第34話 江戸行き


 阿梅を江戸へ行かせる。そんな考えが、もちろん重綱のものであるはずがない。無茶を言い出すのは決まって主君の政宗だ。

「また大殿は、そんな大変なことを」

 阿梅が眉を下げて言えば、重綱もため息を吐いた。

「しかし、言い出したらあの御方は止められぬ」

「でしょうね」

 そんなことは阿梅も百も承知だ。

 しかも景国が片倉家に仕官してすぐにこれである。政宗に何か思惑がないはずがない。

「江戸というと、綾姫様のところで女中勤めをせよ、と、そういうことでよろしいのでしょうか?」

「あ、ああ。むろんそうだ。お前は片倉家の女中なのだから」

 それはいつかは訪れるだろうと予感していたことだ。

 阿梅は姿勢を正すと、重綱に頭を下げた。

「江戸屋敷での奉公、しかと承りましてございます」

「う、うむ」

 頷いた重綱は「それから」と続けた。

「大八を余所へ預けようと思う。もちろん信頼のおけるところだ。安心しろ」

 しかし阿梅は不安に思った。大八は素性を隠さねばならない身だ。

「そのような顔をしてくれるな。大八の身を守る為だ」

「というと?」

「大八を奥州にいる真田氏の子と偽装したい。その縁のある家で勤め、ゆくゆくは伊達家に仕官させようと思っている。もちろん、真田としてだ」

 阿梅は目を丸くした。まさか、重綱がそこまで考えているなんて思いもよらなかった。

「私が浅はかでした。大八も、もう九つ。色んなことを学ばねばなりません。どうか、よろしくお願いします」

 再び頭を下げた阿梅に重綱は力強く言った。

「ああ。大八を必ず立派な若武者にしてやるからな。おかねや阿菖蒲のことも心配するな。江戸でしっかり励め」

「はい」

 その凛とした阿梅の顔に、しかし重綱は奇妙な表情になった。

「いかがされました?」

「あ、いや、そのだな。殿が不穏なことをおっしゃっていたのでな」

「大殿が?」

「……………そなたに私の目が届かなくなれば、他の男は喜ぶとか、なんとか」

「いかにも、大殿が言いそうなことですね」

 苦笑いする阿梅に重綱は大真面目だ。

「馴れ馴れしくしてくる男には気をつけるのだぞ? それと、殿が我が屋敷に来たとして、そなたは接待せぬように」

「それは、難しいのでは」

「いや、必ず綾と一緒にいるようにしろ。殿が江戸にゆく際には、私も帯同するよう心掛けるが、できぬこともあるからな」

「そもそも大殿は今、あまり長く仙台を離れぬように思いますけれど」

「だが、警戒しておくにこしたことはない!」

 そこまで心配せずとも、と阿梅は笑った。だが重綱は気が気ではない。

 歳をとったとはいえ、まだまだ気の若い政宗だ。うっかり、などと手を出されでもしたら、阿梅はすぐにでも政宗の側室に入れられてしまうだろう。

 そんなことにでもなろうものなら、重綱は己がどれほど後悔するやら分からない。確実に、阿梅を白石城から出さずにいれば、と思うに違いない。

「大殿には別の考えがあるように思われますが」

 阿梅はちらりと渋い顔の重綱を見て内心で困る。

(私と綾姫様が会うことの意味合いを、小十郎様はおそらく分かっていらっしゃらない)

 それが重綱に分かっていれば、おそらく政宗も、そして矢内の方、片倉家の家臣達もこう気を揉むこともないだろうに。

 この五年で阿梅はすっかり重綱と重綱を取り巻く状況を把握していた。そして案の定というべきか、重綱は政宗が阿梅を江戸へ行かせようとする真意を、まったく分かっていなかった。

(私も江戸の屋敷にもっと足を運ばねばな)

 などと、見当違いの心配をしている重綱は、仕事、仕事とずいぶんと妻の綾にも会わないままだ。それで時折、娘の喜佐に嫌みを言われたりする。

(私とて、綾をないがしろにしたいわけではないのだが)

 何しろ主君の政宗の無茶振りときたら。重綱ならばできるだろうと、とんでもない量の仕事を押し付けてくる。黒脛巾組の総括は成実であるが、それでも重綱がさばく案件が多過ぎる気がしてならない。

 それに加え、政宗が計画している治水工事の件までもが重なっていた。とてもではないが、綾に会う為だけに江戸屋敷を訪れる暇はない。

 もちろん政宗はそんなことは承知の上で「阿梅を一人で江戸にやれ」などと言っているのだろう。

(だが殿の言うことも一理ある)

 江戸に行けば見聞も広がり、中央の空気を学ぶことは阿梅の後々を助けることになるだろう。それが分かっているから、重綱も渋々ながらも江戸行きを了承したのだ。

 それに阿梅も十七。子供扱いもだんだんしづらくなってきていた重綱だ。離れるには丁度良い時なのかもしれない、とは思う。

 しかし、自分の傍にいないと考えるだけでも、こんなにも落ち着かない気分にさせられるのだ。

(こんなことでは、喜佐を嫁にやる時がおもいやられるな)

 それだって遠くない出来事だと分かっているが、憂鬱で仕方がない。

 美しく成長した姫君達に、重綱の心は静まることがないのだった。










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