1-1. 内地からの誘い

 ウォーラスの解析データは高く売れたらしい。

 新しい家は少し広くなって、水も使いたい放題になった。

 足りないのは戦場だけだが、こっちは喜ぶべきだろう。


 移住が終わったあとも、朝食は真紀が作ってくれている。

 暇ですから、と最近は弁当も作るようになった。そのときはカルガも一緒だ。

 にぎやかになるのは悪くない。


「いいお嫁さんよね」

 カルガの言葉に、真紀がせき込むのが背後の台所から聞こえた。

 散弾銃を組み立てながら、健斗は苦笑する。また始まった。

「だだだ誰がですか!?」

「あなた」

 と、カルガはポイッと放り上げたおにぎりをキャッチする。

「んなバッ……えっと、誰のです?」

「あの人。ドライヴァの」

「は――」

 真紀が顔を真っ赤にして振り向く。

 見て、どうしろと言うのだ。

 健斗は聞こえなかったふりをして、手元のポンプ式散弾銃にトリガーを取り付けた。


「ご、誤解されてるようですが、これはただのルーチンワークです。だって、たかがお弁当ですよ? それが、お、お、別のことに見えたっていうのなら謝りますけど」

「あら、全然違ったの?」

 カルガはくすくすと笑った。

「このおにぎり作りったら、彼への好意も愛情も何もない、コンベアで作られるライフル弾のように冷め切った流れ作業だったのね。次から気を付けることにしましょう」

「だからそうは言ってませんって……」

「じゃあどう言うの?」

 真紀がふくれっ面をするあいだに、カルガは手際よくタッパーにおにぎりを詰めた。

「さて、と」

 炊飯器をしゃもじでなぞって、米が残ってないことを確認すると、シンクを素手で探りだす。

「……フタならここです!」

「どうぞ」

 真紀はタッパーを乱暴にとじて、健斗のところに持ってきた。

 健斗が横目で見ると、おにぎりはきれいに握られたのとガチガチに固められたのが4対2の割合だった。

「……6個はちょっと多かったな」

「うるさいですよ」

「どうした、機嫌悪いぞ」

「は? いつも通りじゃないですか。何をそんなグチグチと夫婦じゃないんですから!」

「ん、夫婦?」

「はあああああ!!」

 真紀はいよいよ顔面を爆発させて、キッチンを出て行った。

 きっと寝室に行って詩布を起こすのだろう。また騒がしくなりそうだ。


 少し、健斗は昨晩の夢を思い出した。

 余裕ができると余計なことを考えてしまう。


 手元に、目を落とす。今日の用意はバックショット弾が6発、予備に2発。

 真っ赤なショットシェルをポケットに突っ込んだとき、カルガが椅子につまずく音がした。

 急いで助けに向かうと、彼女は床に倒れて、ばつが悪そうに笑っていた。

「まだお家のサイズ、分かってなかったみたい」

「じゃなくて、あんた一人で何でもやろうとし過ぎなんだよ」

「そうね。頼ることも覚えないと……」

 カルガは立ち上がり、手探りで椅子に座る。

 柔らかそうなツーピースの服は、きっと真紀が用意したものだろう。カルガでも着るのが楽そうだった。

 首の接続口が見えないと、あのウォーラスのドライヴァにはまったく見えない。

「最近、多いよな」

 透析は昨日だったはず。なのにまた倒れている。

 彼女の臓器はほとんど人工物だ。ここでのメンテナンスでは足りないのだろう。

 

 彼女の濁りきった瞳が健斗を向いて、ふたつまばたきをした。

「捕虜に心配かしら」

「まあ……あんた、いつも目を閉じないんだな」

「ええ。本当に見えなくなるもの」

「開けても見えてないんだろ?」

 カルガは答えず、手を伸ばしてきた。細い指がそっと、健斗の着ているジャケットを触る。

 袖口から肘、肩までなぞったところで急に身体をぎゅっと握られる。

「あなた、本当はあの子のことを忘れたいでしょう?」

 息が止まった。

 カルガは少し笑みを広げて、指を離した。

 乾いた目が細くなる。


「好意のある人は緑色、緊張している人は黄色、嫌なことがあった人は真っ黒……」

 カルガは胸元に引き寄せた手でひとつずつ指を折り曲げていく。

「視覚が無いから、残りの4つでカバーする。そうすると色で見えてくるの」

「そんなこと……」

「イメージよ。あなたが雨のあとの虹を7分割できるのと同じように、私も世界を分けられるというだけ」

 ウォーラスに乗っているときの彼女は、視覚を得ている。

 色を知っているなら、おかしい話ではない気がした。

 健斗はため息をつく。本当か知らないが、やはりこのロシア女は強い。

「……内緒にしててくれないか」

「捕虜に頼み込む兵隊さんなんておかしいわね。私はあなたに倒されたのに」

「ああ。悪かった。ありがとう」


 健斗は散弾銃をかついで、オレンジのジャケットの前を合わせた。

 出ていく前にひとつ思い出して、靴を登山用のブーツに履き替える。

「行ってらっしゃい」

 カルガが手を振った。だけど方向が全然違う。

 健斗はため息をついて、手を振られた方向に歩いた。

「……ん、行ってきます」

 あれこれ言っても、やっぱり見えてないらしい。


◇◆◇


 移住してきた秩父というのは……山だった。

 秩父事件で名前だけは知っていた。なんか農民がワーッと騒いで自由民権運動がどうのと。

 いざ住むと思ったよりも交通の便は良かった。

 もともと国道が脇を通っていて、それに極東戦争のときの軍用道路が追加されている。内地からの物資も、そこそこの頻度で届く。馬賊の妨害がないから、下手したら前よりも安定している。

 だが、土地そのものはほとんど山だ。


 山道に停めた軽トラから出ると、健斗は銃に散弾を込めた。

 冬も近く、木々の多くは葉を落としている。落ち葉が地面を覆ってしまうと罠の調整が難しい。

 実際に最近はくくり罠がまともに動いていない。埋めた腐葉土が勝手に崩れるせいだ。

 散弾銃をいじりながら、健斗はさっきの会話を思い出した。

「忘れたい、か」

 ここ数日、リラックスしているのか、夢をよく見るようになっている。

 女の子。ハイヒール。交差点。16歳の誕生日。

 割り切るようにコッキングレバーを引いた。確かな感触がして、薬室にダブルオーバック弾が装填される。


 山は広いが、ヒトが歩ける場所は思ったより少ない。

 もともと山歩きは好きだった。親戚に狩りを趣味にしている人がいて、同行したことも何度かある。

 狩りのコツも、本当に大事なところだけは教わった。

 たとえば、<獲物は探しに行くな>。

 人間が動ける範囲なんて、イノシシやシカと比べたら箱庭のようなものだ。歩ける道に入ってきたやつだけを狙え。箱庭から出たら、安全は保障されない。来たのを見つけて、それを追え。

 健斗はしゃがみ、草むらを探る。

 暖かいフンが残っていた。野生らしいひどいニオイだが、草食動物のものと分かる。

 さらに探ると、近くの泥にひづめの足跡があった。これも新しい。


 3週間前、山でかき混ぜられた泥溜まりを見つけた。

 動物が身体についた虫をこすり落とす、ぬた場と呼ばれるものだ。

 ぬた場のそばには獣道がある。ここ数日で、ある程度は辿れるようになった。

 狙っている獲物はシカ。目方はだいたい40キログラム。

 このあいだ仕掛けた罠はすべて反応していないか、勝手に空撃ちしていた。

 来るなら今日だ。あいつは2回ほど縄張りを回って、川で水を飲み、虫を落としてから帰る。


 風は山で遮られ、ビルの合間のように渦を巻いていた。

 地元の猟師に教わって風を読むことも学んだ。風は人間の物音も体臭もすべて運んで、獲物に知らせてしまう。逆もまたしかり。

 渦の真ん中に座って、銃の安全装置を外した。

 調整は済ませている。それにこの散弾なら、甘い狙いでも殺せる。

 枯れ木を抜けたところに獣道が見えた。

 あそこは歩かなかった。少し痕跡を残すだけで、あいつらはすぐにルートを変えてしまうから。


 冷たい風がジャケットの隙間から入って、背中が震えた。山はすっかり冬の寒さになっている。

 どれだけ待っただろうか。

 景色に少し違和感があった。すぐさま視界を分割し、ブロックごとにサーチ。ひとつずつ確認していくと、真ん中やや左側に動く茶色い背中を見つけた。

 やっぱり、小さいメスのシカだった。

 健斗は息を止める。

 腹に泥がついていた。ぬた場から戻ってきたところだろう。山でのシカの身体は目立たないから、こうして見つけられたのはほとんど奇跡と言えた。


 銃床を頬に当てる。

 脇を開く構えには、まだ慣れない。地元の猟師は帝国時代の陸軍崩れとかで、こうした古臭い構え方もしっかり教えてくれた。

 右目は照星と照門を結ぶラインに据え、右手の人差し指を伸ばす。

 頭は狙わない。頭蓋骨は思ったより固い。直撃以外じゃ殺せない。

 撃つなら前脚の少し後ろだ。そこに心臓がある。

 狙いがついた。指を曲げ、トリガーに置く。

 シカは気付いていない。たまに立ち止まるのも、餌を探してのことだろう。

 狙っているとあいつの息づかいが分かる。止まると思ったら止まり、動くと思ったら動く。

「はっ」

 息を吸ってしまった。

 半拍だけタイミングがずれ、何かに気付いたように、あいつの耳が立つ。

 目が合った。

 健斗は息を止め、トリガーを引いた。

 

 ふ、と沈む感覚。肩を押し下げ、銃が小さく跳ねる。乾いた音が響く。

 シカがたたらを踏み、一度小さくよろめいたあと、逃げ出す。

 残響のなかで、健斗はゆっくり立ち上がった。薬室から弾を抜き、セイフティも下ろす。

 命中したのは分かった。

 直撃じゃないが、あの動き方は急所に当たっている。

 獣道に踏み込むと、血痕が続いていた。動脈血は絵の具みたいに真っ赤だからすぐに見つかる。


 シカは、150メートルほど山を回った先で倒れていた。

 腐葉土の中でもがいたのだろう。口からひと筋の血が流れていた。

 心臓へのダメージはかなり少なかったらしい。健斗が撃ったペレットの大部分は肺をずたずたにして、気道と肺胞を血で満たした。逃げるうちに窒息して、ようやくここで倒れたのだ。

 健斗は腰のナイフを抜く。

 倒れたシカの呼吸が浅くなっていく。目もだんだん細くなってきた。

 もう死ぬのは確定だ。だが前にここで手を出して、痛い目に遭った。健斗は離れたところで腰を下ろし、少しずつ弱っていくシカを眺め続けた。

 

 何もかもが馬賊との戦闘とは違う。

 こいつらは撃たれたら逃げる。

 1発で殺さないと、2度目はない。

 馬賊どもは仕損じても向かってくる。だからみんな頭を狙うし、派手に壊す。健斗もまずは撃って、それから狙いに修正をかける。撃つあいだは撃たれない。撃たないと、向こうから撃ってくる。

 シカの目が閉じた。

 健斗は隣に座って、シカの首すじを親指で押す。前脚のあいだに、ちょうどいいくぼみが感じられた。人間の鎖骨と同じで、四足の動物はそこに頸動脈が通っている。

「ごめんな、まだ撃つのが下手で」

 健斗はまっすぐナイフを突き刺した。

 

 川に血抜きしたシカをさらすころには、とうに正午を回っていた。

 山でわたと血を抜くと、獲物は一気に扱いやすくなる――毛皮のダニ以外は。

 ジャケットを登ってくるダニを払いながら、健斗は持参したタッパーを開けた。

 

 いつも通り、どっちのおにぎりも塩だった。ただ真紀の方がちょっと味付けがきつい。

 普通に食ったらカルガの味付けも美味いのだろうが、疲れていると塩が多い方がありがたかった。

「なんだよ真紀。勝ってるじゃないか」

 狩りのあとは独り言が多くなるのも、ここ数ヶ月で知った。

 

 ここは汚染が少なく、まだ文化的な生活を送っている。

 詩布がRAMの業務をやってくれるから、健斗と真紀はもっぱら食糧係だった。地元の猟師や農家に教わりながら、畑を用意したり、罠を仕掛けたり獲物を撃ったり。

 暇ではない。しかしMLFVミュルフィヴに乗る機会はずいぶん減った。

 ちょっと、寂しく思う。


「そろそろかな」

 ぼうっとするうちに、水にさらした獲物の肉が、薄いピンクになっていた。

 まだナイフを使うのは下手だから、さばくのは帰ってからだ。

 大事をとってもう少し待とうと、タッパーをしまって散弾銃を手に取ったとき、後ろに気配があった。

 

「いい獲物だな」


 健斗はそっと、銃にシェルを詰め直した。

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