3-5.

「真紀ちゃん、詩布さんは今ヒジョーに怒っています」

「ごめんなさい」

「とぉッても怒っているんですが!」

「ご、ごめんなさい……ッ!」


 薄暗い照明で照らされた大衆酒場にて、甲高い声の応酬が続く。

 カウンタに座って歓談していた男たちが、声の主を探すまでもなく苦笑した。


「また始まったぞ」

「シノちゃん、酒が入るとめんどくせぇからなあ」

「入ってなくてもめんどくせぇけどな」

「真紀ちゃんもかわいそうに」

 両脇を馬賊崩れの屈強なRAMにホールドされた中で、健斗はどう反応していいかわからず、なんとも微妙な表情で固まっていた。

「えっと……カモダ君?」

「鹿屋です」

「カノヤ君よ、いくら可愛いからって、赤坂さんだけはやめておくんだぞ」

「はい……あー……」

「即答か。これはすでにシメられてんな!」

 破裂するような笑いが轟く。

 健斗は合わせて笑うふりをしつつ、そっと後ろのボックス席に視線を移した。


 どデカい絆創膏を左腕に貼った詩布が大胆に足を開いて座っている。

 対する真紀は、何故か正座で長椅子に乗っていた。傍から見てる分には、ちょっぴり滑稽だ。

「どうして怒られるのか、分かるよね」

 詩布は言って、タンブラーグラスに入った明橙色の酒をあおった。

「あれ、『スライドスクリュー』っつう80度もある酒なんだぜ」

 と隣の男が耳打ちしてきた。へー、と健斗は呟く。

 その向こうで、しゅん、と真紀が下を向いた。

「第二弾命中後、さっさと移動するべきでした。そのせいで火点を知られ――」

「違うでしょ!」

 グラスが机に叩きつけられる。

「勝手に出撃なんかして、何? ヒーローでもやってるつもりなの?」

「そ、そんなこと考えてません!」

「絶対考えてる。ウォーラスが出たらって言ったのはあんただったよね? 葬儀の費用を出すのはアタシなんだよ。こんなことのために、アタシはあんたを鍛えてない」

 天井の梁がみしりと鳴った。


 健斗は岡目八目、という言葉を思い出していた。

 お互い、相手の気持ちはわかっているのだろう。詩布の心配のあまり震える腕も、真紀の後ろめたさに握られた指も、この席からはよく見えた。

「シノちゃん、自分がそういうところあるから、心配で仕方ないんだろうなぁ」

 健斗の右隣に座るハンチング帽をかぶった男がにやりとした。

「『おねえちゃん』、ってな。真紀ちゃんも憧れるわけだ」

 健斗は少し動きを止め、男を見た。

 この人だけは、ドッグタグじゃなくて顔写真付きのプレス証を首から下げている。


 健斗が眺めていると、男は見せつけるようにプレス証をつまんだ。

熊谷クマガヤだ。関東平野じゃ、こいつが無い記者はモドキだから撃ち殺しとけ。覚えときな」

「新聞屋なんですか?」

「ルポ専門だがな。あんたやシノちゃんだろ、そういう珍しいのを書いてとして売る。で、儲かるわけだ。内地の連中は対岸の火事にずいぶん飢えてるからな」

「詩布さんが珍しいんですか」と、健斗は静かに聞き返す。

「そ、なんか軍隊を離れてるあいだに強がる癖が付いちまってな。真紀ちゃんも無茶言って助けた一人で、あればっかりは病気だろうな。シノちゃん自身、分かっちゃいるんだろうが」

 だから男っ気ないんだ、と若干の皮肉まじりに男は締めくくった。


 健斗は改めて詩布の表情を盗み見た。

 もう酔いは醒めたらしく、いくらか苦い顔になっていた。

「まあアタシだって……」

「すまん、小牧さんいるかね!」

 いきなりドアが乱暴に開け放たれ、人々の一団が入ってきた。

 先頭を歩く初老の男性はツナギ姿だが、恐らく本日の武装を貸し出してくれた整備士だろう。生で見ると結構な厳つい顔をしていた。

「はい? 小牧は私ですが……」

「あなたでしたか!」

 整備士を押しのけて、中年の女性が立ち上がった真紀の手を握る。

「えっ」

「ありがとうございます。本当に助かりました!」

「は、はぁ。どういたしまして」

 戸惑う真紀を見かねて、整備士が一団を指した。

「あんたが今日助けたトラックに乗っていた方々だ。胸を張らんか」

「トラックの……?」

 真紀が目を見張る。

「わざわざお礼に来てくれたんですか?」

「はい。おかげでこの子と会うことが出来ました」

 女性の後ろから、昼間の男の子がおずおずと進み出た。

「真紀、あんた……」

 男の子を見て、詩布が目を丸くした。


 一方、カウンタ席の健斗は急いで顔を隠した。隣で従軍記者の男が口笛を吹く。

「行かなくて良いのか?」

「まさか。自分を買いかぶる男じゃないですよ、俺」

「真面目だねえ。お似合いだ」

「誰と? いや、分かってるからいいです。違いますから」

「そのうえ利口と来た。気分のいい野郎だ、おごってやる」

 そのあいだにトラックに乗っていた一人一人が礼を言って去っていく。

 全員が帰った後、詩布はもじもじと脚を組みかえた。

 はあ、と大きくため息をついて、

「そういうこと……うん、わかった。でも、もう二度とこんなことしないでよ」

「いえ、私もちょっと流されちゃいました。反省してます」

 どちらが謝っているか、これでは分かったもんじゃない。


 それを眺めながら、健斗は手渡されたグラスを傾けた。

 ノンアルコールのカクテルが喉元を軽妙に燻った。

 今さら寂しさがこみ上げてきやがる。

 疎外感を飲み物が紛らわしてくれると思ったが、そうでもないことに気が付き、グラスを下ろす。ここでのふたりがまだよく分からない自分が、少しもどかしい。

「ヤケ酒かい」

「そんなところです。俺って所詮は居候なんだな、って」

「アホが。まだ2、3日だろ? あのふたりは何度も戦場に出てるんだ。そうそう他人が入り込む隙なんざあってたまるか」

 ハンチング帽の男はぺしぺしと肩をたたいてくる。

「まあ、こっちも頼りにしてるぜ兄ちゃん」

「それ、特ダネとしてですか」

「半分はな。残りはシリアスだ」

 ふと男は真顔になって、詩布たちを見やった。


「あのふたり……まあ、最近ちょっと、距離があるように見えるからさ」

「距離、ですか」

「パッと見て分かんねえから問題なんだよ。あれで根っこじゃどっちも肩肘張ってんだ」

 っつーわけでよろしく、などと最後に一発肩をはたかれた。

 思わず健斗は口を押さえる。

「な……なんか無責任だ、それ」

「ほう?」

「そういう言い方。こっちはまだ右も左も分かんないのに」

「お前、教えてもらってんだろうが。だったら恩くらい返すのが人間だ」

「違うんです、俺が入ってくヴィジョンが見えないというか……ああ、入り込む隙ってそういうことか。役に立つとかじゃなくて、今日だって」

「ひとりで生きられるって?」

「真紀たちの方が、ですけど。明日もどうせ、俺は生きるためにぶら下がるんです」

 健斗は口元をぬぐった。

 それがどうやら拗ねているように見えたらしく、男が噴き出した。


「なんかお前、めっちゃ人生こじれてんなぁ、羨ましい。若いのか?」

「自分じゃ大人のつもりでしたけどね。でもここでも若造ですよ。逃げてばかりだ」

「良いじゃねえの。未熟さを知ってるだけ幸せってな」

 男は笑ってグラスをあおった。焼酎の強いにおいが鼻を衝く。


「お前がなんで記憶喪失のフリをしてるか知らねえけど、さ」

 男が言うと、グラスの氷がからんと鳴った。

「ここじゃ何でもアリなんだ。殺すのも死ぬのも生きるのも、全部な。優先順位はあるが、まあシノちゃんは強いから。今のところは甘えちまえよ」

「真紀はそれが嫌なんじゃ?」

「そうだ、それが問題だ。とっくに家族なのに『背伸びちゃん』なんだよなぁ」

 この男、人の話はまったく聞かないが気前は良いらしい。

 考えても続く言葉が見つからなくて、健斗はあいまいにうなずいた。

「……俺だって、背伸びぐらいやれますよ」

「おう、また飲もうや」

 その後ろでは真紀たちのサラシがどうのといった交渉が、かしましく響いていた。

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