより早く、官給品のタバコを取り出してくわえる。
「少年、RAMになって日が浅いな」
シーフは薄く煙を吐いて言った。
「おまえと同居している赤いガレアスの女、あいつだったら今のタイミングで俺を殺したぞ」
「本当に撃ってやろうか」
「無理だ。やめておけ」
タバコがくるりと回る。
いつの間に引き抜いたのか、シーフのこぶしの中にはデリンジャーピストルが握られていた。410番散弾を装填した銃口が健斗をポイントし、あざ笑うように黒光りする。
「証安党の前身は保健軍だ。俺の
沈黙が続く。
シーフは言葉の効果に満足したように、ゆっくりとデリンジャーをしまった。
片手でタバコをくわえなおし、健斗に笑いかける。
「気を付けろ。
「は?」
「黒魔鬼だ」シーフは煙を吐いて繰り返す。「そっちの国軍じゃいつもみたいにフットボールだか船だかの名前が付いてるはずだ。そいつが近づいてる」
「ちょっと待った。それを俺に?」
「ああ」
シーフは地面を蹴る。少しいらついた様子だった。
「いつものRAMなら放っておけばいいが、どうも妙な動きをするやつがいる」
「バカなことを。同じ日本人だ」
「同じね。少なくともおまえは違うぞ。今までのRAMとは匂いが違う」
「なんだと!」
シーフはせせら笑って背を向けた。
一陣の風が吹き、枯れ葉を巻き上げる。
健斗がまばたきをすると、シーフの姿は消えていた。
左右に銃口を振って、探す。
いない。
追っても無駄なことは分かっていた。あの男は健斗より技量がある。
「……何だったんだよ」
健斗は散弾銃からシェルを抜いて、背中に担ぎなおした。
◇◆◇
家に戻ると靴が増えていた。
自分の登山靴を脱ぎながら、健斗は玄関を見渡す。
RAMの靴じゃない。大人ものの革靴だ。
部屋からは、特に殺気立った感じもなかった。さっきのシーフの言葉は本当だったらしい。
リビングにはカルガが座っていて、壁際では、真紀がお茶のボトルを抱えていた。
健斗がドアを開けると、真紀が手を振った。
「おかえりなさい」
「あ……お客さん?」
健斗の質問に、真紀たちは同時にうなずく。
「内地からです」
真紀は机にボトルを置いて、目だけで寝室を示した。
「アトラとか……女の人でした。名前はえっと」
「
カルガが言葉を継いで、指先で机を軽くたたく。
1枚の名刺が置いてあった。健斗はつまんで読む。
「
「詩布さんの知り合いみたいでした」
「あの人、内地のお偉いさんにも顔が利くのかよ……」
そのとき奥の戸が開いて、詩布が出てきた。
見るからに嫌そうな顔をした彼女がカルガの隣に腰を下ろすと、スーツ姿の女が続いた。
こっちが千歳とかいう女らしい。
そばかす顔で、黒い髪を低い位置でまとめている。年齢と背丈は詩布と同じくらいだが、かなり育ちがよさそうだった。詩布たちの向かいに座るときも、音ひとつ立てなかった。
「こっち、政府のミズミさん」
詩布がげんなりと言う。
「水巳千歳です。初めまして」
女は思ったより高い声をしていた。作り笑いも上手い。
「鹿屋 健斗です。RAMのドライヴァやってます……えっと」
まだ血の付いたジャケットを着ていることに気付いて、慌てて脱ぎ捨てる。
「その血、お仕事のあとだった?」
「まあ。あ、人間じゃないです。今が山で狩れる最後の時期なんで」
「狩れるってシカとかイノシシとか?」
「シカです。イノシシはちょっと難しいですね」
「そう……」
千歳は言葉を切って、カルガを見た。
「しいの、この子が?」
「うん。ウォーラスのドライヴァ」
詩布はまだ苦々しい顔をしていた。あまり仲は良くなさそうだ。
「こないだウォーラスは引き渡したじゃん……」
「ああ。あれ、本体はもう解析終わっちゃった」
一瞬、カルガの眉が動いたように見えた。
「でもコントロールの部分がまだでね、専用に調整されちゃってるからドライヴァが要るの」
「だったらメール送ってよ。こっちから持ってくから」
「RAMがトチったら責任問題になるじゃない」
そーですね、と詩布がつぶやく。
「解析して、どうするの?」
カルガが尋ねた。
「今の日本なら、ウォーラスから学べることは何もないはずよ」
「ソ連系の
千歳は、カルガの目をまっすぐ見つめた。
「それに、あなたの臓器、透析してももう限界なんでしょう?」
「……ええ」
カルガが腹に触れる。
数日前から、彼女の立ちくらみが増えている。今朝は倒れていた。
「こっちにはスペアの用意があるわ。強要はしないけど」
「断って、ここで死ぬことを選んだら?」
「あなた抜きで解析を進める。それでも1年かからないでしょうね」
国軍には政府が資金を出している。嘘じゃないのだろう。自給自足のRAMでさえ情報を抜き取れたのだから、国家機関が研究するならそう苦労はしないはずだ。
少しだけ静かな時間が流れ、やがてカルガがゆっくりとうなずく。
「サインは拇印でいいかしら……。契約書はカノヤ君に読んでもらいましょう」
「素早いご決断に、チームを代表して感謝します」
千歳は口元だけで微笑んだ。
◆◇◆
契約書への記入が終わると、完全に暇になった。
契約の内容はじつにありふれたものだった。
実験にあたっては同意のもと人権が制限される可能性があること、何かカルガに不利益があれば政府に補償の義務があること、衣食住は希望通りに行うこと、etc……。
このままカルガが内地に行くことになるなら、付き添いが必要だろう。
詩布はRAMの業務がある。真紀は補佐だ。
「俺、か」
健斗は歩きながら呟いた。
千歳は護衛付きで民家に泊まるらしい。
することもなくて、健斗は久しぶりに格納庫に向かった。
道すがらボトルの水を飲む。契約書を読んだあとで喉がカラカラだ。
さびれた町でも、どこも簡単に要塞化されている。格納庫も例外ではない。
MLFVと戦車のための固定具、キャットウォーク、雑多な機器。一帯の地面が砂利道だから、三八式やガレアスも足にかんじきを履いていた。
「お、乗りますか?」
健斗が格納庫の搬入口をくぐるなり、整備員の青年が駆けてくる。
いや、と健斗はかぶりを振った。
「そうっすか。今日こそ見せてもらえると思ったんですが」
「まあ。あ、お爺さんにありがとうって伝えてくれないかな。やっと仕留めた」
「おお、ウォーラスの次はシカっすか!」
油まみれの顔立ちは20歳手前といったところだろう。関東生まれにしては背が高い。
そんな男が目を輝かせて見てくるものだから、思わず苦笑してしまう。
どこで曲解されたのか、ウォーラスを倒したのは真紀と健斗ということにされた。
おかげで秩父に来たときは横断幕が張られているわ、沿道に住民が勢ぞろいしているわで、すっかり閉口したものだ。
三八式の足に腰かけ、健斗は空になった水のボトルを置いた。
「俺、本当に何もしてないんだけどな。だいたい乗ってたのもサンパチだし」
「そうですね。どんなマジックを使われたので?」
「……覚えてない。あー、なんかさ、散弾銃の方が向いてるかもしれない」
整備員は眉を上げた。
「もうすっかり猟師っすね」
「シカは血抜きしたけど、まだ枝肉にしてないんだ。あとで手伝ってくれるかな」
「そりゃもう喜んで!」
整備士は小躍りしながら離れていく。
どうも、なつかれてしまったらしい。悪い気分ではなかった。
少しすると、詩布が現れた。
スキットルを傾けている。中身はどうせいつもの焼酎だろう。
「おいっすー、カノヤ君」
「詩布さん、これから出撃じゃ?」
「そ、パトロール。こいつは景気づけに」
キュッとスキットルの蓋が閉まった。
「それって飲酒運転じゃないですかね……」
「アタシが
「まあ。そうです」
健斗は肩をすくめた。詩布がにやりと笑う。
「分かるよ。お偉方の相手はアタシも疲れるもん」
「<しいの>でしたっけ? 詩布さんも可愛いあだ名ついてたんですね」
「うん、嫌だよね」
詩布は腕時計を見ると、健斗の横に立った。
予定の時間はとっくに過ぎていた。またさぼるつもりだ。
「極東戦争のとき、徴員くらった話はしたんだっけ」
スキットルを腿にくくり付けて、詩布は言った。
「まあ……」
「アタシはガレアスで、ちーちゃん――水巳さんは同じ部隊の経理やってたの。生き残ったのはアタシら2人だけ」
「そっか、だから……」
「戦中はあんまり面識なかったんだけどね」
詩布は重たそうにため息をついた。
黙って、健斗は横目でガレアスを見る。緑の三つ目がぎらぎらと輝いていた。
「ちーちゃん、昔から頭は良かったから。ひとりでどんどん出世しちゃって」
「でも付き合ってくれて、いいじゃないですか」
「まあそうなんだけどさ……」
詩布はすり合わせた手のひらを見つめた。
「……あの子、ちょっとおかしいところがあると思う」
呟いてから、慌てて咳をする。
健斗が見ていると、「今の忘れて」と言われた。
「詩布さんも他人の悪口言うことあるんですね」
「そりゃね、オトナは誰だってムカシのことは思い出したくないわけよ。特にヤンチャな付き合いはね。あんたはもう18だっけ?」
「まあ、はい」
「じゃあ任せられるか。カルガさんの付き添い、お願いできる?」
やはり来たか、と健斗は思った。覚悟していたことだった。
「詩布さんはどうするんですか」
「なんかあったときのために、他のRAMと連絡つけとく。そっちも報告お願い」
「そんなに信用できないんですか、国軍のこと?」
「うん。全然」
即答された。
健斗はかぶりを振って、ボトルを拾い上げた。
「俺、介護もスパイの経験もゼロなんで、期待はしないでくださいよ」
「大丈夫。ほどほどにできればいいから」
昔、真紀も同じことを言っていた。
アサルトライフルと同じ。ほどほどが求められているんです、と。
健斗は三八式の頭部を見上げた。
今度は自分の番だ。こういうものに頼ってばかりじゃいられない。
「……山に証安党のやつがいました」
「だろうね」
詩布が涼しい顔で言う。
「俺たちに何かあったときは、お願いします」
「何かあるみたいに言わないで。縁起でもない」
彼女は低く口笛を吹きながら去って行った。やはり、この人には敵わない。
日本の、長い秋が始まろうとしていた。
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