第9話 綺麗な月の夜
深夜を回っても、妻が帰ってこない。私よりも何倍もしっかりした妻ではある。だがしかし、心配しないでいいという法はない。
そんな時、机の上のスマートフォンが震えた。表示される妻という文字。よかった。ホッと胸をなでおろし、着信に出る。
『もしもし』
しかし、通話口から聞こえてきたのは、鈴を転がしたようなと表現される可憐な我が愛しの妻の声ではなく、野太い男の声だ。
「・・・・・・誰だ。なぜ妻の電話を持っている」
『おお、じゃあ、あんたが彼女の旦那さんか』
荒い呼吸で男はこちらの質問に答えず、勝手に話した。
「そうだ。お前の使っているのは私の妻の電話だ。彼女はどこだ。彼女に何をした」
『慌てるなって。ちゃんと説明してやるよ。あんたの嫁さんはな』
その時、遠くで彼女の声が聞こえた。男とはまた違う、荒い息遣い。まさか。嫌な予感がよぎる。
「お前、妻に何をした!」
『だからちゃんと説明するから聞けって。軽い気持ちで酒でもどう? なんて声掛けたら、ひょこひょこついてきたんで、お望み通り酒を飲ませた』
「酒を、飲ませた・・・・・・?」
嫌な予感が胸の中でどんどん膨らみ、最悪の事態を想像する。
『ああそうだ。飲ませた。そしてどうなったと思う?』
男の声色が変わる。その瞬間、私の予感は確信と変わり、現在進行形で悪夢は現実に降臨したことを告げた。
『というか、これ、どうなってんの?』
再び、妻の楽し気な声が聞こえた。同時に、悲鳴が聞こえ、遠くへと遠ざかっていく。何かが破裂したり、潰れたりしたような音も。
「酒を、飲ませたのか、彼女にっ」
怒りと、それを上回る恐怖のあまりスマートフォンを持つ手が震えた。
『そうだよ! 酒を飲ませただけだ! なのにどうしてこうなるんだ! あんたの嫁さんのせいで、俺の仲間がすでに三人、いや、今四人目が吹っ飛んだぞ!』
「酒を飲ませるからだ! 彼女は古き血脈、鬼の血を引く種族だぞ! 普段であれば強い自制心が彼女をただの新妻にしていたが、酒を飲むと理性のタガが一発で外れるんだ。一度大暴れしてからは反省し、飲まないようにしていたのに・・・・・・!」
本来であればお酒は大好きなのだ。しかし私に嫌われたくないからとけなげな理由と、暴れると後で高くつくという経済的理由から断酒していた。この一年間、成功していたのに。そんな彼女に酒でもどう、などと、ふざけやがって。ちょっとくらいなら、なんて考えて、カブトムシより簡単に引き寄せられたことだろう。
『鬼ってなんだよ! どこのファンタジーだよ! 酒飲んで強くなるのはジャッキーだけで良いんだよ!』
「ふざけている場合か! 一度酔ってしまった妻は止められない。今どこだ。どこにいる!」
『い、今は、繁華街の』
ど~こ~?
楽し気な妻の声と、男の息をのむ声が受話器から聞こえる。
もっとぉ、もっと楽しみましょうよぉ~
『た、助けてくれ。俺は、俺はまだああはなりたくない。あんな、手足の関節が五個増えたり、湘南の風のタオルみたいに振り回されたり、生け花みたいにコンクリに埋められたくないよぅ』
弱々しい男のかすれた声が聞こえる。
「落ち着け。いいか。その場から逃げろ。繁華街なら、駅方向へ向かえ」
『わ、わかった』
「私もすぐに行く。駅で合流しよう」
『頼む、助けてくれ』
「わかってる。今すぐ助けに行く」
見~つけたぁ~。
『ひ、ひいいいいいいいい!』
「逃げろ、走って逃げろ!」
男が電話を落としたらしい。ガシャンと打ち付ける音が響いた。私の叫びは、願いは届いたかどうか。
鬼ごっこぉ? いいよぉ。やろうかぁ。
ダンッ
妻が多分、リミッターを外して地を蹴った音だろう。きっと、コンクリートに丸い亀裂が走っている。陥没して、水道管やガス管が破裂していなければいいが。
「急がなければ!」
最近導入したスマートスピーカーに呼びかける。
「護符とソハヤを出して!」
スマートスピーカーが反応し、神棚の扉が開く。神棚からは霊験あらたかな護符が現れた。同時、床の間に飾ってあったダミーの生け花が床ごとひっくり返り、代わりに拵えのない太刀が飾られた台が現れる。
「また、お上から怒られるな」
護符をポケットにねじ込み、太刀を手に取る。現代の鬼切シリーズは指紋と掌紋認証、そして所有者の声紋によって普段は封じ込められている力を開放する。
『指紋、照合、確認。掌紋、照合、確認。声帯認証を開始』
「所有者、第二十四代坂上田村麻呂、本名渡井頼時。本日二十四時十七分、我が妻渡井鈴香、旧姓大嶽鈴香の覚醒を検知。緊急マニュアルに沿って、関係各所の承認をスキップし、所有者の責任において安全装置を鎮圧までの限定解除を要請」
『確認。オーガスレイヤー【ソハヤ】限定解除、起動します』
柄を握る腕に電流のような刺激が走る。 実際全身の筋肉を刺激し、脳のリミッターを解除させて本来眠っている力を百パーセント出せるようにする。かつ、人間からは廃れて久しい力、魔法とも超能力とも言うべき術を使用可能となる。それだけ出来るようになってようやく、妻と向き合う、もとい張り合うことができる。
玄関を出る。今日は満月。良い月夜だ。
「そりゃ、一杯ひっかけたくもなるか」
これが終わったら、チートデイならぬ飲酒デイを作ってあげよう。どうせ飲むなら、少しずつ慣らした方が世のため人のため彼女のためになる気がする。そんなことを考えつつ、私は愛する妻のもとへと駆ける。
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