第42話 大八の志


 白石のとある屋敷に預けられた大八は、真田四郎兵衛守信という名を用意され、ゆくゆくは伊達家への仕官も視野に入れながら教育をされていた。

 重綱の大八への入れ込みようは、まるで我が子かというくらいのもので、その教育は手厚いものだった。

 大八は懸命に励んだ。重綱の期待に応えねばという一心だった。姉達とも関わりを持てぬ日々の寂しさにも堪え、とにかく今は学ぶ時なのだと、がむしゃらに大八は様々な事を吸収していった。

 当然、出来ることは増え、怠らない努力は技術を磨いていく。しかし、大八は努力すればするほど、何か大切なものから遠ざかっている気がしてならない心地になるのだった。

 大八はそれを、こっそり会いに来てくれていた姉の阿菖蒲にだけ聞かせた。

「ひどく虚しい時があるのです。あっ、いや! 小十郎様がしてくださっていること、伊達家の為に働けるようになることは、有り難いことだと、分かってはいます! その上で………」

 阿菖蒲は大八と歳が近いためか気が通うことが多かった。

 どちらかといえば阿菖蒲は楽観主義であったが、本質を見抜くという点において、大八はこの姉を信頼していた。

「四郎兵衛は頑張り屋さんだものね。気負ってしまっているのかも」

「それは当たり前です。ここまでしでもらって、励まないなんて、できるはずがない」

「でも、すっきりとは頑張れないのね?」

「う、…………そんな、感じ、ではありますけれど」

 頑張りたい気持ちもやる気もある。大八自身、何がこんなに引っ掛かっているのかが分かっていなかった。それが余計に靄のかかったような苛立たしい気分にさせるのだ。

「四郎兵衛、よく感じてみて?」

「感じる?」

「そう。こういう時は、考えたらいけないの。自分の気持ちを感じるの」

「…………分かりました」

 頷く大八に阿菖蒲が問いかけた。

「剣術の稽古や手習いが嫌というわけではないのよね?」

「はい。教えてもらうこと、学ぶべきことを習うのは楽しいです」

 阿菖蒲は首を傾げた。

「けれど虚しい、と。ゆくゆくは仕官さえできるというのに?」

「お役に立てることは素直に嬉しいし、小十郎様の期待に応えたい気持ちも、あります」

 そこで阿菖蒲は「あ、そういうことなのね」と、どこが合点がいったように呟いた。

「何が、そういうこと、なのですか? 姉上?」

 阿菖蒲は気付いたことを確かめるように大八に聞いた。

「四郎兵衛は小十郎様の為に頑張っているのよね?」

「はい。もちろんです」

「なら、もやもやするのは当然だわ。だって、四郎兵衛がこれから仕えようとしている人は、大殿様の方なんだもの」

「あっ!」

 大八もようやくそこに気付き、己のことながら驚いた。何て鈍い頭なのだろう。

 大八が頑張れば頑張る程に、片倉家から遠ざかっていく。それを無意識に辛いと感じていたのだと、やっと自覚した。

「えぇ、そうだった。四郎兵衛は小十郎様が大好きで、いつか小十郎様の家臣になるのだって、言い張っていましたものね」

 くすくすと笑われて大八は顔を赤くした。

「今では、それ程こだわっているわけでは」

「ないの? 小十郎様の下で働きたいと、そう思ってはいない?」

「うっ」

 大八は呻いた。言われてみて、初めて己がこんなにも片倉から離れがたいのだと気付いた。

「でも小十郎様は四郎兵衛を家臣にはしたくないのだわ。きっと私達の父上のことをお考えなのだと思う」

「それも…………なんとなく分かります」

 重綱は大八を真田信繁の息子として、託された子供として、育て上げている。姓を真田のままにしようとしていることから、それは分かるというものだ。

 そして真田家は片倉家より格上の家柄。大八は伊達家に仕えるべきと重綱が考えるのは自然だ。

「小十郎様の期待を裏切ることもできないから、辛いわね」

「……………うん」

 阿菖蒲は大八の頭をよしよしと撫でてやった。

「でもねぇ、四郎兵衛、私達は皆、きっと小十郎様も、貴方が立派な大人になってくれたらそれでいいと、そう思っているのよ。誰の下で働こうと、精一杯働ける一人前になってくれたらって」

「それは、分かっています」

「だからね、立派な若武者になってから、選んだらいいんじゃないかしら」

「どういうことでしょう?」

「一人前になってから考えるってこと。だって一人前になるまでは、四郎兵衛は片倉なんでしょ?」

「ああ、そっか」

 一応は真田四郎兵衛守信という名前はあるものの、今はまだ片倉の四郎兵衛である。

 ということは、大八は伊達家に仕官するまでは片倉の者だということだ。

「でも、片倉から縁遠くなるのが嫌だからって手抜きしたら駄目よ?」

 からかうように言う阿菖蒲に大八は頬を膨らませた。

「そんなこと、できるはずがないと言ったでしょう!」

 阿菖蒲はまたくすくす笑うと大八の目を覗き込んだ。

「私はずっと白石にいることになるわ。そう感じるの。だから、いつでも会いにくればいいし、どんなになったって貴方は私の自慢の弟なんだからね」

 にこにこと阿菖蒲にそう言われると、もやもやとしていたのが馬鹿らしくなってくる。だから大八は阿菖蒲に話したのかもしれない。

「姉上達の方こそ、私の誇りです」

 小さく大八が言えば、阿菖蒲が嬉しそうに抱き付いた。

「阿梅姉様は江戸ですし、おかね姉様もじきに嫁ぐことになるでしょう。でも、きっと」

 阿菖蒲の声は自信に満ちていた。

「私達ならば大丈夫。ね?」

「―――――はい」

 二人は微笑みあって頷いた。

 真田大八――――真田四郎兵衛守信は数年後、伊達家に召し抱えられることになる。

 その時、幕府から「あの真田左衛門佐信繁の息子ではないか?」と疑われるのだが、伊達家は信繁の次男は石打ち合戦で死んでいると高野山の記録を引っ張りだし、彼は真田信尹の血縁だと言い張った。そして見事に幕府からの疑いははれ、真田姓で伊達に仕えることができるようになったわけだ。

 しかし仙台藩士として立派に仕えながら、片倉への思いは途切れることがなかったのだろう。後に姓を片倉に改め、真田を名乗ることはなかったという。

 その真っ直ぐな志は、やはり父親譲りだったのかもしれない。









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