第47話 早坂綾乃の決断
私はがむしゃらに走って、家に帰りました。
「綾乃? どうしたの?」
玄関のドアを開けたと同時に履いていた靴を脱ぎ捨てると、お母さんの声も無視して二階へと駆け上がります。
そして、その勢いのまま自室に閉じこもります。
舞さんとりょーくんがあそこまで行っていたなんて……。
ショックという言葉では言い表せないほどに胸が苦しく、勝手に涙が溢れて来ます。
前はもう何も見えません。それくらい涙が次から次へと出て来ます。
泣きたくないのに……。
私はそのままベッドにうつ伏せの状態で飛び込みます。
下から階段を上って来る音が聞こえ、次第に私の部屋の前でその足音は鳴り止みます。
トントン。
ドアを叩くノック音が聞こえて来たと同時にお母さんの声が部屋中に響きます。
「綾乃、何かあったの?」
お母さんの心配した声。
分かってます。でも、今の状況では声で説明したくてもできません。
嗚咽と鳴き声が混じり合い、息をするのもやっとです。
返事のない私に心配したのでしょうか……お母さんが勝手に私の部屋に入って来ます。
「綾乃、座れる? 一回深呼吸しようか?」
私の様子を見たお母さんはいたって冷静に対応します。
私はお母さんが言った通りにベッドの端に座ると、吸って吐くをゆっくり何回か続けます。
やがて、呼吸も落ち着いたところでお母さんはベッドの端に座ります。お母さんの表情はとても穏やかです。
「何があったのか教えてくれる?」
「う、うん……」
私はさっきあった出来事を全て話しました。
正直、説明するのがとても恥ずかしかったですが、お母さんは何も言わず聞いています。
説明を終えると、お母さんは分かりやすく考える仕草をとります。
「そうだったのね……でも、綾乃はキスしている前のところを見てないのよね?」
「そうだけど……」
「なら、何かの弾みでそういう体制になってしまったということも考えられるんじゃない? よくテレビドラマとかであるじゃない。転んでしまって、意図的ではないけどキスしてしまったていうシーン」
「たしかにそういうシーンはあるけど……でも、あれは違うよ。私前から不安だったんだ」
「不安?」
「うん。りょーくんと舞さんって仲がいいなぁって思っててね。お互いを名前で呼び合ってるし、しかも呼び捨てだよ? それに舞さん小ちゃくて可愛いし……前からこのことを考えるとすごく不安だった」
りょーくんと舞さんの間には、私とは違う何かで結ばれている。そう思った時だってあった。
やはりですが、たかだか幼少期まで幼なじみだった私とりょーくんとでは距離があったのです。
普通に考えて、幼少期の頃なんてあまり覚えてませんしね。急に幼なじみだぁとか言って、現れた私なんて周りの同年齢の女子とほとんど変わりません。ただただ昔、幼なじみで少し仲がいいだけのことです。
やっぱり舞さんには勝てませんでした。
「綾乃……」
そんな私の様子を見ているお母さんはなんと答えていいのか分からないといった表情をして、見つめているだけです。
もう諦めよう……私は舞さんに負けたのです。というか、もしかするとライバル関係が始まる前から負けてたのかもしれません。あはは……私って、負け戦に勝つつもりで勝負を挑んでたんですね。なんて惨めなんだろう……。
「お母さん、鈴木さんから連絡とかあった?」
「鈴木さんから? そうね……まだ連絡はないけど……それがどうしたの?」
「私、スカウトを受けようかなって思ってるんだけど、連絡してもいい?」
「綾乃……それ、本気で言ってるの?」
「うん、本気だよ。りょーくんのことを忘れるためにも別の道を歩もうかなって思ってる」
りょーくんがいない日常なんて私には耐えられない。
あの二人を見ているだけで胸がモヤモヤして、耐えきれなくなってしまうと思うし、会うと気まずい雰囲気になってしまう。
二人が……特に舞さんにとって私がいたら困ると思う。私は二人の目の前から消えるべき存在。
「分かったわ……その代わり自分で連絡をとるのよ?」
「うん、分かった。ありがとね、お母さん」
私はお母さんに微笑みます。どんな笑顔になっているのでしょうか……。
自分では今の笑顔がちゃんとできているのか、分かりませんが、ただ唯一分かることと言えば、お母さんの表情です。お母さんはどこか悲しそうな表情を見せたあと、何も言わずに私の部屋から出て行きました。
「これでいいんです。こうなる運命だったんです……」
先ほどまで晴れていた外はいつの間にか黒い雲に覆われ、今にでも雨が降り出しそうな様子でした。
☆
翌日。
俺は昼食をとり終えると、すぐにあーちゃんの家に向かった。
あの後、本当はすぐに誤解を解かなければいけなかったのだが、舞が異常に取り乱していたため、なかなか家から出ることができなかった。
メールでも話があると何度も送信したのだが、既読すら付かず、無視され続けている。
「とりあえず謝ろう……」
誤解させた俺の方が悪いし、謝れば許してくれるだろう。
俺はインターホンを押す。
すると、数秒後玄関ドアが開き、中からあーちゃんのお母さんが出て来た。
「あ、あの突然すみません。あーちゃんはいますか?」
「綾乃ね……会いたくないって言ってるの。ごめんなさいね?」
「い、いえ、俺が悪いので……」
完全に嫌われてしまった。
もうこのまま一生あーちゃんとは口を聞いてもらえないのだろうか……ひとまず今日は大人しく帰ろう。あまりしつこ過ぎても逆効果だし……。
俺はあーちゃんのお母さんに軽くお辞儀をすると、帰宅しようとする。
が、歩き出そうとした時にあーちゃんのお母さんから呼び止められた。
「ちょっと待ってくれる?」
「……え?」
「昨日、綾乃から大体のことは聞いたわ」
マジかよ……ということは、あーちゃんのお母さんも誤解を――
「でも、りょーくん。意図的じゃないのよね? これは私の予測なのだけれど、何かの反動で転んで舞さんの上に覆いかぶさるような体制になってしまい、その時たまたま唇同士が合わさってしまった。違う?」
「まったくその通りです」
予想でここまで完璧に当てられるとか……探偵業に向いてるんじゃないかしらん? それとも元探偵だったりして……。
そんなことを考えながらも、俺はあることに気づく。
それは……
「そこまで分かっていらっしゃるのなら、あーちゃんにもそのように説明しましたか?」
一部始終を見ていないあーちゃんのお母さんがここまで完璧に見抜いている。
だとするならば、あーちゃんの説明を聞いたと言っていたからには、本人にも伝えているはずだ。
俺はあーちゃんのお母さんが知らないうちに誤解を解いてくれていることに若干期待をしたのだが、あーちゃんのお母さんの表情はどこか曇っている。
「もちろんしたのだけど……綾乃ったら聞く耳持たずというのかしら? 端的に言うとダメだったわ」
「そ、そうですか……」
「それにりょーくんはたぶん知らないと思うけれど、あの子スカウトを受けてるの」
「スカウト……? それって……」
「芸能事務所からよ。そこの社長さんが先日わざわざウチに来てくださって、モデルをやってみないかって」
嫌な予感がする。直感的なものではなく、上手く説明では言い表せないが、そのような予感がした。
そしてその予感は見事に当たる。こういう時に限ってだ。
あーちゃんのお母さんは非常に言いにくそうな顔をして、重々しく口を動かす。
「綾乃、芸能事務所に入るって言ってたわ」
「なっ……?!」
なんで……そう言おうとしたが、あまりの衝撃に言葉が途中で詰まった。
あのあーちゃんがそんな決断……するはずがないッ! 根拠とかそういうのは特にはないけど、でも分かる。何かの間違い……そうに違いない。
「あーちゃんは本当にそう言ってるんですか?」
俺はあーちゃんのお母さんをじっと見つめる。
しかしあーちゃんのお母さんは怯むどころか、俺の視線を優しく受け止めるかのように柔らかい目線を送る。
「ええ……聞き直したのかだけど、綾乃は本気みたいなの」
「そう、ですか……」
俺は次第に目線を下に向ける。
この人は嘘などまったくもってついていない。本当のことを言っている。
「だから、りょーくんにお願いがあるのだけど……」
その言葉を聞いた俺は再び目線を上げる。
あーちゃんのお母さんの表情は先ほどとは違い、どこか任せたぞみたいな表情をしている。
「この後、芸能事務所の社長さんが家に来る予定なの。そこでいろいろと契約の話とかになってくると思うのだけど、出発の時にあの子と話し合ってくれないかしら? たぶん今は家から出たがらないと思うし、りょーくんとも会いたがらないと思うの。だから……あの子が出発する時に説得して頂戴」
最後はお願いというよりかは命令形みたいな語尾になっていたけど、俺は強く「分かりました」と返事をする。
それを聞いたあーちゃんのお母さんは「じゃあ、よろしく頼むわね」と言って微笑むと、来客に向けての準備があるとか言って、家の中へと戻って行った。
上手く説得できるかどうかは分からない。
でも、あーちゃんを絶対に連れ戻す。
俺はそう心に決めた。
☆
午後三時過ぎ。
芸能事務所の社長である鈴木さんが私の家に訪ねて来ました。
これからどのように活動していくのか、大まかな計画と契約についてのお話があります。
鈴木さんを家の中へ通すと、以前と同様にリビングに案内をしてソファーに座ってもらいます。
私はその目の前のソファーに座ると、お母さんがお茶やお菓子をお盆に乗せて運んでくる中で、話し合いは始まりました。
「綾乃ちゃん久しぶりだねぇ〜。綾乃ちゃんから電話をもらったときは驚いたよ」
「い、いえ、こちらこそわざわざ遠いところから来ていただきすみません」
「いいんだよ。それで、早速なんだけど、電話をしたということはそういうことでよろしいのかな?」
「はい、私決めました。モデルしたいです」
「そうかそうか……それはいいんだけど、なんで急に?」
「え?」
予想もしていない質問が飛び込んできました。
「この前訪ねた時は、乗り気じゃなかったでしょ?」
「それは……はい」
鈴木さんの言う通り、モデルをする気ではありませんでした……昨日のあの出来事までは。
お母さんがお茶やお菓子をテーブルの上に並べた後、私の横に座ります。
「ですが、私あの後考えたんです。芸能事務所に所属してモデルをするか、今の生活を続けていくか。これって人生の選択肢とも言えるじゃないですか? どちらかを選べば、その選んだ方にしか人生は進んでいかないですし、時には後悔をすることだってあります。そう考えた時、私自身としてどちらを選べば後悔をしなくて済むのかって。未来は未来でしか分からないですし、今考えたって仕方のないことだって分かってます。でも、自分にとってどちらが今後有益になっていくのか……それを考えた時、やはり芸能界に入った方がって思ったんです」
りょーくんと舞さんの前から消えたい……そんなこと口が裂けても言えません。
なので急遽取り繕った理由を述べたのですが、鈴木さんは少しいまいちな表情をしています。
「君の理由は……本当かね?」
「……はい?」
「私が思うに、嘘くさいと言えば失礼に当たるかもしれないが、君の本当の気持ちというものがあまり伝わってこなかったような気がする」
「そ、そうですか……」
さすが芸能事務所の社長さんということもあってか、すぐに私の嘘がバレてしまいました。
このままじゃ、所属できないのかなと一瞬思ったりもしましたが、その心配はいらなかったようです。
「でも、理由はともあれ、君が芸能界に入りたいというのであれば、私はそれでいい。念のために訊いておくけど、本当にいいんだね? これからは私の事務所でモデルとして頑張ってもらう。そうなった場合、この場所からも引っ越してもらわなければならなくなる。君の家族や友人とも滅多に会えない環境で頑張っていける自信はあるかい?」
鈴木さんの真剣な眼差しが私を捉えます。
「あります。それぐらいの覚悟でいかなきゃ、厳しい芸能界で生きていけませんよ」
私はそう言うと、微笑みかけます。
鈴木さんはじっと私の目を見つめた後、何やらスマホを取り出し、しばらくの間操作を始めました。
やがて操作する手を止め、再び私の方に目線を向けます。
「今スケジュールとかを確認していたのだが、私も結構忙しくてね。明日しか空きがなかった」
「と、言いますと……?」
お母さんが鈴木さんにそう訊き返します。
「本当に急で申し訳ないのですが、明日私とともに来てくれないか?」
…………………………え?
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