第2話 情欲体陸

※注意

この話の内容には、一部『性』に関するワードが含まれています。苦手な方はご注意ください。



 もう一回! さあワンモア! 良いよ、良いよ!

 活気のいい声とともに、汗が飛び散り、バーベルが上がる。

 都内の某トレーニングジム。パーソナルトレーナーの指示のもと、一人の青年が己の体を苛め抜いている。

 彼の名は槍男。大学ではヤリサーに所属している。

 そう、彼は昨今の十八禁作品における悪役だ。


 十八禁作品。

 純愛作品から、現実世界では許されないアブノーマルな世界まで幅広く存在し、主に十八歳以上の男性、時に女性によって愛されるジャンルである。

 数多ある作品ジャンルの中でも、最近の男性作品のトレンドとしてよく上がるのは、催眠、ハーレム、寝取り寝取られ作品だ。

 その中で、槍男はハーレムもの、寝取りものにて活躍している。今日はそんな彼の一日に取材陣が密着する。


 槍男の朝は早い。

 早朝五時、ランニングウェアに着替えた彼が住んでいるマンションの入り口から現れた。

 ―おはようございます。

「あ、今日なんすね。オネシャス」

 取材陣に笑顔で挨拶。意外に、と言ってしまうと失礼かもしれないが、礼儀正しい。

「あ、もしかして、 俺が挨拶もろくにできないクソガキだと思ってました?」

 ―正直に言えば、そうです。

「うわー。ショック」

 そう言って彼は気分を害するでもなく、からからと快活に笑った。

「ま、仕方ないかもしんないすけどね。なんつうの? 俺に求められるのって、女のケツ以外アウトオブサイトの下半身生物ですし。けど」

 ぐ、ぐ、と膝や腰を柔軟で体をほぐしながら槍男は言った。

「記者さんに質問っす。礼儀正しいのと正しくないの、どっちのほうがそれ以降話を聞きたいと思います?」

 ―それは、礼儀正しい人のほうでしょうか。

「ですよね? 俺ら、学校や街で女性を口説くわけですけど、挨拶できない、態度も悪い男に、女性がついていくことってなくないっすか?」

 言っていることは至極もっともだが、納得いかないのはなぜだろうか。さすがにそれを口に出すことはせず、そうですねとうなづく。


 川沿いの舗装されたランニングコースを走る。なかなかのペースだ。

 ―いつもどれくらい走っているんですか?

「ん~、そうっすね。一日五キロは走るようにしてっすね。日課ってやつです。ウイスキーじゃないっすよ」

 走りながらも、息切れすることなく冗談まで飛ばす。ジョギングが習慣なのは間違いないようだ。

 ―どうしてジョギングを?

「健全な肉体に健全な精神が宿る、ってなんかで言ってたんで。夜は時間があれば筋トレしてます。体力ないと一日に何回戦もできないんで。それに、どうせなら出来上がった体魅せたいじゃないすか。もちろん、ふくよかな体形が好きな人もいますけどね」

 槍男はスピードを上げた。体が資本の彼らならではのプロ意識、なのかもしれない。


 昼。学校内で女生徒に声をかける槍男の姿があった。彼らの仕事の邪魔はできないので、取材陣は遠くから彼を撮影する。何度か言葉を交わしているようだが、女生徒は彼に背を向け、キャンパスに消えていった。

「や、恥ずかしいところ見られちゃいましたね」

 後頭部をかきながら、彼が現れた。

「残念ながら、ナンパ失敗しちゃったっす」

 ―それで、これからどうするんですか?

「これから、といいますと?」

 ―後をつけたりとか、薬で軟禁とか無理やりとか。

「ちょっと、それはさすがに失礼じゃないっすか?」

 穏やかだった彼の表情が、険しくなる。

「そんなことしたら、犯罪じゃないっすか」

 ―え?

「俺は確かにセックス目的で女性に声をかけてるっす。性欲の塊なのは否定はしません。けれど、一度だって女性を傷つけるようなことをした覚えはありません」

 彼の言っていることがよくわからなかった。彼はヤリサーのヤリチン野郎ではないのか。自らの欲望のために女性を食い物にする、それがアイディンティティではないのか。

「相手のいる女性と関係を持つことは多々あります。いわゆる浮気、寝取りってやつですね。ただ、自分の技術に誇り持ってますし、その女性と関係を持つと決めたら、その瞬間、その時だけは、世界で一番その女性を愛している自信があります。どうすれば喜んでくれるのか、どうすれば俺を受け入れてくれるのか、旦那、恋人、片思いの相手を意識から消せるのか。技術、精神、体力、己の全てをその女性のために捧げている。だからこそ、女性は心を許し、俺の前で腰を振り股を開くんです。幸せを感じてくれるんです。無理やりなど、ヤリサーどころか、男の風上にも置けないっす」

 納得が、行かない。しかし、彼の真剣な表情を見る限り、それが彼の、彼らヤリサーの掟、プライドなのだろう。迂闊な発言を謝罪し、深く考えないことにした。

「ま、それでもさっきみたいに失敗するんすけどね」

 ―失敗、するものなんですね。成功率はもっと高いのかと、極端な話百パーセントかと思っていました。

「そんなわけないっすよ。むしろ、百回やって一回成功したら良いほう」

 ―冗談でしょ?

「いやいや、マジで。むしろ千回やっても失敗するときありますし。皆さんが見ているのは、その成功した一回っすから。雨の日も風の日も日照りの日も雪の日も問わずチャレンジし続けて、ようやくつかみ取った成功例だけが店頭等に並んでるだけっすから」

 ガラガラと足元が崩れていくような感覚を覚えた。これまでの彼に対する認識が変わっていく。

 この日、一日中彼のナンパを密着したが、一度も成功しなかった。



 夜。ナンパが成功しなかったため、槍男は空いた時間を朝言っていた通り筋トレに充てていた。細身に見えた肉体は、服を脱ぐと一変、しなやかな筋肉に覆われた美しい肉体が現れる。

 ―よく鍛えられていますね。

「あざっす。面と向かって言われると、ちょっちこそばゆいっすね」

 そういって、彼は準備運動の後、トレーニングマシーンに臨む。

「努力は裏切らない、ってよく言うっすけど、あれ、嘘っすよね。今日みたいに、どんだけ努力したって実らない時がある。むしろ、その時のほうが多い」

 けど、と彼はダンベルを持ったまま、肩をゆっくり上げ下げしながら言った。

「努力しなけりゃ、絶対実ることもない。だから、俺は鍛えるしかないんす」

 悪役の言葉が、取材陣の心に刺さる。自分たちも多くの取材を続けてきたが、実際に使われるかどうかはわからない。

 今回の取材は、何としても通るよう努力しよう。彼のように。取材陣全員の心が一つになった瞬間だった。

「あ、お疲れっす」

 槍男が手を挙げた先には、肩からタオルをかけた、腹の突き出した四十前後の冴えない中年男性がいた。

 ―どなたですか?

「ああ、知り合いの催眠おじさんっす」

 寝取りものと双璧をなす、催眠ものに出演する主役兼悪役だった。幸運なことに、槍男の紹介で、彼からも話を聞くことができた。

 ―はじめまして。

「はじめまして。槍男君の取材なんですね? 僕なんかがお邪魔して、大丈夫ですか?」

 ―もちろんです。もしよろしければ、少しお話伺ってもよろしいですか?

「ええ、僕でよければ」

 紳士的な対応に、戸惑う。これは、初めて槍男にあった時と同じだ。

「はは、仕方ありません。けれど、普段の僕は、見た通りの冴えない男ですよ」

 ―しかし、催眠術で女性の認識を変え、とっかえひっかえしているわけですよね?好きでもない相手とセックスするように仕向けるわけですよね?

 当然の疑問に、彼は困ったような苦笑を浮かべていた。

「誤解があるようなので、お伝えしますが。催眠はそこまで便利なものではありません」

 ―嘘でしょ?

「本当です。催眠といえば、相手を意のままに操る、みたいな認識を持たれている方が多いようですが、違います。それはもう、操作です。催眠は、相手の心のタガを少し緩め、精神的に背中を押すことです。つまり

 本当はセックスしたいのに倫理観とか法律とか世間体とかに雁字搦めになっている姫君たちを開放するための剣なのです」

 ―剣、ですか・・・

「そうです。今日槍男君の取材をしていた皆さんならわかるはず。我々の成功は、数多の失敗の上に成り立っているということを。私も同じ。これはと思う女性に声をかけ、紳士的に接し、心を和らげ、相手がその気になって行為に至る。ともすれば普通のことを、少々大げさに言っているだけです。僕のような冴えない男が美女と並んで歩けば、それだけで絵になるので」

 ―・・・じゃあ、催眠で家族に取り入って親子丼とか、あれは

「親子の好みが似るのはよくある話です。二人が僕を好きになってもおかしい話ではありません。むしろ、取り合いの修羅場になることのほうが多いんです」

 一度刺されましたと彼がシャツをめくると、大きな傷跡が見つかった。

「剣を刺されたのは僕だったわけですね」

 笑い事では、ないのではないだろうか。

「催眠で感情の起伏が激しくなっていますから、仕方ありません。けれど、私はこれからも催眠を駆使し、疲れた女性たちを癒していけるよう頑張る所存です」

 やはり彼も、無理やりなどはしない主義だった。変なところで、優しい世界だ。

 ふと、特殊能力つながりで気になることを訪ねてみた。時間停止ものも存在するわけだが、本当のところはどうなのか、と。

「ああ、使える人なら知ってるっすよ。話聞いたことあるっす」

 答えてくれたのは槍男だった。

「けど、皆が思ってるほどやりまくりの能力じゃないらしいっす。そもそも、時間停止すると、セックスできないっす」

 ―何、ですと?

「詳しい理屈はわかんないっすけど、世の中って時間の経過でモノが動くじゃないっすか。俺らのマイサンが形状を変化させるのも、女性の膣も時間経過によって変化するわけっす。その時間が止まってるわけっすから、入るものも入らないらしいっす」

 ―え、じゃあ、彼らはどうやって

「止まっているつもりでやってんじゃないっすか?」

 身も蓋もロマンもない言葉に、取材陣は打ちのめされた。



「今後、っすか?」

 最後に、槍男に今後の目標について尋ねてみた。

「そっすね。今大学四年なんで、内定決まってる会社に入りますかね」

 彼は、一流企業に内定が決まっていた。

「そんで、仕事のノウハウを学んで、独立して企業しようと思うっす。今度は、取引先の寝取りが目標っすかね」

 彼の未来は、笑顔と同じで明るいようだ。

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