4-6.

 その後、真紀たちが黙々と段ボールを運ぶ間も、カルガはウォーラスに戻らず、二人に付き従って監視を続けた。


 いや、監視と言う表現は妥当ではないかもしれない。

 彼女は黙って、二人の立てる物音に耳を澄ましていた。まるでクラシック音楽でも鑑賞するように、微笑さえ浮かべている。


「何がそんなに楽しいんですか……」

 もはや腹を立てる気力も無く、真紀はうんざりと言った。

「あら、不快だったかしら。ごめんなさい」

「別に。私みたいな乳臭いガキがRAMやってるのが珍しいことは自覚してますし」

「そういうことじゃないの。身近で人を感じるのが久しぶりだったから、あんまり嬉しくって。あなたを面白がってるわけじゃないのよ」

「久しぶりって、整備や補給でいくらでも機会はあるでしょう」

「私、ドライヴァじゃなくて、パーツなの」


 一瞬、カルガは逡巡したように見えた。

「……出撃の時以外は〈保管〉されてるから」

 真紀はずり落ちそうになった段ボールを抱え直した。

 盲目なのにドライヴァ、じゃない。盲目だからドライヴァ、なのだ。

 脱走防止に整備なしでは生きられない身体にされ、その上体力不足を補うために耐Gスーツに身を包んだ生体パーツ。なるほど使い捨てるには都合がいい。


「そこまでされて、どうして逃げないんだ。特注のMLFVに乗っているなら、それくらいできるだろ」

 健斗が呟く。カルガが見つめると、彼は顔を背けた。

「無理だと分かってるけどさ……」

 そうね、とカルガは小さく答える。

「他を殺さないと生きられない人が、世の中にはいるの」

「あなたは違うのでしょう、どうせ」

「同じよ」カルガは笑う。「あなたと同じ。傷つけて奪って生きるしかない。私はただ、強いからその過程を殺さずに済ませられるだけ」

「馬賊ごときが道徳を語るんですか」

「事実でしょう。あなたは何人殺してきたか、覚えてる?」


 もしかしたら、今度こそ殺していたかもしれない。

 気が付いたら真紀は銃を構えていた。今度はトリガーに指がかかった。

 足元に落ちた段ボールが、どさりと重い音を立てる。

「真紀」

 健斗がゆっくりと首を振る。「やめろ」

「たかが悪党を殺してやるだけじゃないですか。なんで部外者が黙れないんですか」

「じゃあ今は何故、撃たなかったの」

 カルガは真正面を向いたまま言った。


「あなたと同じです。私は、私の意志で引き金を引かないんです」

「今回だけ初めて、ね」

「MLFV越しなら人間じゃないんです。殺した人数なんて知るもんか……!」

「人を殺すと分かった程度で撃てなくなるのに、何故RAMをやってるの」

 うるさい、と真紀は吐き捨てた。

「みんな殺すのが楽しいんですか、あなたは」

「戦うのは好きよ」

 カルガは笑みを浮かべた。


「この目、生まれつきなの」

 と言って、片手でまぶたをさする。

「母体へのストレス、出血性ショック、胎内被曝。どれか分からないけど、この目になったのは戦争のせい……いえ、それも決めつけね。でも、私には耐える力がある」

 何も映らない目が、太陽を反射して輝いた。

「私だけが耐えられるから、偶然が選んでくれた。だったら報いる義務があるのではなくて?」

 選ばれたから、背負う義務から逃げない。

 真紀にとっては、理解したくない感情だった。

 選ばれることが偉いなら、選ばれなかった捨て子はどうなる。この女を否定したい。撃ちたい。でも、とっくに撃てる機会は逃した。もう指は萎えている。撃っても、どうせ当たらない。

 言葉が出ないのに、考えばかりが巡っている。

 こうして中途半端に聡い自分が、嫌いになった。


 少しして、健斗が小さく言った。

「さっきから余裕があるフリをしてるだけじゃないか」

 と、濁った瞳をまっすぐ見つめる。

「不幸だよ、あんたは。それこそ逃げてる」

 わかってる、と言ってカルガは髪をかき上げた。

「それで殺される人が減るなら、あなたたちも別に良いでしょう」

 真紀はようやく顔を上げた。

 同じように髪をかき、思いっきり息を吸う。そして吐きだす手前で、何の言葉も浮かばないことに気付いた。

「……素晴らしく狂ってますね」

 妥協のつもりで言ったその皮肉を、カルガは覆い隠すような微笑で聞いていた。


 真紀たちが帰るときも、カルガは律儀に見送ってきた。

「あなたが送ったトラックを、馬賊から守ったことがあります」

 彼女と目を合わせないようにして、真紀は運転席から言った。

「努力は認めますが、所詮は自己満足です。次に会ったときは撃ち殺しますから」

 カルガはうなずき返す。


「いつか私が殺す一人目も、あなたになるかもしれない」

「せいぜい手加減してくださいね」

 ふふふ、と互いに遠慮するような笑みを漏らす。親密さと疎遠のちょうど真ん中の距離での含み笑いだ。健斗が居心地悪そうに首を突っ込んできた。

「この後はどうするんだ」

「そうね」カルガはそっとあごをつまんだ。

「本隊が来るまで2日あるから、それまでに住人に脱出勧告。ついでに周辺の馬賊掃討。ここ、地元の軍閥の拠点になってるから。あとはひたすら転戦ね」

「住民の避難誘導なら、私たちがしますが」

 真紀は横目で見ながら言った。

 カルガは「ありがとう」と微笑み返したが、すぐに真顔に戻り、

「でもその前に、自分の心配をしたらどうかしら」

「そうでした……」

 後ろのトレーラーに寝そべる中破した三八式を見て、真紀は頭を掻いた。

「じゃ、さようなら」

 おどけた仕草で敬礼したカルガにさようなら、と返し、真紀たちは帰り路を急いだ。


「……さようなら」

 遠ざかるハーフトラックのエンジン音を耳にしながら、少女は小さく繰り返す。

 肌に周囲の民家からの恐怖と憎悪が入り混じった視線が突き刺さる。

 二人との会話のおかげで意識しないで済んでいたのに、今はこんなに痛い。


 視線から身を守るように腕を組んだ彼女の顔に、強い熱が当たった。戦場の炎と同じ。きっと目の前には血のような700nmあかいろの夕日が広がっていることだろう。


 ウォーラスの足元に座ると、カルガはスーツ右脚のファスナーを下ろした。

 二層構造になったスーツの裏地との間に挟んである直方体の物体を取り出し、手探りで包みをはがす。

 唯一、露出した顔の皮膚でしっかり梱包が解かれているのを確認すると、先端にかじりついた。プラスチックみたいに無味無臭の塊が、固い歯ざわりと一緒に舌の上を転がる。


「相変わらず不味いわね」

 カリカリと口の中の物をかじりながら、カルガはため息をついた。

 チョコレートと銘打っただけの、期限切れになった軍用レーション。

 まともな満腹感も得られず、ゆでたジャガイモよりはマシな味で、ただ一日分のカロリーと脂質を血液に循環させるだけの非常食と言うべきもの。きっと見た目もよくないのだろう。そうに決まっている。

 不味い不味いと文句を言いながら、彼女はたっぷり一時間かけて食事を摂った。それしかやることが無いのだから、少しでも食べる時間は引き延ばすことにしている。


 さっきの二人からは、エチルアルコールの匂いがした。

 身近に大酒呑みがいるのだろう。酒類を飲んだことが無いカルガにとって、酩酊というのは未知の感覚だった。

 仮に飲んだとしても、臓器中の強化ALDHで一瞬にしてアルコールは分解され、人工血液のせいで神経への麻酔効果すら期待できない。物理的に酔えないのだ。


 かつて同情してくれた人がいたことを思い出す。

 理解してくれた、と言うべきかもしれない。

 まあ期待はできない。

 同情する他人がみな同じ価値観を持ってるとは限らないのだから。


 チョコレートの包みを丁寧に折り畳んで収納すると、カルガはウォーラスに乗り込んだ。

 金属の甲殻の中、電子機器から発せられるシグナルが規則正しいプレストを刻む。

 これがここ数年の子守歌だ。

 揺りかごで眠りにつく直前、さっきの二人が乗り込んだハーフトラックがまぶたの裏に浮かんだ。ウォーラスから映像データとして送られてきたトラックは、自治区の番号やトレーラーの三八式も含めて鮮やかに思い出せる。

 通信のアラームが鳴った。

「はい、こちらエコーユニット」

 音声認識端末に呼びかける。数度のノイズのあとで、渋い声が返ってきた。

「次の目的地だ。そこの防衛戦力を無力化しろ」

 いつも通りの、無味乾燥なやり取り。しかし続く指示で、カルガは息を呑んだ。

「そこ……なの?」

「不満があるなら、別の人間にやらせるが」

 お前の代わりに殺してもらうだけだ、という無言の圧力だった。

 こみ上げた感情を歯ぎしりで押さえ、カルガはかぶりを振った。

「いえ、いいわ。やってあげる」


 感触を頼りに、コンソールのテスト信号入力スイッチをいじる。

「ねえ」

 とカルガは静かに呼びかけた。

「なんだ」

「私は、選ばれたのよね」

 答えまでやや時間があった。

「ああ」と男は言う。「お前じゃないと、できない仕事だ」

「あなたも可愛い人よね。まだ良心を『じょうとうな』物だと思ってる」

「お前は俺たちとは違う。そのうち離れることもあるだろう」

「でも今じゃない」

 カルガは伸びを打った。


 相手が沈黙しているのを感じて、マイクに顔を近づける。

「あなたたち馬賊も、私も、前の戦争で死んじゃってるのよ。たまたま死に損なったのを、あとから生きるための言い訳を考えてる。そうでないと存在する理由すら見つけられない」

 言ってる途中でこらえきれず、カルガは噴き出した。

「だからせいぜい一緒に堕ちましょう、ここの人間、道連れにするまでは、ね」

「殺すのは俺にやらせるんだろう。確信犯が」

「火照っちゃうけど、罪悪感は感じたくないもの。みんな空回りしているの」

 殺さないのは最後の一線だ。

 あの二人――三八式の搭乗者たちは、戦闘を嫌っている。殺すからだ。カルガも、限界を知っている。このままでは、きっと近いうちに殺す。


 壊すのはいつも楽しい。

 殺すのも、きっと楽しい。

 楽しいことは止められない。


 戦いを楽しめないさっきの女の子が、ふと猛烈に羨ましくなってきた。 

「そうね、今回はハンディキャップ戦っていうのはどうかしら」

 笑みを崩さずカルガは言った。

「ハンディキャップ?」

「ウォーラスのデータが流出してるらしいの。だからわざと襲撃を教えてあげるってのはどうかしら。対策しても無駄って分からせるには丁度いいんじゃない?」

「上に掛け合ってくる。だが、それはあまりに」

「どうせ失敗したら廃棄処分でしょ? 量産機もできたらしいし、私の最後の大仕事、任せてくれないかしら。終われば身体もバラしちゃっていいから」

「……ふん」

「ありがとう。大好き」

 最後まで言う前に一方的に切られた。

 カルガは悪戯っ子のような笑みを浮かべ、シートに沈んだ。これで心残りが無くなった。

 そこまで考えて、三八式を壊してなかったことに気が付いた。

「……しまった」

 あの二人に戦力を持たせてしまった。これでは結局戦う羽目になるではないか。もしかしたら、初めて人を殺すかもしれない戦場なのに。

 しかし、とカルガは首を傾げた。

 MLFVを逃がすなんて、こんなこと初めてだ。どうしてだろうか。

 忍び寄る睡魔に意識を絡めとられるまで、カルガは三八式の空色のカメラアイのことをしばらく考えていた。


 ――戦場からずっと、町に入っても自分の姿を追っていた、あの機械の瞳のことを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る