フェティシストの恋 (連作短編)

小鳥遊 慧

ピアス

ピアス(1)

 自分のではなく、他人の耳にピアスホールを開けるという行為は、それが特別な相手である時、どこか背徳的な悦びが伴う。


 それは何回か想像をしたことがある光景だ。


 その人が私にピアスホールを開けてくれと頼んできて、柔らかな耳朶を差し出すのだ。そうして晒された横顔は、まるで私のことを全面的に信じてくれていると錯覚を覚えるほど、無防備だろう。


 私はその耳朶をそっと手に取り、そこに銀色の鋭い針を当てがって突きつける。その銀色はそっと皮膚に埋め込まれていく。それは何て、胸の奥がぞくぞくするような快感を伴うだろう。差し出された耳朶が愛おしい。きっと、流れ出て皮膚を伝う血液までもが愛おしい。


 ピアスホールと名前を付けられているものの、本質は傷でしかない。丁寧に保った、傷痕でしかない。そんなものを好きな人に開けたいと、淡く思うのは、ただ単に傷つけたいからというわけではない。その傷をつけられた時の痛みを思い出すたびに、その人はいつも私を思い出すだろう。


 私がつけた傷痕は丁寧に丁寧に残される。化膿しないように、塞がらないようにと気をつけられながら、好きな人の耳に長い間残るのだ。その傷痕がある限り、その人は私を忘れない。決して決して、忘れない。まるで、縛り付ける鎖のように。


 それは悦び以外何物でもないだろう。




    * * * *




 今日の藤江先輩は珍しく髪の毛を後ろにまとめていた。普段は長い髪に隠れている耳と、そこに小さく揺れる銀のピアスがよく見えた。目を細めて絵筆を宙に浮かしたまま、少し首を傾げると、それにつられてピアスも揺れて、蛍光灯の光に反射して輝いた。


「……ピアスってのもいいなぁ」


 心の中で思っただけのつもりだったのに、知らず声に出ていたらしい。キャンバスのどこに色を乗せるか悩んでいたらしい藤江先輩がこちらを見た。


「菅野君、ピアスしてみたいの?」


 ふわりと微笑みながら言った藤江先輩は、絵筆を雑巾の上に置いてこちらを見て完全に話を聞く体勢になってしまった。


「あ、すみません邪魔して」


「ううん。別にいい。ちょうど詰まってたところだし。それより菅野君の話の方に興味が出た」


「なんだ、菅野。熱心にキャンバスでもモチーフでもなく、藤江のこと見てるから、今の彼女から乗り換えるつもりかと思ったぞ」


 藤江先輩の反対隣りから、やっぱりキャンバスから目を離して部長が声を掛けてくる。


「部長! そんなわけないじゃないですか。俺、篠原と付き合いだしてから一週間しかたってないんですけど!」


「あはは。そうか、悪い悪い」


 全然悪いと思っていない風に、豪快に笑いながら部長が言う。


 俺が言うのもなんだけど、この部長、性格といい、体格といい、とてもじゃないけど美術部には見えない。部長が持つと、絵筆も細く短くおもちゃのように見えてしまう。むしろ、柔道部とか言われたら、誰もが納得するんじゃないだろうか。


 対して藤江先輩はと言えば、すごく似合ってる。美人だし、昔から絵を描いてたのか絵筆を持つ姿も様になってるし。


「菅野君、何でいきなりピアスなんて言い出したの?」


「え、あぁ。今日は藤江先輩、珍しく髪の毛くくってるからピアスがよく見えて。制服にピアスって合わなそうだと思ってたけど、そういう大人しいやつだったら意外と違和感ないなって」


 制服にピアスって、特に男がしてるのはどこか不良っぽいというか、粋がってるガキっぽいっていうようなイメージがあったのだが、それが今日の藤江先輩を見たら綺麗に払拭された。銀色のピアスは、先輩の染めたことのなさそうな真っ黒な髪と、うちの学校の飾り気のない黒い制服によく映えた。


「なぁ、俺が一週間前にピアスし始めた時はそんなこと言わなかったよな? 髪短いからよく見えるはずなのに」


「部長はまだファーストピアスでしょ。その飾り気もない透明のプラスチックに対してカッコいいとか自分もしてみたいとか、そういった感情を抱けるわけがないじゃない」


「藤江、ひでぇ」


 美人でふうわりとした笑顔の似合う藤江先輩は、意外とさばさばときっぱりと喋る。特に部長に対してはきっぱりの度合いが上がる気がする。その口調のため、先輩の印象は、そこまで背が高くないにもかかわらず『美人でかわいい』というよりは『美人でカッコいい』となる。


「それで菅野君はピアスしてみたいの?」


「うーん、どうだろう……」


 藤江先輩を見て、いいなぁ、意外といけるかもしれないなぁと思ったけど、自分がというのはあまり考えてなかった。


 俺が考え込んでいると、藤江先輩がじーっとこちらを見てきた。……美人に真顔で凝視されてしまうと、なんだか緊張するな。


「な、何ですか?」


「いいんじゃないかな」


「え?」


 繋がらない会話に、思わず問い返すと、藤江先輩はにこりと笑って言葉を付け足した。


「菅野君はピアス、似合うと思う。耳の形がきれい。それにごてごてアクセサリーするタイプでもないから、そういうワンポイントはいいんじゃないかな?」


 ……藤江先輩にそう言われると、思わずいいんじゃないかなって気になってくる。


 制服姿しか見たことがないから、そんなに感じたことはないが、藤江先輩は間違いなくオシャレだと思う。クラスでいかにも『オシャレしてます!』とオーラが語っている女子たちは、制服をこれでもかと着崩して、化粧が濃くて苦手だ。そんな女子達とは対照的な印象を纏いながら、それでいて、ダサさがない、垢ぬけなさがない。上手くは言えないが、『オシャレしてる!』という意気込みを見せないながら、十分オシャレというか……。


 俺が先週から付き合いだした、篠原とは印象が似てるかもしれない。篠原はでも美人というよりかわいいだけど。無防備にへらりと笑う姿がかわいい子だ。


 まぁ、それはともかく。


「……いいと思います?」


「うん。部長もそう思うでしょ?」


「あぁ、いいんじゃね? 菅野、最近身の回りに気を配りだしたから、ピアスだけ浮くってこともないだろうし」


 流石、美術部というか、二人とも審美眼については結構シビアなので信用できる意見だ。


「こういう時、うちの学校のユルユルの校則が嬉しいよね」


「校則なんてないようなもんだろ。『学生らしい、清潔な身なりをしましょう』のどこが校則なんだよ」


 二人が言って笑うとおり、うちの高校は服装検査も持ち物検査も一切ない。髪を染めてても、ピアスをあけても、化粧をしていても何も言われない。それでも、ある程度のところで収まるのは曲がりなりにも進学校というところか。


 オシャレに関してはしっかりしている先輩二人に勧められて、しかも環境は整っているとなると、好奇心がむくむくと身をもたげ始める。


「ピアスってどうやって開けるんですっけ? 自分で開けるのって安全ピンとか?」


 それは流石に怖いからやだな。でも病院っていうの高いだろうしな。そう思ってるのが分かったのか、先輩二人がそろって笑う。部長の方はげたげたと声を上げて笑い、藤江先輩は口元に手をあててくすくすと声を抑えて笑った。


「そりゃあ安全ピンってのが一番安いぞ。そうするか?」


 意地悪くそう言ってくる部長にむっとして言い返そうとしたら、反対側から藤江先輩が説明してくれた。


「ピアッサーっていう機械がアクセサリーショップとか、雑貨屋さんで売ってるよ。それだと自分でも簡単に開けられる」


「へぇ、そんなのあるんだ。先輩もそれで開けたんですか?」


「うん。鏡見ながらパチンって。実は部長のも私がやったんだ」


「こら、藤江! それ、内緒って約束したろうが」


「あら、そうだったっけ? ごめんね」


 慌てる部長に俺も思わず笑うと、近くにあったスケッチブックで叩かれた。部長は軽くやったつもりだったのだろうが、絵具の乗った画用紙は意外と重さがあって、地味に痛かった。


「安いのだと八百円くらいだったかな。ただ、衛生上の問題で一回しか使えないから、両耳開けるんなら倍かかるけどね」


 高いと言えば高いが、十分に手の届く範囲内だ。


「病院行かなくっても、全然大丈夫なんですね」


 へぇー、と感心してると、でもねと困ったような表情で藤江先輩が付け足した。


「やっぱり、素人がやると問題もあってね。ほら、聞いたことない? ピアスの穴開けると、視神経出てくるって。あれ、本当に稀だけど起こることがあるんだって」


「えぇ! あれって都市伝説じゃなかったんですか?!」


 真剣な表情で語る藤江先輩の言葉に思わず声を上げたら、反対側から、ぶはっと噴き出す音が聞こえた。振り返ると部長が身体を折り曲げてひーひーと苦しそうに笑ってる。


「おっ前、普通信じるかよ?! そんな古くっさい都市伝説。菅野ってどんなことでも藤江が言ったら信じるんじゃねえの?」


「んなことねーですよ! 今回は藤江先輩が真剣な顔してるから、信じちゃっただけで」


 部長に力いっぱい否定してから、藤江先輩はクスクスと楽しげに笑っていて思わず脱力した。完全にからかわれた………。


「ふふ。菅野君は、本当に素直でかわいいね」


「かわいいって……すげぇ嫌なんですけど」


「そう? ごめんね」


 ごめんと言いながら性懲りのない様子の藤江先輩は部長と反応が一緒だ。類友というか……。抗議するのが馬鹿らしくなって、一度開きかけた口を引き結んだ。


「ごめんって。怒った?」


「別に怒ってないです」


 落ち着いて言ったつもりだったのに、思いの外につっけんどんな響きになってしまった。


「菅野菅野、笑って悪かったって。それより時間、いいのか?」


 部長に言われて時計を見れば、六時五分前。


「やばっ」


 慌てて立ちあがって、広げていた絵具を箱にしまい、筆をまとめて油の入った瓶に入れてざっと洗う。書きかけの絵をロッカーの空きスペースに入れて、イーゼルをたたんで部屋の隅に押し込む。


「ビックリするぐらい早いね」


「なー。今日も吹奏楽部の彼女と帰んだろ。いいなー、若い者は」


「ねー」


 二人がそんな会話をするのを背中に聞きながら、荷物をまとめて帰る準備を進める。


「それじゃあ、お先にしつれーします。お疲れ様でしたー」


「お疲れ」


「ああ、菅野君」


 藤江先輩に呼びとめられて、ドアから半分身体を出したまま振り返る。


「お詫びと言っちゃあなんだけど、もしも本当にピアス開けるんなら相談に乗るよ。私も二回開けてるから慣れてるし。じゃあ、お疲れ様」


 藤江先輩はいつも通りふうわりと笑って手を振っていた。

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