第46話 素直と誤解

 旅行から帰ってから一週間後。

 親父と母さんが海外に旅立つ日がやってきた。

 前日から荷物類をキャリーケースの中に入れ、残りの持ち運びできない仕事道具類に関しては先日に出張先に郵送の手続きを済ませた。

 今日は俺も自分で言うのもなんだが、珍しく早起きをして、家族三人で出張前最後の朝食をとる。

 母さんの手料理を食べるのも最後。次、いつ帰ってこれるか分からない限り、俺はいつも以上に味わって食べる。

 そして、朝食をとり終えた後、俺は二人を見送る。


「じゃあ、亮介。元気でな」


「亮介、ちゃんと生活できる? ご飯しっかり食べるのよ」


「ああ、分かってるよ。じゃあ、親父と母さんも元気でな」


 親父と母さんは俺を心配げな目で見つつも、家の玄関を出て、すでに到着していたタクシーに乗り込んで行ってしまった。

 今日から本当に一人暮らし。

 前日まではワクワクしていたけど、いざその時になってしまえば、不安しかない。

 上手くやっていけるだろうか。毎月親父の方からある程度のお金が振り込まれるみたいだけど、それだけで一ヶ月間回せていけるだろうか。病気になってしまった時は? 三者面談は? 考えてしまえばしまうほど、不安でいっぱいになる。

 とりあえず、考えたって仕方がない。実際その時になってしまった時に考えればいいだけだ。

 ソファーでどのくらいかくつろぐ。

 夏休みなので特にやることもない。

 テーブルの上にはゲーム機とカップに入ったコーヒーがあるけど、コーヒーはすでに冷め、ゲームもやる気がでない。

 このまま昼を迎えてしまうのかと思っていると、急にインターホンが鳴った。

 

「今日誰か来る予定あったか?」


 そう思いながらモニターを見に行くと、不安そうな表情を見せた舞が写っていた。

 ――珍しいなぁ……。

 いつもはインターホンなんて押さずに庭の方から入って来るのに、この日に限っては真面目だ。

 俺は珍しいこともあるもんだなと思いながらも玄関先まで向かい、扉を開けると、舞は飛び込むように入って来ました。


「お、おい……」


 いつもと違う様子に戸惑いを隠せない。

 だが、舞は気にした風もなく、勝手に中へ入る。


「ど、どうしたんだよ……」


 リビングで舞が立ち止まったところで俺はそう問いかける。

 舞は背中を見せたまま、振り返りもしない。

 今から何が起こるんだ? ただ事ではないのは容易に判断はできた。


「り、りょーすけ……」


 舞がこちらに振り返る。


「……っ?!」


 俺はその様子を見て、言葉を失う。

 舞が泣いている……。

 なんで泣いているのか……その理由がまったく見当がつかない。

 もしかして何かあったのか? というか、それしか考えられない。


「なにかあったのか!?」


 俺は舞の肩を掴む。

 すると、舞は上目遣いで俺を見つめる。


「……かないで……」


「え?」


「あたしを……おいてかないで……」


 舞はそう言うと、俺の胸に顔を埋めた。

 その瞬間、胸中にじわぁ~といったものが溢れ出し、女子特有の甘い匂いが鼻を通り抜け、脳を刺激する。

 俺は突然の行動で動くことができず、固まってしまう。


「聞いたよ……? りょーすけのお父さんとお母さん、海外に転勤するんでしょ……? りょーすけも行っちゃうの? ヤだよ……りょーすけがいなくなるんなんてヤだよ!」


 舞が涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げる。

 お互いの吐息がかかってしまうほど近く、舞の綺麗な顔のパーツが一つ一つよく見える。

 体が密着しているため、互いの体温が混じり合い、冷房が効いたリビングでも熱い。

 鼓動が先ほどから早まり、舞に聞こえているのではないかというくらいドクドクと脈打っている。


「あたし素直になるからぁ。これからは意地悪もしない。だから……だからぁ」


 そう言うと、舞は再び俺の胸に顔を埋めた。

 舞の吐息が胸に当たる。その度にジンジンして、変な感情が湧き上がってくる。

 俺はひとまず舞を引き離す。

 舞はグスンとしゃくり上げる。


「俺は行かないぞ?」


「ほんと……?」


「ああ、親父と母さんは今朝出発したからな」


 そのことを伝えた瞬間舞が再び抱きついて来た。

 俺はその反動に耐えきれず、バランスを崩す。

 ドタンッ!

 リビング中に大きい音が響き渡る。

 そして…………俺は覆いかぶさるような形で倒れ込み、下敷きになっている舞の唇と重なってしまう。

 一瞬、何がなんだか分からなくなってしまう。

 なんでこんな状況になってしまったのかすらも、理解するまでに時間がかかった。

 どれくらいこの状態になっていたのかすら分からない。

 だけど、舞の驚いた表情だけは分かった。

 カサッ。

 庭の方で何かを落としたような音が聞こえて来た。

 それでようやく状況を理解した俺はすぐに舞から離れ、音がした方向を見る。

 すると、そこには目を丸くして呆然と立っていたあーちゃんがいた。

 やがて、俺の目線と合うと、はっとした表情をしたあーちゃんは逃げるように庭から走り去って行った。

 何か誤解を生んでしまったらしいことはすぐに理解できた。

 けど、今の舞を置いて追いかけることなんてできない。


「りょーすけ……りょーすけ……」


 舞は甘える子どもみたいに俺の名前を呼んでは抱きついて来る。

 ––––どうすれば……。

 簡単に誤解が解ければいいのだが……。

 この時の俺はまだ知らなかった。あーちゃんが芸能事務所にスカウトを受けているということに。このことを知るのは翌日、あーちゃんに誤解だということを説明しに家へ伺った時だった。

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