5-3.

 脳天を突き抜けた稲妻が真っ赤な視野を叩き割る。


 銀粉が眼前に散った。

 あらゆる風景が砕けたステンドグラスみたいにバラバラになって、脳みそを巡るうちに再編集され、しだいに形を取り戻す。

「はぁ……はぁ……」

 真紀は頭を押さえてふらついた。なんでか知らないが、死にそうに痛い。


 連続性のない記憶をまさぐって、何が起こったのか確認しようとする。

 閃光があった。あと疼痛。やっぱり分からない。

 前には道路に倒れた女。海老茶色の見慣れたジャケット。顔にはべったりと貼りついたピンクの血のり。女はこっちを、人工血液まみれの顔で驚いたように見ていた。


 やっと理解した。


「バッキャロオオオオオオオおおおッ!」


 頭突きの反動で、絶叫ががんがんと頭に響く。

 どうにか持ち直して、詩布の前に立つ。大きく息を吸うと喉がひりついた。

「さっきから私の気持ちばっかり無視しやがって! あんたもガキ扱いかよこのヤロウ!」

 胸ぐらをつかむ。ちょっと力を入れるだけで、呆気なく立たせることができた。

 この女の身体、軽すぎる。

 嫌だ。気付けなかった。クソが。ムカつく。

「あんたの代わりがいるわけ無いでしょうが! 馬鹿もここまで来るといっそ清々しいですね、ほんっと。そんなに私をガッカリさせるのが楽しいんですか!」

「アタシは別にそんなの――」

「うるさい!」

 真紀は腕を振り上げた。

「健斗君は関係ない! 私にクソまずいコーヒーの飲み方とかMLFVの操縦法とかサラシとか、全部教えたのあんたでしょうが! 私の思い出、全部否定する気ですか。おい答えろよ、この大馬鹿酒飲み女!」

 詩布が顔を覆う。

 さらに言おうとしたとき、唇がわなないた。


 言いたいことは山ほどあるのに、ぜんぶ口の中でぎゅうぎゅうに突っかえてくる。

 どうしようもなくて、こぶしを下ろす。

 詩布の手に当たると、弱々しい音が返ってきた。

「いつも、あんたは……!」

 二度目をやろうとして――もう力が入らないことに気付いた。

 詩布はまだ顔を覆っている。こんなにボロボロでも、やっぱり彼女の方が強いのだ。

 急に力が抜けてきて、真紀は地面にへたり込んだ。


 ダメだった。こんなときすら、全力で殴ることができない。


「……このあいだ、ヒトが死ぬところを見たんです」

 ほとんど無意識だった。

 渋滞を起こした言葉の海から、それだけが転がり出た。

 詩布が顔を上げる。

「ロケットランチャーで撃ったんです。身体ぜんぶ震えて、私だって、あれからまともに戦えないんですよ。今も殴ろうとしたのに、勝手に手が躊躇しちゃって」

「……ごめん」

「分かりますよ。私に全力で殴られたいでしょう、詩布さん」

 真紀は無理やり笑った。頬が熱い。

「私もです。私、腑抜けてるんですよ。『ふざけんな』って、顔をぐちゃぐちゃにされちゃうくらい、あなたにボコボコに殴られたいです。ずっと、詩布さんもこうだったんですよね」

 今ならハイヒールを贈ってきた詩布の気持ちも理解できた。

 あんなものを履いて戦場に出るやつはいない。

「あの誕生日のハイヒールですけど、じつはまだ持ってます」

「あ……趣味じゃないって怒ってたやつ……」

 詩布の目が大きくなった。

「ええ。あの時はすみませんでした。本当は汚い足に似合わないのが恐くて、わざと断ったんです。詩布さんの選んだものでしたし、デザイン、私の好みでした」

「そ、そう、気に入ってくれてたんだ……」

「飾り文字まで入れちゃって。本当に面倒くさい性格してるんですから」

 真紀が言うと、詩布は拗ねたように唇を噛んだ。

 こういう表情ばっかり似てしまった。真紀は手を伸ばし、詩布の肩に置いた。


「今、歩けるように練習しているんです。絶対、見せますから。それまでは絶対に死にませんし、死なせませんから。いいですよね」

 詩布の喉は真紀の言葉を反芻するように上下していた。街灯りに照らされて、三日月の形に細められたブラウングレーの瞳が淡く反射した。

 すうっ、と詩布の胸が大きく膨らむ。

「綺麗なんだろうな」

 深々と吐き伸ばされたため息の中、彼女は小さく、呟いた。

 痩せた身体が震え始める。

 叫びとも咆哮ともつかない声が、食いしばった歯の隙間から洩れる。

 真紀にすがりつくと、詩布は獣のように叫んだ。


 もう掛ける言葉なんて見つからなかったが、真紀は太腿に食い込む詩布の指がちょっとずつ力強くなることだけを、黙って受け入れた。それで、今は通じる。

 最後に、しぼんだ風船のように打ちひしがれた女の痩躯だけが残った。

 真紀は微笑んで言った。


「スッキリしました?」

 答える気力が無いのはわかってる。でも、詩布はなんとか答えてくれた。

「お腹……すいた」

「じゃあ、帰りましょうか」

 にっこりと満面の笑みで詩布を立たせる。二人ともボロボロだった。

 帰り道にちらりと見えた詩布の瞳は、今までで一番深みのあるツルバミ色に見えた。

 大好きな色だ。真紀はささやくように、

「何を食べたいですか」

「パスタ。大盛り」詩布は答えた。

「そうですか、わかりました。明日はゆっくり休みましょうか」

「うん……」


◆◇◆


 帰ってみると自宅の照明が点いていた。

 ドアを開けて転がり込んだ2人の前に、健斗が淹れたばかりの緑茶を置く。

「疲れたんじゃないか。その……ここまで聞こえてた」

「ごめんなさい」

「ありがと」

 ガラガラ声で応答して、真紀たちは顔を見合わせた。

 たまに、この青年の底が知れないと思う。

 いそいそと顔をふく詩布を尻目に、真紀は台所で湯を沸かした。

 塩を3つまみ、それにスパゲティをたっぷり投下。ニンニクと鷹の爪、次いで玉ねぎも切って、手元に胡椒とオリーブオイルを用意。


「夜食にしては多いな」

 健斗が横槍を入れてきた。

「詩布さんの御飯です。それよりも男子、台所に……」

「今日くらいは勘弁してくれよ。寝たふりするの大変だったんだから」

「えっ、ずっと起きてたんですか?」

「隣であれだけ寝返り打たれて眠れるか。それでケンカの成果はどうなった」

「ケンカじゃないですって」

 真紀はフライパンに油を引くふりをして顔を背けた。深夜にバカみたいに叫んだ自分が、今さらになって恥ずかしくなってきた。

「まあ、大丈夫だと思います。お互い憑き物は落ちました」

「そうか、なら良かった」

「……はい」

 きつね色に変わるニンニクを見つめながら、真紀は熱くなった頬をゆるめた。


 怒涛の勢いでパスタをすする詩布の横で、真紀は健斗に簡単な経緯を話した。

 健斗は腕を組んだままずっと微動だにせず聞いていたが、真紀が話し終えると一言、

「ウォーラスと戦うか……」

 と残念そうにつぶやいた。

 詩布が口いっぱいにペペロンチーノをぶち込んだまま、フォークを向ける。

「ふぉれふぉひほ」

「飲み込んでから言ってください。また頭突きしますよ」

 グビリ、と野卑な音がして詩布の口回りが大きく体積を失う。


「それよりも」

 と詩布は続ける。

「問題はアタシたちの避難先だね。非戦闘員の受け入れ先は決まってるけど、そっちを優先したせいで全然枠が足りてないから」

「山梨あたりまで行けばあるんじゃないですか?」

「途中で補給を受けないといけないし、何よりも戦闘後の長旅はきついかな」

「では、今のところのプランは」

 真紀は飛び散った油に眉をひそめた。

 今までが宮廷貴族に思えるほどの食い散らかしようだ。今後が思いやられる。


「1か月あれば、秩父の方で受け入れ態勢を整えることが出来るらしいの。だからそれまではどうにか耐えてみせて、そちらに移住する予定だけど」

「無理ですね」

 健斗が急須にお湯を足しながら反論した。

 指摘された詩布もそう思っていたらしく、すぐうなずいた。

「わかってる。整備員とか通信手の後方勤務員のぶんも守らないといけないし、おまけに一般市民の護衛に戦力が割かれちゃう。ウォーラス撃退はできるかもしれないけど、その後の本隊との戦闘は絶対に被害が大きくなる」

 急に口をつぐみ、フォークを置いた。えっと、とためらいがちに続ける。

「ねえ、やっぱりあんたたちだけでも逃げて――」


 真紀は机を思いっきり叩いた。

「ひっ」と詩布が椅子から転げ落ちそうになる。

「プランBとか、予備計画があるでしょう? そっちも話してください」

「それは……」

「詩布さん」

 重ねて言う真紀に、詩布はしゅん、と小さくなった。

「あ、あのね、武器弾薬の支援を申し出てくれる自治区は多いの。大抵は難民を受け入れるだけの資金力が無くて、土地自体はあるっていう町なんだけどね」

「金さえあれば、受け入れも認めてくれるというわけですか」

 健斗が遮って言葉を継ぐ。詩布は肩を縮こまらせたまま首を縦に振った。

「でも、そんな全員を養うお金はここに無い。なら作るしかないんだけど、その方法っていうのがちょっと……」

「ちょっと、何ですか?」

 真紀は身を乗り出した。どうせろくでもない方法だろう。

 詩布はおどおどしながら切り出した。

「ウォーラスを鹵獲・解析して、そのデータをあっちこっちに売りさばく。ダメだよね」

「え、それだけ……?」

 真紀と健斗は拍子抜けして、椅子にもたれた。

「普通に戦うだけじゃないですか。何が違うんですか」

「全然違うでしょ!」

 詩布は気色ばんだ。

「撃退じゃなくて、撃破。分かる? 確実に倒さないといけないし、そうなると全戦力を傾けることになる。民間人とか整備員の避難もその後になるんだよ? ハイリスク過ぎて、誰も賛成するわけないじゃん」


 下手に民間人の疎開を進めるようなら手薄な時を狙って攻撃される。そうなると撃破は難しくなる。さらに言うなら、常に兵器の稼働率を百パーセントに保つ必要がある。


 確かに、難しい問題だった。

 真紀はパスタ皿を片づけると、詩布に向き合った。

「もしウォーラスの撃破を狙うなら、戦術はどうなりますか」

「まずは地雷敷設による侵入経路の制限、それから破片榴弾で脚部の破壊になるね。榴弾の危害半径より内側の300メートル圏内に入られたら直接戦闘になるけど」

「妥当なところですね」

 真紀はこめかみを押さえた。


 MLFVの真髄は、機甲師団一個中隊をまかなえる情報収集能力にある。

 いくらウォーラスがデタラメじみた運動性能を持っていても、基本戦術は一般車輌と同じで、センサを利用した偵察からの奇襲になるはずだ。

 特にカルガの白兵戦を主眼とした戦闘スタイルから推測して、交戦距離は長くてもせいぜい200メートル。接近される前に大火力で押しつぶせば何とかなる。


「逃げられる可能性もあるし、そもそもウォーラスではなく本隊がいきなり来るかもしれない。当日どう転ぶかは賭けだよ」

 そう言って詩布は緑茶を一飲みした。

「でもその方法しか、俺たちが助からないなら……」

 健斗が真紀に目くばせした。

 真紀は頬を引き締め、詩布の足元に両膝をついた。

「おい!」

 健斗が叫ぶ。真紀は構わず両手を地面に広げ、続いて親指と人差し指が作る三角形の空間に額を叩きつけ――土下座した。

「お願いします。その計画、通してください」

「みんなに迷惑をかけるって、わかってるんだよね。アタシらが言い出したせいで何百人も死ぬかもしれないけど、覚悟はできてるの」

「で、出来てます! その時はどうやってでも償いますから!」


 椅子が軋む音がした。真紀は身を固くして次の詩布の行動に備えた。

 自分の髪とフローリングの床との間に、詩布のつま先が見えた。

「……あのね、あんたに責任が取れるわけないでしょう」

 詩布の硬質な声がとがめた。真紀は歯を食いしばって、

「そこをなんとか」

「絶対無理。あんたは思ってる以上に未熟だし、立場だってぜんぜん。こんなのに背負われちゃったら、泣くに泣けないよ」

 頭を鷲掴みに持ち上げられる。真紀はそろりそろりと視線を上げた。


 詩布は、優しく微笑んでいた。

「無茶すんなって。アタシが責任を負うから、真紀は頑張ることだけ考えて。それを約束するならいいよ。どうせ具申するのはアタシなんだから」

「あ……ありがとうございます!」

 しみてきた目元を隠すため、真紀は詩布の胸に飛び込んだ。

 頬がサファリジャケットの生地を擦って熱くなる。

 その奥で上下する腹はとても暖かい。


 いつものこの人が戻ってきた安心感で胸が一杯になる。

 気が付いたらまた泣いていた。

 今も昔も、ここが泣く場所なんだ、と思う。

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