第6話 SideB

「腐ってやがる」

 スマートフォンの画面を見ながら、嫌悪感を隠そうともせず呟く。

 いつものようにその日にあったニュースをチェックしていると、一日も絶えることなく悪事のニュースが躍る。

『不正献金! 企業と政治家の癒着。特捜部のメス』

『犯人は息子! 一家全員殺人事件の裏側、息子の心の闇に迫る』

 いつの世も政治家は腐っているし、人間はたとえ家族であっても簡単に殺す。ただ、こいつらはもう終わりだ。捕まり、起訴され、相応の報いを受ける。こいつら以上に許せないのは自分の罪を自覚していない連中だ。

『大規模イベントで若者が深夜に大騒ぎ! 近隣住民とのトラブルも!』

『またもあおり運転で事故! ドライブレコーダーに記録された恐怖の一部始終!』

『深夜の密会! あの清純派女優が大物俳優と不倫騒動!』

 他にも、大きな罪には問えないが倫理的、道徳的なトラブルやニュースがネット上には溢れている。そしてそれに対する批判的なコメントが殺到している。批判的ではない。過激な批判だ。死ねだの糞だのシンプルな暴言から、過去暴露などの陰湿な精神攻撃まで様々な手練手管で相手を追い詰めていく。これまでの功績を全てなかったかのように振る舞い、自分がさも正義と言わんばかりに拳を振り上げる。

 嘆かわしい。

 叩かれる方も叩かれる方だが、叩く方も叩く方だ。民度が知れる。匿名なのを良いことにやりたい放題か。

 こういう連中はわからせてやるしかない。深淵を覗き込めば、深淵もまた自分を覗き込んでいるということを。誰かを撃つものは、いずれ誰かに撃たれるということを。

 ネットを炎上させている連中を特定し、相手に対して警告文を突きつける。自分たちがやっていることは立派な犯罪、脅迫であるということを理解させる。

 ただ悲しいことに、この時点で反省し、以後の行動を改める人間は、初めから過激な発言をしない。

『は? 何あんた。キモいんですけど。何様のつもりだよ』

 返ってきたメッセージがこれだ。いくらこちらが注意しようと、こういう自分が正しいと思っている連中は反省などすることがない。だから、自分のような人間が浄化作用として機能するしかない。それだけの技術が自分にはある。

 相手の位置を特定、使用している端末から情報を抜き取り、個人情報を取得。殴られないと思っている連中は、一度殴られなきゃわからない。自分がやっていることがどういう事か、理解していない。

「貴重な体験学習だ」

 Enterボタンを押す。ネットの海に、連中の個人情報とこれまでの悪行、自分たちがどういう風に他人を貶め、叩いてサンドバックにしてきたかが世間にさらされる。

 十数分もすると、自分が流した情報が何千、何万もリツイートされ、彼らが晒し上げられる。誰かを炎上させていた連中が、今度は自分が炎上させられている。ああ、アカウントが削除されたか。これでいい。これで、ネットを汚染していた汚物は処分された。ネットは正しく扱うべきだ。誰もが楽しめるものであるべきだ。連中のようなバカは、誰も彼もを不快にさせる害悪でしかない。誰だって否定的なコメントは気分が悪い。それが正当な声ならまだしも、行き過ぎたものならなおさらだ。

 そういう連中を処分し続けていたからだろうか、今では自分はちょっとした有名人だ。現代の必殺仕事人と称賛してくれる人もいる。そんなつもりはないが、そう称えられて悪い気はしない。今も、自分のメッセージボックスには称賛するメッセージが届いている。それを一つずつ開封しながら、謙遜の返信を送る。

 また一つ、メッセージが届いた。何気なく開く。

「・・・何だと」

 目を疑った。称賛のメッセージではなかった。

『ff外より失礼いたします。炎上させている方を諫められるのは、大変勇気を要する行為かとは思いますが、やり過ぎではないでしょうか」

 自分への批判だった。

 どんな正しい行為でも、批判されることは当然ある。というよりも、何かを表に出せば少なからず叩かれるものだ。こういうことをしていれば、批判は少なからずある。これまでもあった。

 いつもであれば、気にしなかった。反省の文面のコピーを張り付け、今後は気を付けるという旨の内容を返信して終わりだ。

 だが、今回はどうしてかいつもよりも腹が立った。それまで称賛のメッセージを読んでいたからかもしれないし、社会悪に対する嫌悪感がいつもより高かったからかもしれない。

 だから、感情に任せて反論のメッセージを送ってしまった。

「自分がやっているのは正義の行いだ。誰かが無責任な悪によって踏みにじられている。私はそれを止めたいだけだ。あなたのような、誰かが踏みにじられているのにも傍観を決め込み、手すら差し伸べない輩に私の行為を批判されたくはない」

 送ると、すぐに返信が来た。

『しかし、あなたの行為のせいで、居場所を特定されたり正体を暴かれた方の中には、引きこもったり、果ては自殺未遂まで起こした方がいます。そこまで追い詰める必要があるのでしょうか』

 苛立ちがさらに募る。なぜこんなに苛立つのかわからない。感情のままに、文章を書き連ねる。

「追い詰めなければわからないのだ。そういう、簡単に人を傷つける連中は、自分も傷つけられないとわからない。自分の愚かさに気づかない。痛い目を見ないとわからないのだ。特にネットのような、相手の顔すらわからない匿名性の高い場所では、自分がやっているのはゲームのように錯覚する。相手はいくら傷つけても害のない敵キャラクターだ。周りが盛り上がれば盛り上がるほど言葉は過激になっていく。中には、盛り上げるためだけに過激な言葉を使う者までいる。嘆かわしいことだ。だから止める。これ以上被害が増えないうちに。罪を重ねないうちに。皆が使うネットを悪意の拡散から守っているのだ。もし誰かが自殺やら引きこもりになったというなら、自業自得だ。それだけのことを誰かに対してやっていたという事なのだから」

 返信を送る。一拍おいて、相手からまたメッセージが届いた。

『では、あなたは今後も同じことを続けるのですね』

「当然だ。自分が秩序を守らなければならないのだから」

『あなたの秩序は、誰かにとっての悪法です。あなたの技術は、誰かを傷つけます。方法を改めることを強く求めます』

 何なんだこいつは。気持ち悪い。怒りが頂点に達した。ブロックしてしまおうか。いや、それでは腹の虫が収まらない。

 正体を暴いてやる。自分が誰に喧嘩を売ったのか教えてやる。いつものように、相手の正体を特定しようとした。

『残念です』

 メッセージがポップアップされた。次の瞬間

「・・・え、え?!」

 自分のPCが逆にクラッキングを受け、こちらの動作を一切受け付けなくなった。データが吸い上げられ、乗っ取られていく。自分の手足が自分の意志と関係なく動いているような、強い不快感と恐怖が襲い掛かってくる。

『保存されていたデータから個人特定、情報を入手、破棄された文章データを復元、携帯端末のGPS位置情報から行動パターンを取得、

位置情報特定、〇×県△◇市・・・』

「やめろ、やめろやめろやめろ、やめろ!」

 PCの電源を引き抜く。いやな切断音と共に画面がブラックアウトした。肩で荒く息をつく。何だったんだあれは。

 携帯端末が電子音を発し震える。反射的に手に取り、開く。SNSの投稿で、自分に関するキーワードがあった。

『こいつサイテー』

 そんな文章の下に、引用された画像ファイルが添付されている。自分の顔だ。

『SNSで他人の個人情報暴露してるんだって』

『それ、最近自殺者が出たやつの事じゃない?』

『うわ、マジかよ。それでこいつは何のお咎めもなしかよ』

『のうのうと生きてるわけだ。吐き気がする』

『正義の味方面してるやつって本当にタチ悪いよな』

『マジキモい』

『こんな奴がネットを荒らしてる』

『早く駆除されてほしい』

『ネットリテラシー低すぎ』

『お前みたいなやつはネット使うな』

『原始に戻れ』

『こいつ何様www』

 自分に対する罵詈雑言の嵐が吹き荒れていた。そして新たに投稿される。

『そいつの住所特定したった。下記参照』

 自分の近所、家の前の画像だ。画像の中に電信柱が映っている。電信柱には住所が記載されている。

『やべ、これうちの近所じゃん』

『正義の味方の面、拝んでやろうぜ』

『制裁だ制裁』

『二度とキーボード打てないようにしてやろうぜ』

 携帯端末を投げ捨てた。派手な音を立てて画面が砕ける。

 何だ、何が起きているんだ。どうして自分がこんな目に遭わなければならない。自分はただ、社会悪を糾弾しただけだ。どうして・・・

 そこでようやく気づく。どうしてさっきのメッセージに腹が立ったのか。

 さっきのメッセージの送り主がやったことは、まるっきり自分の手法と同じだからだ。相手に反省を促し、行為をやめるよう要請する。それでも受け入れられなければ、強硬手段に出る。まるっきり自分と同じ手法を使ってきたら、剣を勘を感じたのだ。

 どんどんどん

 扉がノックされる。本当に特定されたのか。もう、正義の味方面したやつが現れたのか。恐怖が喉元からせりあがった。逃げなければ、逃げなければ。

 一体、どこに?

 ネットで晒されたということは、世界中が自分のことを認知したということだ。逃げ場などこの地球上に存在しない。

 その間も、ドアを叩く音が室内に響く。どうしたらいい。どこに逃げたらいい。訴えられるのか? 自分も、あのバカな連中と同じようにテレビや新聞で好き勝手書かれるのか。自分は正しいことをしていたのに。

 ドン!

 ことさら大きな音が響いた。反射的に飛び上がり、走った。どこか遠くへ行かなければならなかった。

 額が何かにぶつかり、通過した。体がふわりと浮いて、重力に引かれて落下した。



 救急車のサイレンが鳴り響く。赤いランプを遠巻きに集団が取り囲んでいる。

「飛び降りだってよ」

「はぁ?! マジかよ」

「まだ若いのに。かわいそうに」

「一体何があったんだろうな」

「最近多いわよね。自殺する人」

「なあ、知ってるか? 最近の自殺者には共通点があるんだってさ」

「知ってる。全員、SNS利用者なんだろ?」

「便利なはずのツールが人を傷つけるなんてね」

「ツールは誰も傷つけないよ。人を傷つけるのはいつだって人だ」

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