第43話 世瀬蔵人


 江戸の屋敷勤めもだいぶ馴染んできた頃、阿梅は意外な人物からの文に阿梅は驚くことになる。

 そして、その文を持ってきた人物にも。

「貴方と会わせておかねばならない者がいます」

 綾にそう告げられて、人払いされた奥の間へと連れていかれると、そこには一人の男が阿梅を待っていた。

 切れ長の目に整った顔立ち。重綱に負けぬ美丈夫だ。しかし阿梅は端々に感じる隙のない様子に、彼が何者であるか予測がついた。

「黒脛巾組の御方でしょうか」

 入室して座るなり切り出した阿梅に、彼は穏やかに笑った。

「お分かりになりますか」

「私は長らく真田衆の皆と共にいました。貴方の気配は、皆とよく似ております」

「ご明察でございます。私は黒脛巾組の組頭、世瀬よせ蔵人くらんどと申します。以後、お見知りおきを」

 阿梅は目を見開いた。

 噂に聞く程度ではあったが、黒脛巾組を束ねる世瀬蔵人のことは聞き及んでいた。なにより、黒脛巾組と片倉家は今、密接な関係にある。

 阿梅がちらりと綾を見れば、彼女はいつものようにおっとりと微笑んでいるだけだ。

(これも、私が側室となった時、困らぬようにと、そういうことなのかしら)

 そんなことを思ってしまった阿梅に蔵人はすいと文を差し出す。

「貴方の姉妹君であらせられる、あくり姫様からです」

「えっ! あくり姉様から!?」

 思わぬ人物の名に阿梅は慌てて文を受け取った。

 文を開いて見れば、確かにあくりの名がある。

「何故、黒脛巾組と関わりが」

 阿梅は驚きのあまり呟いた。

「あくり姫様の情報は以前から集めていました。伊都でお母君の竹林院様と共に捕らえられ、その後の足取りを調べましたので」

「命は助かったと、そう聞いていますが」

 蔵人は頷いて話を続けた。

「はい。竹林院様は京に住み、あくり姫様は滝川様の養子におなりになった、と」

「そうなのですか」

 滝川とは叔母の於菊の夫である滝川三九郎一積のことだろう。

「けれどこの文は、ただそれを知らせるだけのものではないのでしょう?」

「……………ご明察であらせられます」

 蔵人は苦笑いしながら阿梅のそれに答えた。

「京でお暮らしになっている竹林院様がずいぶんと苦労なされているようなのです」

「それを助けてほしいと、こうした文を?」

「ああ、いえ、直接的な援助を求めているというわけでは」

 阿梅は首を傾げた。

「では何故、あくり姉様は私に文を?」

 蔵人は「一応、貴方様のお耳に入れなければ、という配慮でしょう」と、不思議なことを言う。

「配慮とは」

「おかね姫様の嫁ぎ先が決まりそうなのです」

「えっ!」

 いきなりの報せに阿梅は目を剥いた。

 いや、おかねが花嫁修業をしていることは知っていたが、そんなすぐのこととは思っていなかったのだ。

「商家である石川様のところに嫁ぐ算段を整えているところです」

「商家……………成る程、そのおかねに援助をしてほしい、と。そういうことなのですね?」

「はい」

「おかねは、何と?」

「石川様はもともと豊臣に仕えていた方。竹林院様のことも合わせ考え、おかね姫様は承知した、と」

 嫁ぎ先が援助に寛容であることを考えたのだろう。いや、その辺りの駆け引きも込みでまとまった話なのかもしれない。

「そうですか。おかねが承知したことならば、私は何も言うことはありません」

 本音を言えば寂しいが、おかねがいつかどこかに嫁ぐことは阿梅にも分かっていた。これは喜ぶべきことなのだ。

 阿梅は蔵人に頭を下げた。

「私にお知らせくださり、ありがとうございました」

「いえ、私も貴方様には会わねばと思っておりましたので」

 阿梅はまたちらりと綾を見た。

 綾は優しく「貴方は真田の姫君なのですからね」と言った。

「真田衆から黒脛巾組になった者は多くいます。貴方と黒脛巾組は、もはや切っても切れぬ関係にあると知っておかねばなりませんよ」

 片倉家の奥方として、綾はこの世瀬蔵人と阿梅を引き合わせたのだろう。

「……………はい、承知いたしました」

 阿梅は己がおかねと違って他家へ嫁ぐわけにはいかないことも分かっていた。

(それこそ、喜佐姫様がお話ししていた喜多様のように、片倉をお支えできたよいのですが)

 何も側室になることばかりが道ではないと阿梅は考えた。綾の侍女として活躍するというやり方だってあるのだ、と。

 阿梅はそこではたと、綾に疑問を投げ掛けた。

「お方様は、黒脛巾組のことを把握しておいでなのですか?」

「ほんの少しだけ知っている程度よ。もっとも、組頭の名前くらいは知っているけれど」

 蔵人が「一応、組頭と表立つのが世瀬蔵人でありますので」と言うので、阿梅は驚いた。

「表立つことが役目なのですか?」

 忍びは極力目立たないようにするものと考えていた阿梅は、とても信じられなかった。

 それに蔵人は笑いながら教えてくれる。

「私はお飾りなのですよ。そもそも黒脛巾組を束ねているのは伊達家です。世瀬蔵人は何人も変わっていますし、究極的に言ってしまえば誰でも良いのです」

「誰でも良いのですか? 世瀬蔵人という者は名ばかりの者であると?」

「そうです。私はいわゆる河原者かわらものでした。それを、こうして伊達家が使ってくださっているのです」

 黒脛巾組は出自問わず、力量のある者が声をかけられる。阿梅の知る真田衆とは、少々異なってはいるのだろう。

「ご謙遜を。貴方の変装は見事なものですよ」

 綾のそれに、阿梅は成る程、彼の役割は影武者のようなものなのだと理解した。組頭として表に立つ彼は、真に黒脛巾組を束ねている者を守っているのだ。

 そして黒脛巾組の中核を担っている一端が片倉家にもある。

 阿梅はじっと蔵人を見つめた。

「先ほども口にしましたが。貴方のような役割の者と、私は長らく共に生きてきました。―――――私は皆を尊敬しております。貴方もまた、そうした者の一人なのでしょう」

 綾と蔵人は顔を見合せ、それから蔵人が実に切実な響きのある声で呟くのだ。

「貴方様のような方が片倉に入ってくだされば、皆が心強いというものでしょうに」

 綾がその通りといわんばかりの頷くので、阿梅は眉を下げてしまった。

「小十郎様にも困ったものですね。と、これは内密にお願いいたします」

「あら、是非とも直接伝えてくださりませ」

「おそらく今頃、大殿様が言ってくださっておりますよ」

 冗談ともつかない蔵人と綾の会話に、阿梅は弱り顔をしているしかなかった。











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