エイリアンズを聴きながら

ウタノヤロク

第1話

「ねぇ、セックスってしたことある?」


 誰もいないいつものドライブイン。テーブルを挟んで向かい合って座っていた、委員長こと相坂このみがそんなことを聞いてきた。


「セ、セックスって……」


 たじろぎながら聞き返すと、「そう。そのセックス」言い澱むことなく返してきた。


 僕が言葉に詰まってると委員長が続ける。


「その様子だとまだみたいね」


 委員長が小狡く笑った。けれど嫌味は一切ない。


「そ、そういう委員長は?」


 僕の言葉に、「ふーん、女の子にそんなことを聞くんだ」僕は慌てて取り繕う。


「冗談だよ。わたしから聞いたことだもの、気になるよね。それで?」

「それで?」

「わたしが処女かそうじゃないかってこと」

「えっ……」

「今いやらしいこと想像したでしょ」


 委員長がにこっと笑う。僕はたじろぐばかりだ。


「ほら、行こっ」


 ヒラリとスカートを翻して立ち上がる。彼女の一挙手一投足が舞台に映える女優のように見えた。


 夜空にはまん丸な月が一つ。その月明かりの下、微笑む彼女はたしかに美しかった。



 その日は蒸し暑い夜だった。


 暑さに目を覚ますと、僕が目を閉じてからさほど時間が経っていなかった。つまりそれほど暑い夜だった。


 もう秋だというのに異常気象のせいか、部屋のエアコンは連日の猛暑で参ってしまったようで、家主が熱中症にかかる前にお先に逝ってしまった。電器屋をやっている幼馴染の家に連絡するけど、ウチのエアコン同様天に召されたのが何台かいるそうで、取り付けるにしても数日後になるという。そんなわけでエアコンのない日々が続いていた。昼は学校や図書館、ゲーセンなんかで涼むことが出来るが、夜はそうもいかない。家のリビングにもエアコンはついてるが、電気代がかさむ&家の猫が容赦なく腹の上に乗っかってくるせいで寝ることが出来ない。


 窓を開けて扇風機を回してみても暑さが和らぐことはほとんどなかった。焼け石に水、馬の耳に念仏。年代物の扇風機がこれでもかと頑張ってくれてるが、ほとんど意味をなしてなかった。


 暑い……。その言葉を口にしてしまうと、途端、暑くなるから不思議だ。


 隣の兄貴の部屋に今日だけ泊めてもらうか、そう思ったが、兄貴の寝相の悪さといびきのうるささは家族の中でも有名だ。それに散らかり具合がハンパじゃない。エアコンはきいてるかもしれないけど、熟睡するのは無理だろう。諦めて暑さと戦いながら部屋で休もうと目を閉じる。羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹……と一匹ずつ数えてみた。数が増えるごとに暑苦しくなってきて、結局十四匹目を数えたところで止めた。


 一階のキッチンに降りて麦茶でも飲もうかと思ったら、冷蔵庫の中に飲み物はなかった。


 マジかよ……。落胆していると足元にモフっとした感触。見るからに暑苦しい毛皮をまとったウチの猫が、フローリングの床に弓なりになって寝そべっていた。


 お前も大変だよな。そう言ってやると、お互いにねとでも言いたげにニャアと鳴いた。


 部屋に戻って来ていた汗で濡れたTシャツを脱いで新しい服に着替えた。それほど多くない小遣いの入った財布を手に部屋を出た。


 外はムッとしてたけど、自分の部屋ほどじゃない。気持ち程度にほんの少しだけ吹く風が涼しかった。


 お年玉を貯めて買ったクロスバイクタイプの自転車を物音を立てないように出す。その横には兄貴の乗ってるいかにも速そうな黄緑色のバイクが並んでた。僕は僕の愛車に跨る。ペダルを漕ぎ出すと、まとわりついていた熱気が後ろ後ろへと遠ざかっていった。


 気分がいい。このまま遠くのコンビニへ行ってみようか。いつもなら自転車で五分の近くのコンビニだけど、今日は不意に湧き上がった冒険心のせいか、隣町の行ったことのないコンビニへ向かった。


 すっかり遅い時間のせいか、普段走ってる道路に人の影どころか車の姿すらほとんど見えない。街中より少し離れた場所がらのせいか、この時間になると外に出歩く人もいない。


 世界にたった一人取り残された気分だった。暑さで少し霞んだ夜空。遠くに聞こえる救急車のサイレン、彼方に見える街の明かり。吹く風は生ぬるく、ここが現実じゃないと語りかけてくるようだ。


 ペダルを漕ぐ足を強める。ジワリと汗が流れる。それすらも心地いい。


 家から三十分、無駄に遠いコンビニにたどり着くと買ったばかりのスポーツドリンクを流し込む。キンキンに冷えたスポーツドリンクが忘れていた体の熱を思い出させる。


 来たことのないコンビニは正直、近所のコンビニとあまり変わりなかった。けど、その近くに隠れるようにしてあった古びたドライブインには昔懐かしいうどんそばの自販機やハンバーガーの自販機、カレーの自販機なんてものもあった。


 動いてるのかこれ? と不思議に思いながら、適当にハンバーガーの自販機のボタンを押す。商品が出てくるのかと不安にかられていたが、二分ほどしたらゴトンと騒々しい音とともにハンバーガーの箱が落ちてきた。取り出そうとするとこれが熱い! ものすごく熱い! 手で持てないほどではなかったが、取り出すのに少し苦労した。


 期待と不安を入り混じらせながら開けると、予想以上にしょんぼりしていた。味は……意外と美味しかった。


 青色の誘引灯に虫がまとわりついていた。周りはコンビニがある以外は何もなくて、ドライブインには僕一人。たった一人の秘密基地を見つけた気分だった。


 午前一時。普通の高校生なら家で夢の中にいるか、家で夜更かししてるかのどちらかだ。もしかしたら家族の誰かに僕がいないことを知られてるかもしれない。そんな中こんな時間にこうしていることに妙な高揚感と背徳感を感じていた。


 ドライブインを後にすると、家へと急いだ。


 来た道を戻るだけなのに行きとは違った景色に見える。家が近くにつれて街灯が少なくなってきた。遠くの街に比べるとだけど、隣町もそこそこ賑やかなところだ。それに比べると僕の住む町は簡素というか寂しい。


 隣町から家のある町をつなぐ橋に差し掛かった。


 すると、橋の真ん中あたりで人が立っていた。


 誰だこんな時間に……。


 薄気味悪さを感じた。橋の欄干にもたれかかるようにしていた姿は女性に見えた。僕はその横をさっと通り抜けようとペダルに込める力を強くする。けど、もしあの人が幽霊だったらとか、今から命を断とうとしている人だったら? とか余計なことを考えていたら、もうその人のすぐそばまで来ていた。


 考えてても仕方がない。無心でその横を通り過ぎようとする。しかしどういう心境の変化か、気付いた時にはその女性に話しかけていた。


「あ、あの! 待ってください!」


 なにやってんだ僕は! 無意識に声をかけてしまったことをひどく後悔した。今からでも遅くない、このままペダルを漕ぎ出せばなかったことにできる。なのに頭ではわかっていても言葉は止まらない。


「なにがあったか僕にはわかりません。でも、飛び降りるのは待ってください!」


 真夜中だというのに、大声で叫んでいた。側から見ればなにやってんだと思うだろう。もちろん僕だって現在進行系でそう思ってる。するとずっと欄干にもたれかかっていた女性がゆっくりと体を起こした。耳につけていたヘッドホンを外しながら。


 迷惑そうに振り返ったその人のことを僕はよく知っていた。なぜならその女性は僕と同じクラスの委員長、相坂このみだったからだ。

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