ピアス(2)

「こんにちはー」


 ピアスの話をしてから数日後、いつも通り放課後に美術室に行くと、部長はまだ来ておらず、藤江先輩がぽつんと一人で座ってスマホをいじっていた。


「こんにちは」

 そう言って、邪魔だったのか、横髪を後ろに撫でた彼女の耳には先日と同じように銀のピアスが光っていた。


「部長まだ来てないんですね」


「うん。何か、月一のクラブ会議みたい。今の時期はそんなに議題もないはずだし、すぐに来ると思うよ」


 言いながら、藤江先輩はメールの返信をまっているのかスマホから手は離さない。


「実は、ピアスを開けようと思ったんですけど」


 その言葉に藤江先輩はスマホを鞄に入れてぱっとこちらを向いた。こちらを向いた時の笑顔が、心なしかいつもより華やいでいる気がした。


「ピアッサーとか、もう買ったの?」


「はい。家で開けようと思ったんだけど、俺の部屋、いつチビが飛び込んでくるか分かんないから」


 チビというのは、まだ小学生の弟。いいかげん高学年だって言うのに、なんだか行動が子供っぽく、いきなり俺の部屋に飛び込んできて、背中に突進してくるので、おちおちピアスなんて開けてられない。


「じゃあ、ここで開ければ? どうせいつも私か部長しか来ないし、誰も邪魔しないでしょ。ほら、そこに鏡あるし」


 先輩の言うとおり、俺もそう思ってピアッサーとか一式を持ってきた。家より学校の方が落ち着ける環境にあるというのはどういうことだ。


「消毒ってマキロンとかでいいんですか?」


「うん、大丈夫。どうせピアッサーの針は滅菌済みだから消毒しなくていいしね」


「あと、ネットで調べたら、氷で冷やすとか書いてたんですけど」


「あれね。冷やして麻痺させるんだけど、他の感覚もなくなるから、自分でする時はいまいち不安で、私は結局氷なしでやったよ。そんなにいうほど痛くなかった」


 鞄に入れていた道具を出しながら、質問をすると、藤江先輩はいつものさばさばとした口調で答えてくれる。


 何度かの応酬ののち、藤江先輩はいつもの柔らかな笑顔じゃなくて、少し悪戯っぽく笑った。


「菅野君。緊張してるね」


 見透かされたようにそう言われて、頬に血が集まった気がした。


「いや、だって、ほら……」


 言い訳しようにも、意味のない言葉しか出てこなくて思わず目が泳ぐ。


「そうだよね。私も開けるまで三十分くらいうだうだしてた。部長なんて開け切らなくて次の日私の所まで来たしね。………なんなら私が開けてあげようか?」


「え?」


「菅野君が自分で開けることにこだわるなら別だけど、そうでないんなら片耳だけでも開けようか? そしたら踏ん切りがつくだろうし」


 藤江先輩の言葉にうぅーと思わず呻いた。確かにそしたら踏ん切りがつくだろうけど、女の先輩に開けてもらうってどうなんだ? 流石にちょっと情けなくないか? 


 そう、一瞬考えたが、藤江先輩は全く気にした様子もなく、むしろ心なしか乗り気でピアッサーのパッケージ裏の説明を読んでいる。


「………それじゃあ、お願いします」


「了解。はい。これでどこ開けるか書いて」


 美術室の無駄に豪華な枠の鏡の前に立って、藤江先輩に渡されたペンで耳たぶに点を打つ。横では先輩が机に道具を並べていた。


「書きました」


「菅野君、背高いね。座ってもらった方がやりやすいかな」


 椅子を運んできて座ると、マキロンをしみ込ませたティッシュを持って先輩がかがんできた。さらさらとした髪が近くで揺れて、なんだかいい香りがした。……シャンプーかな。わー、女の人のシャンプーってこんないい匂いなんだー。


 先輩がピアッサーのパッケージを開けているのを鏡越しに見ながら、半ばピアスのことを忘れながらそんなことを考えた。目を伏せてパッケージをホッチキスから外す作業をする藤江先輩は、どこか鼻唄でも歌いだしそうな楽しげな様子を漂わせてる。


「それじゃあ、開けるね」


 言うと同時に先輩の顔が近づいた。真剣な目をして慎重に俺がつけた印の所に針先を当てている。目を伏せているので睫毛が長いのがよく分かった。口元はふわりと綻んだままだったが、淡く目元が上気して瞳が潤んでいるように見えた。


 ………え? なんだろ? 先輩、何か色っぽい? 


 そう考えると急にドキドキしてきた。そんな俺の焦りには全く気づかず、先輩は着々と準備を進める。想像していたよりずっと冷たい指先に一度肩が跳ねかけた。


 ガシャンっ。


「いっ」


 思ったよりも大きく響いた音に、出すまいと思っていた声が漏れてしまった。音がした瞬間はそればっかりに気を取られてあまり痛くなかったのだが、少し経つとじんじんと痛くなりだした。鏡ごしに耳朶から真っ赤な血が湧きだして、顎の方へと伝っていくのが見えた。


「わ。垂れる垂れる」


 大きな滴になってこぼれ落ちそうになった血を藤江先輩が指で拭った。細い指についた赤は、絡みつくように白い指を這う。


「はい、ティッシュ。血のシミは落ちにくいから、シャツにつけたらお母さんに怒られちゃうよ。傷口ぎゅって押さえて止血して。……どう? 痛かった」


「そりゃあまぁ、でも思ってたよりはマシ」


「そっか。よかった。じゃあ、血が止まったらさっさと右もやっちゃおう。自分でできる?」


 そう言って、先輩は再びパキパキと音を立てながらピアッサーのパッケージを開けて、俺に握らせた。ちょ、ちょっと待って下さいよ。心の準備が……。思いつつも、そんなカッコ悪いことは言えず、俺は恐る恐る鏡を覗き込みながらピアッサーの針の先を印にあてようとした。


 しかし、それが上手くいかない。針先がすぐにずれてしまう。……認めたくはないが指が震えている。もしかしたらその震えも気付かれてるかな、と、ちろりと先輩を鏡越しに見上げた。


「ちょっとずれてるよ」


 隣から俺の手元を覗き込んでいた先輩が、俺の指に自分のそれを重ねて位置を修正する。先程よりも一層距離が近づく。先輩の呼吸の音さえ持聞こえそうな距離に、頭の芯がくらくらした。長湯して逆上せた時の感覚に似ている。


「そうそこ。そのままの位置でいいよ」


 耳のすぐそばから聞こえる先輩の囁き声に、背筋がぞくりとした。


 ガシャンっ。


 ほんの僅かに指先に力を込めると、先程と同じように大きな音がして、鈍い痛みを感じた。


 俺がティッシュで血を止める姿を斜め後ろから見ている彼女を鏡越しに見た。


 先輩って……前からこんな感じだったっけ? 美人だー、オシャレさんだー、とは思ってたけど、こんな色っぽいと感じたり、ドキドキしたりしたことあったっけ? 

 

 そんなことを考えていたら、思わず鏡越しにあった目をそらしてしまった。何だろう。調子狂うな。


「これ、ファーストピアス? プラスティックだけのやつじゃないんだ」


 先輩の言うように袋から出したそれには小さい石がついていた。


「プラスティックだけのやつって、ダサい気がして」


「面白味ないもんね。うん、いいんじゃないかな」


 こちらを向いてふうわりと笑う姿に、いつも通りだと、思わずホッとした。さっきのはきっと気のせいだ。初めてピアスを開けるのにドキドキしたのが重なっただけだ。


「藤江先輩、今日はありがとうございました。それで、えーっと……できれば部長には内緒で」


 部長のこと笑ってしまったので、知られるのは気まずすぎる。


「はいはい。さて、そろそろ部長も来るし、活動を始めようか。この前までのモチーフは終わっちゃったし……何か描きたいものはある?」


 そう尋ねながら、藤江先輩は美術室の後ろの石膏像などが置いてある所に向かう。


「菅野君、石膏像苦手でしょう? ビンとか描いてみいる? 透明感だすのも難しいけどね」


 薄っすらと埃の積もった瓶を持ちあげ、目を伏せて笑って言う姿を見て、自分の頬に血が集まるのを感じた。先輩が目を伏せて笑う姿に、先程の光景がフラッシュバックした。


 やっぱりさっきドキドキしたのは気のせいなんかんじゃない。先輩のこと色っぽいと思ったのも見間違いじゃない。


「どうしたの、菅野君。ほら、何か選びなよ」


 言いながらこちらを振り向いた先輩と目が合わせられなかった。


「えっと、先輩」


「うん」


「ピアス開けてもらっといて申し訳ないんですけど、今日、吹奏楽部が早く終わるらしくって……」


「あぁ、もう帰る? 部長には上手く言っとくよ」


「ありがとうございます。失礼しまーす」


 できるだけ急いでるように見えないよう、それでも内心慌てて美術室を飛び出した。一回色っぽいとか思ってしまったのが気づまりで、とても先輩と二人で部屋にいれなかった。まだ頬が熱い気がする。赤くなってただろうか、赤くなっていたのが先輩にばれなかっただろうか。美術室から離れるまでそればっかりが気になった。


 耳には痛みだけじゃなく、先輩の冷たい指の感触がいつまでも残ってる気がした。


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