5-2.
そっと立ち上がり、後ずさる詩布の手を握る。今すぐ問い詰めたくて
「外で話しましょう」
真紀は魂が抜けたように放心する詩布を連れて、夜の街へと向かう。
外は死んだように静まり返っていた。虫の声ひとつしない。
響くのは2人の女性の足元でブーツが立てる凍った音だけ。
湿った夜気も、彼女たちの周りだけは道を
大通り脇の歩道を歩きながら、真紀はどう切り出すべきか迷った。
詩布の性格を考慮するなら強く尋ねるべきなのだろう。だが、自らの斜め後ろを幽鬼のようにふらふらと従う足音に、ためらいを感じた。
「ごめん……」
泣きそうにかすれた声が発せられる。
「謝るようなことをやっているんですか」
真紀は振り向かずに言った。
「詩布さん。あなた、ここ数日眠っていませんよね」
「そんな、違う――ちゃんと寝てるよ!」
「鏡見てますか? それとも見て見ぬふりをしているんですか? 私に気付かれないと思いましたか。ああ私、バカですもんね。信頼されてると思ってたんですけど」
踏ん切りをつけるように後ろを向く。
弱々しく震える瞳が正面に据えられた。
「正当な理由を言えないのなら、私、詩布さんを査問委員会に報告しますから」
査問委員会に報告されたRAMは、対応が決定されるまで活動を制限される。
殺し文句だった。詩布の顔がくしゃっ、と歪んだ。
「アタシは……真紀のためを思って……」
枯れた声で詩布が抵抗を試みた。これ以上聞かないで、と。
真紀はせせら笑って、最後の境界線を踏みにじった。
「知らない方が幸せってことは、世の中にはほとんど無いんですよ。少なくとも、私はそう思ってます。私のためを思うのなら教えてください」
「…………」
詩布は下を向いてずっと黙っていた。真紀は詰め寄ろうと足を一歩踏み出しして。
「仕方ないじゃん……」
ガムのように吐き捨てられた言葉。真紀は足を止めた。
詩布の顔が持ち上げられた。吊り上げられた目が震えている。
「2週間で……」
詩布は唾を飲み込み、はあ、と息を吐く。
「あと2週間で、この自治区は証安党によって攻撃を受ける。これで満足? どうなの、言いなさいよ」
「政府から通達はありませんが、根拠は」
思っていたより驚きは少なかった。
カルガと別れたときから、覚悟していたことだ。
「馬賊内部からの告発。アタシが言わなくても、3日後には全員に広報されるけどね」
そこまで言って、詩布はうつむいた。
「大丈夫、あんたと鹿屋君は疎開できるように
「何を馬鹿なこと言っているんです!」
思わず手が出て、詩布の胸倉を掴んだ。
「ほ、補佐でも私はRAMですよ? 戦闘義務だって。戦うに決まってるでしょう!」
「だからさぁ」
詩布は面倒くさそうに真紀の手を振り払った。
「それまでに退官しろって言ってんの。どうせあんたのようなチビッ子、誰も期待なんてしてないんだからさ」
「そんなことありません。私でも砲撃の
「言うこと聞けって言ってんだよ!」
怒声が夜空にこだまする。
真紀は固まったまま、目だけで詩布の顔を追った。
濡れた瞳、痙攣する口元、嗚咽を漏らす喉。
真紀が見つめる前で、詩布の顔がゆっくりとふやけ、崩れていく。
「アタシもう、限界みたいなの。これ以上、真紀を守れない。だからお願い。お願いだから、少しくらいカッコつけさせてよ……」
詩布は真紀の足元にへたり込んだ。息にすえたビールと
「詩布さん、どうしたんですか」
真紀は、何かが壊れていくのを感じた。これは知っている詩布じゃない。
すがり付くように、真紀のカーゴパンツの裾が握られる。
「何やっても現実感が無いの、大体半年前から。全部夢かゲームの中みたいで、死ぬことも抵抗が無くなってきて……自分から弾に飛び込んでいくんじゃないかと思うと、なんか、夜も眠れなくて」
詩布はそこまで言うと、思い付いたように無理に唇の端を上げた。
「で、でも、もう鹿屋君がいるから大丈夫だよね? アタシよりもずっとしっかりしてるし、真紀とも気が合うみたいだし。ね、そう思わない?」
――赤い。
耳の奥から、血が流れる音が聞こえた。
血管のあっちこっちで引っかかって、ぷちぷちと音を立ててる。
どす黒い。なんか嫌だ。
「自分が使えないから、死のうと。それだけで」
「そうじゃなくて、保険みたいな……そう、万が一の時も鹿屋君なら安心して真紀を任せられるし、何とかなるかなって」
――赤い。
詩布は饒舌になっていく。神経を逆撫でするニタニタ笑いが広がる。
いつもの、あの呆れるほどさばさばとした詩布よりもずっと……気持ち悪い。
真紀は、乾いた嘲笑が喉をせり上がるのを感じた。
やっとひとつ確信を持てた。
やっぱり、詩布は嘘が下手だ。
――赤い。
嘘つき。嘘つき嘘つきうそつき。
死にたくない人は吐くまで安酒を呑まない。隠れてめそめそ泣かないし強がらないし相談してくれるはずだし知り合ったばっかの居候にこんなに簡単に全部押し付けないし。
――赤い。
かすむ視界に、詩布のひたいだけが浮かんでいる。
赤くて、上気して、熟れたトマトみたいに汗をかいていた。
ここだけは昔と同じ。そっと両手で包み込む。指がしっとり濡れた。
――赤い。
「……へぇ、そうですか」
かじりつきたい。かち割って脳みそを
――赤い。
殻が割れる音がした。
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