第35話 ドス黒い気持ち

 最後の花火が打ち上がり、夜空には余韻が微かに残っていた。

 そんな中で舞は名残惜しそうな表情でいつもの夜空を眺めている。


「そろそろ戻るか」


 俺はそう言って、その場から立ち上がる。

 夏のそよ風が吹き、辺りに生えていた雑草や木に生えた葉が揺れる中で、


「ちょっと待って」


 舞の小さな声がひときわ目立つように聞こえて来た。

 俺はなんだと思い、舞の方を見ると、何やら覚悟を決めたようなキリッとした目つきをしている。

 こんな目つきをするのはテニスの試合のときぐらいじゃないか?

 今はもう辞めてしまい、この目つきは二度と見られないと思っていた反面、久しぶりに見た表情に戸惑いすら感じる。

 何を言いだすのだろうか……舞はすっと立ち上がると、俺と対面状態になる。

 軽く唇を噛み、浴衣をキュッっと握りしめる……その間俺はずっと舞を見つめたままだ。

 どのくらい時間が経過したのだろうか。

 夜空はすっかり日常を取り戻し、先ほどまで聞こえていた会場の雑音がいつの間にか聞こえなくなっている。

 

「あ、あのさ––––」


 その時だった。

 舞が口を開いたかと思いきや、ポケットに入れていたスマホから遮るかのように着信が静寂な丘に鳴り響く。

 

「すまん、ちょっと待っててくれるか?」


 俺はそう言い残し、少し離れた場所に移動する。

 画面を確認すると、どうやらあーちゃんからのメールが届いたみたいだ。


 ”ごめんね、こんな時間に。来週なんだけど、海に行かない? 今日は私行けなかったじゃない? だから、よかったらって思って……あ、もちろん舞さんも一緒でいいけど?”


 海か……。

 海はどのくらいぶりだ? この地域がもともと内陸部だからあまり行く機会がないんだよなぁ。

 内容を確認した俺は舞の元に戻り、あーちゃんからのメール内容を伝える。


「あーちゃんが一緒に海行かないかだってよ。舞はどうする?」


「り、りょーすけが行くなら……」


 そう言って、舞は下を向いてしまった。

 とりあえずあーちゃんには行くという返信を送った後、スマホをポケットに戻す。


「それで話の続きだったよな?」


「う、うん……でもやっぱりいい」


「なんでだよ」


「そういう気分じゃなくなったの!」


「は?」


「いいから帰るよ! もうすぐで九時回っちゃうし、これ以上遅くなったら怒られるから」


「分かった……」


 結局なんの話だったのだろうか……不完全燃焼みたいな感じでモヤモヤする。

 

「遅い! いつまでそこにいるの!」


「あ、ち、ちょっと早くないか?!」


 気がつけば、俺の側から舞が消えていた。



「ただいま~」


「おかえりって、あれ? 帰ってくるの早くない? どうしちゃったの?」


 家に帰った私は、玄関で下駄を脱ぐと、すぐに家の中に入ります。

 それを見たお母さんは、どこか心配そうな表情をして、私の後を着いて来ます。


「別になんでもないよ。ただ、二人とも急に用事ができたとかですぐに解散になっただけだから」


「そう、それならいいのだけど……」


 そう言うと、お母さんはリビングの方に戻って行きました。

 私はそのまま二階に上がり、自室に向かいます。

 自室に入ると、中は真っ暗です。電気を消しているから当然といえば、当然なのですが、なんだかこの暗闇を見ていると、ふいに目から涙が出てきてしまいます。


「何やってるんだろう……私」


 出てきた涙を指でさっと拭うと、部屋の電気をつけ、ベッドにダイブします。

 そのまま近くにあったぬいぐるみを抱き寄せ、どのくらいかゴロゴロして心を落ち着かせます。

 今回は仕方がありません。戦略的撤退です。

 あの後、のこのこ合流したところで舞さんに勝てる要素はどこにもありません。

 二人が無事であったことに安心はしています。でも、それと同時に悔しさすらあります。

 こんな感情を持っている自分が憎く思います。

 あの出来事さえなければ、私は今頃りょーくんとベタベタできていたのに……そんな欲望や独占欲を持っている自分が嫌い。

 誰しもが好きな人を自分のものにしたいという気持ちはあると思います。私もそうです。

 だけど……舞さんが怯えている時、私はこう思ってしまいました。


 ”りょーくんに守ってもらえて羨ましい”


 ”なんで舞さんだけ?”


 こんなドス黒い部分を持っていたことに自分でも驚いています。

 今の私なんかじゃ、到底舞さんには勝てない。

 性格ブスな私……どうにかして巻き返さないといけない。


「そういえば、来週海に行くとか言ってたかな?」


 お父さんがそんなことを言っていたような気がしましたが、急な出張とかで行けなくなったはずです。

 近くのホテルを予約しての旅行だったと思います。

 急な仕事で今更キャンセルをしたところでお金は返ってこないことを考えると……


「りょーくんたちを誘ってみようかな?」


 その前に念のためにお母さんに確認です。

 ベッドから起き上がり、ぬいぐるみを元の場所に戻すと、そのまま部屋を出ます。

 そして、リビングの方で夕食のお皿洗いをしていたお母さんに声をかけます。


「お母さん。そ、その、話があるんだけど……」


「話?」


 お母さんは動かしている手を一旦止めて、私の元に近づいてきます。


「話って何?」


「その、旅行キャンセルになったでしょ? あれって……まだ大丈夫かな?」


「大丈夫だとは思うけど……急にどうしたの?」


「友だちと一緒に行こうかなって、思って……どうせお金は返ってこないでしょ?」


「まぁ、そうね。綾乃が友だちと行きたいなら、それはそれでいいけど、三人までよ? 予約している人数が三人しかしてないから」


「うん、それは大丈夫」


「そう、ならいいけど……ちなみに誰と行くの?」


 お母さんが急にニヤニヤし始めます。

 私は恥ずかしくて、無意識的に下を向いてしまいます。


「そ、それはもう……分かってるでしょ?」


 声が小さくなってしまいます。

 顔から火が吹き出してしまうんじゃないかってくらいに熱くなっているのを感じ、顔をあげられません。

 そんな私を見ているお母さんは、


「初々しいわね~。もうそういうところ本当に可愛いんだから~」


「か、からかわないでっ!」


 お母さんったら、もう!

 いつもこんな調子です。私の恋愛ごとに関しては、いつもからかってきます。

 私は真剣なのにっ!


「ごめんごめん。そんなに怒ってちゃ、顔にシワができるわよ?」


「え、うそ?!」


「うそ」


「もうバカっ! お母さんなんて知らないっ!」


 私は怒りました。いっつも私のことをからかっては面白がって。

 とにかく旅行の件はなんとか話がまとまりました。あとはりょーくんたちが行くのか、行かないのかの返事のみです。


「あ、一応言っておくけど、ハメは外さないようにね~? あなたたちまだ高校生なんだから」


「は、ははは外すわけないでしょ!?」


 何を考えてるのよ私のお母さんは!

 もう恥ずかしさで死にそうです。熱中症にでもなってしまいそう。

 私はその場から逃げるようにリビングから出ると、駆け足で二階の自室に戻ります。

 そういえば、帰ってからというもの着替えとかもまだしてません。

 タンスから下着やバスタオル、パジャマを手に取り、


「あ、その前にりょーくんに連絡っと」


 メールをパッと素早く打ち、送信したあと、私はお風呂に入るために着替え類を手に取って、一階におりました。


 それから数十分後。

 お風呂から上がり、髪を乾かしたところで再び自室に戻ってきた私は、ベッドの上に放り投げられたスマホを手に取ります。

 画面を開くと、一件のメールが入っているお知らせがありました。

 私はなんの躊躇もなく、メールを開きます。


「やった」


 小さくガッツポーズを取ります。

 返信の内容では行くとのことで、舞さんも来るみたいですね。

 旅行はこれから一週間後。

 それまでに私の中にあるドス黒い欲望を洗い流さないといけません。

 それに今回の旅行は舞さんに対する罪滅ぼしでもあります。

 舞さんは本当に怖かったと思います。それなのに私はそんな状況を羨ましいと思ってしまった。

 もちろん舞さんにはりょーくんを渡すつもりはありません。

 対等な関係でかつ対等に勝負していきたい。

 どちらがりょーくんにふさわしいのか、りょーくん本人に決めてもらえる日までに……。


「そろそろ寝よっかな」


 スマホの画面にはもうすぐで夜の十時を知らせる文字が浮かんでいます。


「旅行までにはまた新しい水着とか買いたいなぁ」

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