3-2.
鏡というものを発明した野郎が誰だか知らないが、さぞ嫌なヤツなのだろう。
シャカシャカと歯磨きをしながら、真紀は鏡に向かってしかめっ面をしてみせた。
低身長・丸顔・黒目がちの瞳――ものの見事なガキ面!
もともと日本人ってやつは童顔の傾向があると、どこかの雑誌で読んだ。
でもいくらなんでもこれはヒドい。まるっきり幼児だ。
真紀は左手で髪をツンツンといじった。
栄養不足でパッサパサの髪が伸びると、どうしてもウザくなるので今回はスパイキーショートに整えたが、そのせいで余計に子供っぽく見えて仕方がない。
いや、実際はどうか知らない。
でも髪型のせいにしないとやってられなかった。
「次は伸ばしてみようかなぁ」
「前もそれで面倒くさくなったの忘れちゃったの?」
同じくシャカシャカとブラシを前後しながら、詩布が洗面所に現れた。
「真紀は若く見えるんだから、別にいいじゃん」
「そんな、私は! いえ、はぁ、どうせ詩布さんにはそうですよね……」
「わかればヨロシ。では授業料として、今日中に焼酎買ってくること」
「金欠で奢ってほしいなら素直に頼んでくださいよ」
酒焼けした顔の相棒は、いつものように豪快にうがいをする。
「えっと、これでいいか?」
洗面所に声が届けられる。
鏡に映った青年の姿を見て、真紀たちは「うおっ」と思わず声を上げた。
ふたりとお揃いのTシャツに、カーゴパンツという姿。ただし適度に着崩してあって、なかなかの仕上がりだった。
「へえ、こういう着方もあるんだ……」
「シャツって、出すものなんですね」
自分たちの芋臭い格好と見比べて、真紀たちはふんふんと鼻を鳴らす。
ここは見捨てられた大地。
ファッション雑誌などという代物は、ちらりと見たこともない。
女性陣ふたりのささやかなお色直しの時間ののち、真紀と健斗は家を出た。
「どこから行きましょうか」
パーソナルスペースの内側に入らないよう意識を傾けつつ真紀は問いかけた。
健斗は腕を組んで、
「まずは買い物する場所だけ知りたいな」
「任せてください。これでも私、兵站管理補佐やってるんです」
「平坦……?」
健斗の目が、時代の最先端を行く少女の軽量薄型の胸を向いた。
真紀は地面を蹴った。
「兵站です。補給の方です……こっちは、これから大きくなりますから。マジで」
マカロニウェスタンと閑静な団地を掛け合わせたような街並みを連れ合って歩いていると、同じ服を着た数人の男とすれ違った。
どの人間もすれ違いざま、健斗に好奇の、真紀に冷やかしの視線を送ってくる。
大方、整備工場の誰かが居候の青年の件を言いふらしたのだろう。
真紀は凍り付いた微笑みを浮かべながら、重機関銃片手に酒場へ突撃したくなってきた。
「この服、支給品なのか」
ふと、健斗が独り言を洩らした。真紀は顔も合わせずにうなずいた。
「RAMの人口構成は男女比99対1ですから。官給品だって全て男性用です。あなたの服も、詩布さんの未使用品から用意させていただきました」
「男性用……って、まさかパンツも!」
「だったら、どうだって言うんですか」
真紀は横目で睨みつけた。
もちろん右手で襟元を、左手でカーゴパンツのベルトを抑えることは忘れない。
ヴィーナス像みたいなポーズで身体を隠す少女に、健斗は全てを悟ってくれたらしい。
「悪かった。後で下着にも名前を書くことにする」
いやにグサグサと刺さる謝罪だ。
「上はどうしてるんだ」と訊かれなかっただけでも、まだマシと言えたかもしれない。いや、暗に聞くに値しないほどの体型と言われたと解釈すべきか。
……詩布はサラシで対応している。
そろそろ教えてもらう時が来たようだ。
RAMの集合住宅と一般市民の住宅地を分けるようにマーケットは運営されている。150坪程度の狭い商店街は、今日も盛況だった。
前の大戦で輜重を担当した兵士や酒保商人と言った面々が、定期配達で送られてくる物品を正規不正規問わず売りさばくあいだを、何人もの人々が練り歩く。
こんな荒野では通貨が機能する場所というだけでレアものだ。
「銃弾から石鹸まで、ここなら大抵のものが買えますよ」
「雑誌が読みたいんだけど、いいか?」
「それならこっちです」
真紀は健斗の手を引いて書店へと向かった。
眼鏡をかけた中年男性の店主に軽くあいさつし、真紀たちは雑誌コーナーを占有する巨大な本棚と向き合った。
「過去2年ぶんの実用雑誌が並んでます。欲しいのがあれば言ってくださいね」
「何から何まで本当に悪いな」
そう言いながら、健斗は棚の1冊に手を伸ばした。
真紀は料理雑誌に目を通すふりをしながら、健斗の一挙手一投足をうかがう。
彼が30分のうちに立ち読みしたジャンルは、官報に軍事、歴史。文芸やスポーツには全く手を出していない。必死で情報を集めている感じがする。
本当に、記憶喪失なのだろうか。
その割には彼の言動ははっきりし過ぎているが。
そういえば、気になることがあった。
ハルクから助けられたとき、彼は「真紀ちゃん」と呼んでいた。
――どうして名前を知っていたのだろう。
考えていると、つんつん、と脇をつつかれた。
「おねえちゃん、立ち読みはほどほどに、だって」
まだ幼い男の子がくりくりした瞳で真紀を見上げていた。
はっとして振り返ると、狐みたいに痩せた店主が眼鏡の奥で目を光らせていた。
「いや、せっかくのデート中に悪いとは思っているんだけど、こっちも商売だからね」
謝罪に駆け寄った馴染みの客に、店主は心底申し訳なさそうな顔を向けた。
「デートじゃないです。詩布さんの代わりに案内してあげてるんです」
「赤坂さん、また拾ってきたのかい。あの人も剛毅だねえ」
「いえ、私が連れてきたようなものです。中古のMLFVの提供者でして」
「おねえちゃんもMLFVに乗ってるんだ!」
きゃっきゃ、とさっきの男の子がはしゃぐ。
真紀はええ、と返事した。
「日本のサンパチです。とっても強い車輌で……私のじゃないですけど」
子供はとても良い。好きだ。
同じ目線で話せるし、何よりお姉ちゃんぶれる。
「きみもMLFVは好きかな?」
「白いMLFVが助けてくれたの! かっこよかった!」
「そうですか、また会えるといいですね」
そのとき気付いたが、男の子の服は官給のものじゃなかった。
真紀は店主に耳打ちした。
「この子、前はいませんでしたよね」
「証安党に住んでた自治区がやられてね。親御さんが先に脱出させたそうだよ」
「よく輸送車輌が残っていましたね。馬賊なら真っ先に破壊しそうなものですけど」
「そこが不思議なんだよ」
店主は眼鏡を直し、
「敵の真っ白なMLFVが、近くまで守ってくれたそうなんだ。馬賊なのに」
「真っ白……」
記憶から該当する車種を検索する。
雪原迷彩が施されたMLFVは関東においては稀だ。ましてや馬賊のものとなると絶対に噂にのぼるはずだが、聞いたことすら無い。
まあどうでもいい話だ。あとで詩布に訊けばいい。
「で、この子はこれからどうするんです? 引き取るんですか」
「今日の午後になったらご両親も脱出してくるそうだ。それまでの辛抱だね」
「とか言って、
世間話の後で、真紀が健斗を連れて商店街を出たときには、時刻は正午を回っていた。
はち切れんばかりの紙袋を抱えた健斗に、真紀は誇らしげに胸を張って見せた。
「どうです。結構な品数でしょう」
「よくこんなに集まるな。戦後で経済はやばそうなのに」
「戦禍を被ったのは関東以北ですから、主要なコンビナートは残っているんです。あとは私たちRAMが関東の兵器を回収・処分すれば、ここも復活するんですけどね」
「でも、馬賊がいると」
「密輸業者が武器を運び込んでいるっていう話もあります。海上保安庁と海軍も頑張ってますけど、あの手のものって、需要がある限り供給も止まりませんから」
「そうか……。本当に戦後なんだ」
「愚痴っても変わりませんけどね。私たちがひとつひとつ潰していくしかないんですから」
屋台でたい焼きをふたつ買いながら、真紀は肩を落とした。
国軍が出動すれば済む話なのだ。
暴動を気にしてRAMたちに兵器を共食いさせようと、ランクの落ちた応急パーツを渡したり、規格外の余剰生産品を送ったり。どっちの味方かわかりゃしない。
唯一まともなのは、中央から派遣された整備士たちだけ。
同胞の手で辛酸を舐めさせられる彼らの姿には、いつも同情する。
真紀は、たい焼きを頭から頬張った。
粒あんの甘みがじんわりと染みる。これもダラダラ続く馬賊との戦いのおかげで食えると思うと、手放しに美味いとは言えなかった。
「ついでですし、サンパチの慣らし運転やりますか?」
健斗はたい焼きから口を離した。
「まだRAMの認定証届いてないだろ」
「私は腐っても兵站管理補佐です。修理開けの試運転をやるだけの権限はあるんですよ?」
兵站と言ったとき、また胸のあたりに視線を感じた。今度は営業スマイルで迎えてやった。
「ほう……」
おずおずと返した健斗は、どこか浮かない顔だった。
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