4-5.

「手続きはこれで終了だ。さっさと入れ」

 ひげの剃り跡が濃い守衛は、目も合わせないで真紀にIDカードを返した。


「あの、他の車輌はどうしたんですか」

 大通りに停められたいくつかの輸送車輌を除けば、残っているのは真紀の横に立つ、例の白いMLFVだけだ。

 守衛はぴくりと肩を震わせると、ぎこちなく笑った。

「馬賊との戦闘があって、ぶっ壊されちまった。動くやつは残ってねえんだ」

「それは大変でしたね。今、物資を運びます」

 どうも事態は思ったより深刻のようだ。


 入口脇の駐車場にトラックを停めると、真紀はすぐ荷台を開けた。

「うわ、こんなに運ぶのか」

 ぎゅうぎゅうに詰められた段ボールの山を見て、健斗がげんなりと言う。

 真紀はその背中をはたき、

「愚痴る暇があったら運んでください。今も私たちを待っている重傷の方々がいるかもしれないんですよ」

「なあ、あのMLFVのドライヴァにも手伝ってもらった方が……」

「唯一稼働できる戦力を潰せと? 馬賊が戻ってきたらどうするんですか」

 未練がましく護衛の白いMLFVを見上げる健斗をたしなめ、真紀は人工臓器が詰まった箱を抱え上げた。

 町の中もずいぶん奇妙なものだった。

 まず、人通りが無い。使用感の残る家屋の設備から過疎というわけでもなさそうなのに、一人として住民を見かけない。

「何があったんだ」

 健斗が呟いた。

「どこにも血が残っていないのも変です」

 真紀も小さく応じて、アスファルトを蹴った。


 自治区の所有する兵器の大半を破壊されるほどの総力戦をやったのなら、怪我人が通りに溢れていなければおかしい。いくら兵器の搭乗ブロックが無傷だったからと、歩兵や工兵など、交戦する戦闘員はいくらでもいる。

 にもかかわらず、土肌がのぞく地面には担架を置いた形跡すら残っていない。ペイントボールで戦争をしたわけでもあるまいに。


 通りの突き当りにある病院もまた、激戦があったとは思えないほどに清潔だった。

「依頼の品物、お届けに参りました」

 あまりに作り物じみた消毒液のにおいを嗅ぎながらぎこちなく呼びかけると、これまたぎくしゃくとした足取りで、医師らしき白衣の中年男性が事務室から出てきた。

「すまない。お疲れ様」

 スマナイオツカレサマ。抑揚がなくて、声は全てカタカナで聞こえた。


「ええ。ところで、患者の方はどちらに?」

 カルテが全然入っていないスカスカの棚を見て真紀が問うと、

「自宅療養してもらっているんだ」

 と即答された。間違いない。応答をあらかじめ用意している。

 段ボールを置くとき、健斗が病室を覗きに向かった。真紀は見なかったが、どうせ空だろう。

 荷解きが終わり、真紀たちは外に出た。

「おかしいだろ」

 ドアが閉まるなり、健斗が言い捨てる。

「人工臓器が必要な患者だぞ? 多少無理してでも病室に突っ込んでおかないと」

「ええ。この任務、なんかおかしいです」

 真紀はポケットから依頼書を取り出した。

 依頼書には顔写真付きで傷病者とされる人々のカルテが掲載されている。内臓貫通射創に散弾射創、おまけに頭蓋陥没まで。ほぼ全身の臓器がボロボロになっているような人間を自宅療養で済ませるなど、常識ではありえない。


「あまり長居はしたくないものですね」

「本当に、な」

 顔を見合わせるふりをして、二人はお互いの背後の民家を流し見した。

 カーテンを閉め切った窓の後ろから、何者かの視線を感じる。馬賊かもしれない。住民かもしれない。どちらにしろ、愉快な気分ではない。

「いっそ、さっきの守衛を問い詰めるという方法もあるけどな」

「それは流石にまずいと思いますよ」

 健斗の視線が自分の腰に向けられているのに気が付き、真紀はとっさに身を引いた。

 用心のためにホルスターと拳銃を身に着けてきたが、これは自衛用だ。

「……戦う気もない人を傷つけちゃいけませんって」

 ロケットランチャーで吹き飛ばした馬賊の顔を思い出し、真紀はそっと言った。

 すっかりトラウマになってしまった。毒づけばいいのか、まだ人並みの情があることに安堵すればいいのか……とにかく、今戦っても人を撃てない、という予感があった。


 その心配は、幸いにも杞憂に終わった。

 ハーフトラックへ向かう道中に、向こうから歩いてくる人影があった。

「おーい」と健斗が声を上げながら手を振ると、まっすぐ近づいてくる。

 姿がはっきり見えて、真紀は眉をひそめた。

 その人物が身に着けているものは、ぴっちりとしたライダースーツ風の服だった。胸や大腿部は気嚢エアサックで覆われて、まるで爬虫類の鱗を裸の上に貼りつけているみたいだ。

 以前、同じものを軍の放出品市場で見かけたことを思い出す。

 旧式のMLFV用耐Gスーツだったか。


 このダークグリーンで染色された制電繊維製の服は、コクピットブロックのアクティヴサスの発展とともに廃止されたはず。現役で着用している人間なんて初めて見た。

 それを言うなら、着用した人間そのものも相当おかしかった。

 ロシア系の青白い肌とプラチナブロンドの長髪に、薄く閉じられた瞳。小ぶりだが整った唇には水で溶かしたような淡い紅。優美にもたげた顔には整ったシャープさがある。

 ひと目で強烈な違和感を覚えた。

 人間の顔は、こんなに左右対称の造作をしていない。


 立ち尽くす二人の前で、耐Gスーツ姿の少女はゆっくりと目蓋を開いた。

 長い睫毛の下から現れた薄緑の瞳は、河原の石のように濁った色をしていた。

「何かしら」

 ピンクの舌が深みのあるアルトの声を作った。


 そっと真紀は健斗を横目で見た。彼も同じように真紀に目くばせしてくる。

 ビビりの守衛にロボット医者ときて、今度は耐Gスーツの盲目少女と来た。次はフランケンシュタインの怪物かエイリアンだろうか。

「用が無いのなら、病院へ行きたいのだけれど」

 少女が静かに催促する。見えないだけに、口調に遠慮の類は一切ない。

「あ……え、えっと、よかったら送って行こうか?」

 腫れ物に触るように健斗が申し出ると、少女の唇の端がきゅっ、と持ち上げられた。

「ありがとう。助かるわ」

 手引きを求めて差し出された腕を、健斗が優しく握る。


 カルガ。そう少女は名乗った。

「まだ病院には行ったことが無いから、道が分からないの」

 軽く地面を蹴って、カルガが口をへの字に曲げる。

「見えないのに、行けばわかるんですか」

 真紀が言うと、カルガはええ、と得意げに胸を張った。

「今まで行ったところまでの歩数は全部覚えてるわね」

 真紀はカルガの足元に目を落とした。

 たしかに、彼女の歩幅は測ったように同じ長さを刻んでいた。

「もう少しゆっくり歩こうか」

 左手を貸している健斗が言うと、彼女はゆっくりと首を振った。

「あなたたちが危ない場所を歩かせるような人じゃないのはわかっているから」


 他意の無い、本音だけの言葉。

 真紀には、この女の意図が理解できなかった。お世辞を挟まない、聞きようによっては非常にずけずけとした物言いは、ある種の処世術なのだろう。

 それにしてはあまりに無防備すぎる。

 MLFV用の耐Gスーツを着ている理由も不明だ。軍用スーツならば排泄物の管理が楽にできる。介助の一環で着用するというならばある程度は理解できるが、グローブやエアサックまで身に着けていることの説明にはならない。

 まさかさっきの白いMLFVに……。


「そんなわけ、ありませんね」

 真紀は苦笑した。ステアリングさえ握れば運転できる遊園地のゴーカートとはわけが違う。盲人が乗るにはMLFVの操作は複雑すぎる。

「ところで、他の人はどうしたんだ。壊れた車輌の修理はしないのか」

「そうね。私も提案したのだけれど――」

 カルガがさっと髪を漉く。見え隠れした首すじで何かが光を反射した。

「あっ……」

 真紀が確かめる前に、再び長髪がカルガの首を覆った。


 しかし、それで充分だった。

 反射的に、真紀はホルスターに触れた。

「離れて……」

 次のアクション次第で、いつでも撃てるように。

「――誰も家から出てきてくれないのよ」

「健斗君、その女から離れてください!」

 真紀は拳銃を抜きざまに叫んだ。手を離した健斗の前で、カルガはちょっぴり寂しそうな顔を見せた。


「あなた、ウォーラス・ライダーですね。証安党の」

 震える照準をカルガの眉間に合わせる。

 今、きっと撃てた。

 でもトリガーを引けなかった。撃とうと思ったのに、ためらってしまった。

 対してカルガは無表情に見つめ返してくる。

 銃口を向けられていることはわかっているはずなのに、表情に恐れの色は無い。

「命の恩人に対するお礼にしては、少し荒っぽいわね」

「命の……えっ、つまり」

「この人が、あのMLFVのドライヴァです」

 真紀は苦々しげに歯ぎしりした。

「タービンエンジンと電力のハイブリッド。そんな整備性の悪いMLFVが辺境の自治区にある理由なんてひとつしかないのに。私がうかつでした」

「その歳にしては結構いい勘してると思うわよ」

「馬賊風情が馬鹿にしないでください!」

「あなたを馬鹿にしたつもりはないのだけど……」

 カルガの顔に影が差す。

 この余裕も、自分が絶対的な強者だからこそ。

 こいつは危険だ。真紀は銃を構え直した。


 証安党が保有するという、でたらめな性能を持つ多脚戦闘車輌、〈ウォーラス〉。

 極限まで削られた稼働時間と引き換えにカテゴリを逸脱した戦闘能力を持ち、常に単騎で戦場を駆け巡ると聞いている。馬賊の代名詞とも言える、局地戦闘用MLFVだ。

 まさか未成年の、しかもハンディキャップを負った女性が搭乗しているとは。

「でも、どうやって」

 健斗が呆然とカルガのスーツを見回した。

 ひそめた眉から察せられた。少女の装備に全盲の視野を補助する機構は見られない。

「その身体でどうやって操縦するんだ。目も見えないのに」

「首に端子があります。ブレインマシンインターフェイスですよね」

「あら、物知りなのね。ご名答よ」

 状況を楽しんでいるかのように、カルガの声には高揚した素振りが感じられた。

 微笑を顔に貼り付けたまま、流すように髪がかき上げられる――

 なっ、と小さく叫んで健斗が後ずさる。真紀も拳銃を持つ手が強張った。

 少女の左耳の下の皮膚には、長方形の穴が口を開けていた。板状の金属片が覗いている。本来、人体にあってはならないもの。機械との接続ソケットだ。


「サイボーグ……」

「その呼び方は好きじゃないわ。入れ歯やコンタクトレンズがちょっと複雑になっただけなのに、まるで私がロボットになったみたい」

 カルガは髪を整える。肩にもいびつな出っ張りがあった。

「あの臓器……」

「結構大変なのよ。拒絶反応が起きちゃうから血液も全部人工物にしないといけないし、定期的にメンテナンスを受けないとすぐに壊れちゃうし」

 何がおかしいのか、くすくすと口に手を当てて笑う。グローブと袖のあいだの地肌に、のたうつような手術痕と不自然に白く透ける皮膚組織が見て取れた。


「分かったら、仕事を続けてくれないかしら。私もそろそろスペアパーツが切れそうなの」

「RAMの規則で、馬賊に対する援助行為は禁止されています。お生憎様ですが、提案は受け入れられません」

「あら、いいの?」

 カルガが歩み寄る。「来ないで」と警告する真紀を無視し、彼女は自らの胸のふくらみに銃口を押し当てた。

「私の命令ひとつで馬賊が押し寄せてくるのよ? 私が死んだ場合も同じ。ここの住人の生殺与奪は私の思うがまま……分かってるの?」

 真紀は答えられなかった。

 町全体が人質だ。下手に動けば取り返しがつかない。

「他の馬賊はどうした? まさか随伴も無しに戦争はできないだろ」

 動けない真紀に代わり、健斗が尋ねる。

「私一人よ」

 カルガはさも当然と言った風に答えた。

「だって、邪魔だもの」

「邪魔……?」

「私、戦闘では人を殺さないって決めてるの。せっかく人が死なないように壊したのに、味方がとどめを刺したら意味がないじゃない」

 ぽかんと口を開ける二人に、カルガはいらいらと言った。


「文句あるの? 私が何か変なこと言った?」

「……いや、おかしいと言いますか」

 やっとのことで言った真紀を盲いた目で一瞥し、カルガは鼻を鳴らした。

「ここの人たちは、本隊が来る前に逃がすつもりよ。だから安心して」

「そういう問題でもないでしょうに……」

 馬賊がうろつく荒野に直掩無しで放り出された人々がどうなるか、馬賊の戦闘員が知らないはずがない。

 おまけに不殺などと訳のわからないことを言っている。侵攻する側に立つ人間のくせに。 


「……言い分はわかった。仕事を続けよう」

「はぁ⁉」

 横から割って入った健斗に、真紀は思わず振り向いた。

「正気ですか? 相手は馬賊、しかもウォーラスのドライヴァですよ! ここは意地でも捕縛して国軍に引き渡しを――」

「冷静になれ、今のおれたちじゃ対抗できない。大人しく言うこと聞いて、住民の護衛をどこかの自治区に頼むべきじゃないか」

「そんな……」

 真紀はきりきりと唇を噛んだ。悔しいが、正論だった。

 三八式は中破、ロケットは弾切れ、拳銃は不慣れなうえに威力不足。

 カルガの胸を捉えた拳銃の照門と、醒めた健斗の目を交互に見比べ、真紀は唇を噛む。

 長々と迷った末に、真紀は銃を下ろした。


「……私には、報告義務があります」

 足元を見つめる彼女を慰めるつもりなのか、カルガは屈託のない笑顔を送った。

「あなたにとっては最善でないにしても、いい判断よ。私は敬意を表するわ」

 この言葉も、皮肉か本音か判断がつきかねる。

 真紀は心からの苦笑を返した。

 たとえ、それが盲人相手には意味の無い行為だとしても。

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