第39話 転勤

 舞との買い物から帰って来ると親父と母さんが暗い顔をした状態でリビングのテーブルに対面状態で座っていた。

 一体何があったのだろうか……実は言うと、親父と母さんは今朝から用事でどこかに出かけていた。

 家に帰って来たと思いきやのこんな状態だから、何か悪い知らせなのかもしれないけど……


「た、ただいま……」


 俺は二人に向けて帰って来たことを伝える。

 すると、二人は同時に俺の方に顔を向け、


「「なんだ。亮介か……」」


 見事に声が重なったが、俺が帰って来て何か悪いの? そもそもなんだってなんだよ。自分たちの子どもに対して、そんな残念そうな声で言われちゃうとさすがに俺でも泣いちゃうよ?

 とにかくいつもの二人ではないことはたしかだ。


「何かあったのか?」


 俺は二人にそう問いかける。

 すると、親父が顔を下に向け、何やら言いにくい内容だということはすぐに分かった。


「亮介、ここに座ってくれる?」


 親父の代わりというのもなんだが、母さんが自分の横の席をポンポンと手で叩く。

 俺はなんだろうと思いながらも、母さんの横に座る。

 座ったと同時に俺を確認した親父は一度、ゴホンと咳払いをして喉の調子でも整えているかのような仕草をする。

 そして、どのくらいか間を置いたところで重々しく親父は口を開いた。


「亮介、話したいことがあるんだが……こころして聞いてくれるか?」


「お、おう……」


 母さんは固唾を飲んで俺たち二人を見守る。

 

「転勤することになった。海外に」


「……………………は?」


 一瞬親父が何を言い出したのか、分からなかった。

 ……いや、分からないんじゃない。頭がそのことについて理解しようとしないんだ。

 それからどのくらい時間が経過したのだろうか……。背中は冷や汗でびっしょりと濡れ、少し寒気がする。

 親父は俺の反応を待っているかのようにじっと見つめるだけで何も言わず、隣にいる母さんも黙ったまま下を向いている。

 ようやく親父が言ったことについて理解が追いついて来たところで、何回か静かに深呼吸をする。

 

「転勤って、本当に海外なんだよな?」


「そうだ」


「海外って……どこなんだよ」


「それはまだはっきり分かってはないが、中東の方になるかもしれない」


「そう、なんだ……」


 親父が転勤になる。

 そうなってしまうと、母さんと俺もついていかなければならないかもしれない。

 十年前と同じように幼なじみである舞と別れ、あーちゃんともせっかく再開できたというのに再び離れてしまう。

 ––––またひとりぼっちになってしまうのか……。


「だから、亮介。お前に決めて欲しいんだ」


「え?」


「お前は学校がある。私たちと行くとなれば、中退になって向こうの学校に再入学になるかもしれない。そうなればお前自信大変だろ? 向こうの言葉を覚えるために一から勉強もしなければならない。そこで決めて欲しいんだ。ここに残って、一人暮らしをするか、もしくわ私たちと一緒に海外へ行くか。お前の好きなように決めなさい」


 親父はそう言うと、席から静かに立ち上がり、リビングから去って行った。

 母さんも「ゆっくりと考えなさい」と俺に優しく告げた後、夕食の準備をするためにキッチンに向かって行く。

 残された俺はしばらくの間、その場から動けないでいた。

 いきなりの転勤。しかも次は国内ではなく、国外だ。

 お袋はゆっくりと考えなさいと言ってはいたけど、答えなんてもう決まりきっている。ゆっくり考える必要なんてない。

 俺は席を立つと、リビングを出て、二階の自室に戻る。

 自室は当たり前のようにシーンとしていて、その空気感が寂しさを物語っている。

 部屋の電気をつけ、荷物を机の上に乗せる。


「とりあえず転勤まではまだ少し時間はあるし……その間にじっくり考えればいいか」


 今の所は考えるまでもないが、何かの拍子で気が変わるかもしれない。すぐに返答はしない方がいいだろう。

 

「それより今は海に行く準備だな」


 まだ六日間はあるが、早めの準備をしていた方が当日あれがない、これがないとドタバタせずに済む。

 俺は部屋のクローゼットを開けると、中に入っていたボストンバッグを引っ張り出す。

 そして、タンスの中から着替えや下着類を詰め込み、水着も……って、あれ? どこ行った?

 肝心な水着がない。

 たしかタンスのどこかにしまっていたはずなんだが、全部の引き出しを開け、中を確かめてもなかった。

 

「母さんに確認してみるか……」


 一旦部屋を出て、リビングで夕食の準備をしているであろう母さんの元に向かう。

 リビングに再び入ると、食欲をそそるようないい匂いが充満していた。

 

「母さん、ちょっといい?」


「ん? どうしたの?」


 母さんは作業を一旦辞め、俺の方を見る。


「その、俺の水着知らない?」


「水着? あれって前に捨てなかった?」


「え?」


「だって、亮介あまり友達いないでしょ? だから結構前に家の片付けをした時に捨てていいか確認したわよね?」


 そういえば、そんなことがあったような気がする。

 あれは去年の大晦日くらいだったかな?

 年末の大掃除をして、翌年をいい気分で迎えようとか親父が言い出したから、家族総出で家中のいらないものとかを処分してた時の話だったはず。母さんがいつの間にか俺の部屋を片付けようとしていたから慌てて、部屋に戻った記憶がある。なにせ、思春期の男子だよ俺? 親に見られたくないもの一つや二つはある。

 ま、まぁ、話が少しズレたから元に戻すが、その際にタンスの中を整理していた母さんが水着を俺に見せて、捨てていいか訊いていたような……すっかり忘れてた!


「じ、じゃあ、俺の水着って……」


「今頃新しい製品に生まれ変わってるかもね」


 母さんはニコッとした後、夕食の支度に戻る。

 

「…………」


 俺は今猛烈に後悔している。

 大掃除の際に水着を捨てたことではない。あの時はまた海に行くことになるなんて思ってもみなかったからな。そもそも俺の学校では水泳の授業はないから、水着を持っていること自体無駄だし。

 俺が後悔していることと言えばもう……今日せっかく出かけたんだからその時に買っとけば良かった!

 俺も今度から流行とか気にしとこうかな? そうすれば、万が一捨ててたり、失くしてたりしてても新しい水着を買っていれば問題ないし。

 というか、メンズ水着に流行なんてあるのだろうか……?

 翌日、またショッピングモールに行って、水着を買いに行ったことはもう言うまでもない話。

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