4-2.
数十分後。
鼻を衝いたオイルの臭いで、健斗は意識を取り戻した。
氷嚢でも載せているのか、ひたいが重くて冷たい。
薄目を開けると、砂だらけになった三八式に群がる整備員たちが見えた。
助かったらしい。
あの冷酷非情な悪魔も、気絶した人間に水をぶっかけるような真似だけは避けてくれたようだ。
格納庫の打ちっ放しの床にはタオルが敷かれ、その上に寝ころがされていた。
残念だが医務室に運ぶほどの怪我ではないらしい。
明日から2週間続く地獄の特訓を思うと気が重くなった。これならいっそ骨の1本でも折れてくれた方がマシだった。
とは言え、こうなったのも身から出た錆だろう。真紀のしょげた顔を見て、つい助け舟を出してしまったが、結果として彼女を危ない目に遭わせることとなってしまった。
かくなる上はMLFVの操縦法をマスターするしかない。それが多分……正解だ。
健斗は妙に傾斜している枕を直そうと、頭の後ろに手を伸ばした。
ふにっ。
妙に柔らかく、暖かな感触が指先に触れる。
「あ、起きた」
「のっぎゃあああ!」
健斗は吹き飛ぶように立ち上がった。ファイティングポーズを決めた彼の前で、あの悪魔――詩布がしおらしく正座をしながら、不思議そうに見つめてくる。
「ん……年上の女性の膝枕は全男子の夢って聞いたんだけど」
「鉄砲のグリップで殴ってくる女は別ですよ! 第一、なんで膝枕なんです!」
「失神したら頭高低身って言うっしょ。医学的にも効能は認められてるし……違った?」
「フツーに枕持ってくるって発想は無いんですかね」
「やりたかったの。仕方ないじゃん?」
息も絶え絶えに反論する健斗を、詩布はにこにこといなした。
さて、と詩布はカーゴパンツに包まれた脚を胡坐に組み換える。
「それよりさぁ、たった4Gの機動で照準が甘くなるってどうなの」
「それ、間違いなく俺じゃなくて殴ってくる後ろの人のせいだと思うんですがね」
「軟弱な……」
これだから最近の若者は、と言うように詩布は眉をひそめた。
ガレアスに乗っている彼女は、瞬間的な6G機動を繰り返している。そこにたかが殴打が加わったからって――なるほど、この女は化け物だ。身体の常識が違う。
「次の依頼までに一対多の戦闘をマスターするから、覚悟しててよね」
「……座学じゃダメですか」
「だーめ。アタシが楽しくないもん」
「この鬼が」
「ふふふ、頑張ってね」
詩布は白い歯をのぞかせた。
置いてあった背嚢からボトルを投げて寄越し、健斗の隣に腰を下ろす。
まだ健斗がびくびくしているのを見ると、「大丈夫」と言って水をすすり始めた。
「ちゃんと教えてやるから。何人も
「熊谷って人から聞きました。RAMの前は軍人とかって」
「まあね」
詩布は手元に目を落とす。両手とも、シリコンでコーティングした義手だ。
「前の極東のとき、徴員くらっちゃって。満15だったから、ギリだったんだよね」
「そのときから戦車兵を?」
「まあ」詩布は咳を打った。「そんなとこ。部隊が減るたび全部やらされた」
「じゃあ、あのガレアスも……」
「ん、アタシの部隊の練習車。赤いと壊れたところ目立つっしょ。ド素人どもが無理ばっかさせたから、まだ12年目なのに外身も中身もボロボロ」
ガレアスは格納庫の奥に立っていた。
健斗が目を凝らすと、その肩に〈09〉という文字が塗りつぶされているのが分かった。練習車輌の9号ということだろうか。
「――あのさ、キミと真紀って、どこまで進んでるの?」
「は?」
唐突に尋ねられて、健斗は詩布を見つめ返す。
詩布はにこにこ笑って、「ねえ」と返答をねだった。
「真紀に聞いても、いっつもはぐらかされちゃうの。誰にも言わないからさ」
この通り、とわざとらしく手を合わせてくる。
「どこまでって……」
そういう目で見られているとは思わなかった。
だが確かに、狭い戦闘室に男と女。朝食も作ってもらってる。
健斗は肩を落とした。外聞も何もあったもんじゃない。
「あくまでドライヴァとガンナーです。それ以上でもそれ以下でもないです」
そう回答を出すと、詩布は白けたようだった。
「真紀と同じこと言うんだね。つまんないの」
「そこ、基準は面白さですか?」
「いや。そうじゃないけどさ……」
詩布は物憂げに垂らした後ろ髪を指に巻きつけた。
「あの子が、初めて本気で吹っ切れた相手がキミだったから、ね」
また口の端がねじ曲がっていく。繕うように笑って、詩布は髪を解放した。
「妬いてるのかもね、アタシ。レズの気は無かったはずなんだけどなぁ」
いやあ、参った参った。
詩布は立ち上がると、くるりと踵を返した。
その背中は、笑っていなかった。
「同じ車輌に乗る以上、キミの方が真紀と長くいられる。別にあの子を好きになれとは言わないけど、本当に頼んだよ」
健斗は目を瞬いた。
まだ付き合いは短いが、こんなこと言うような人じゃないのは分かる。
「詩布さん、あんたは――」
「あの子をよろしくね。アタシ、いつまでドライヴァできるか分からないからさ」
質問をさせる隙も与えず畳み掛けると、詩布はポケットから取り出したガムを噛みながら整備工場を出て行った。
健斗は粟立った腕を組んで、その痩せた背中を見送った。
◇◆◇
依頼当日。空には抜けるような青色が広がっていた。
トレーラーに載せた三八式を連れて、ハーフトラックは旧国道を走っていく。
遠くに見える魚の背びれのように長いものは、倒壊した高速道路だろう。廃墟群と自治区を隔てる境界線のように、黒々と地平線を染めている。
まだ自治区との通信圏内を走行しているから、トラックの助手席には健斗が雑誌を読みながら座っていた。今日は軍事雑誌だった。太平洋戦争のときの戦線文庫の復刻ページをめくっているが、あまり楽しんでいるようには見えない。
時折これ見よがしにさする後頭部は、訓練の傷が痛むということだろうか。
「暑いですね」
「だな」
もう何度目になるか分からないやり取り。
タンデムの三八式と違って、こうして隣り合うと謎の緊張感が漂う。
「し、詩布さんとの練習……楽しかったですか?」
暖簾に腕押すような空しさを覚えながら、真紀は口を開いた。
もう目の前の空気を震わせることができれば何でもいい、という気分だ。
「楽しいように見えたのか? 殴られ蹴られ、ひん剥かれ……」
「あの、えと、わかりました、ごめんなさい」
また沈黙。ディスコミュニケーション。
『何を馬鹿なこと言ってんだ私』と変な後悔ばかりが残って、せっかく用意していた言葉が全部ぱあになってしまった。
コトコトとタイヤが転がる音だけが響いていく。
次に口を開いたのは健斗だった。
「ひとつ、こっちから質問いいか」
「はい、何でもどうぞ」
ズーム上昇で跳ね上がった心拍数を抑える。平静を装っても、語尾が上擦ってしまった。
健斗は雑誌を畳んでラックにしまうと、深呼吸をした。
「詩布さんとは、どこで出会ったんだ」
うっ、と息が詰まる。とうとう来たか、という感があった。
「あの……」
『それ、どうしても言わないといけませんか』
この質問を受けるたび、真紀はそう言って追及を避けてきた。家族のこと、故郷のこと。この手の話は、思い出したくないことばっかりだ。
しかし、と自問する。
彼はドライヴァ。背中を預けている人間だ。ちょっとくらい、良いんじゃないか。
悩んだ末に、真紀はため息をついた。
「……誰にも、言わないでください」
ひと呼吸置いて、言葉を選ぶ。少し話すだけでこんなに舌が乾くなんて。
「私、捨て子なんです」
健斗が目だけで続きを促す。
真紀はおずおずと続けた。
「身体が弱かったんです、見ての通りのちんちくりんですから。9歳の時でした。馬賊のせいで補給物資が届かなくて、どうせ死ぬからって口減らしされて……」
健斗に語り聞かせながら、真紀は5年前のことを思い出していた。
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