第33話 五年の月日


 阿梅が白石へとたどり着いてから、五年の月日が流れた。

 景綱が死去してから、重綱は小十郎として、また白石城主として奔走することとなる。

 また、この五年で世情は大きく変わった。その一つが家康公の逝去だ。元和二年に徳川家康がこの世を去り、時代の流れは乱世を過去のものにしつつあった。

 すでに幕府より豊臣方についていた武士達の仕官は許されており、生き残った者達は新たなる場所でそれぞれの生き方を始めていた。白石城を訪れた三井みつい覚左衛門かくざえもん景国かげくにもそうした者の一人だったが、彼の場合は用心深く五年という月日を待ってのことだった。

 もちろんそれは、真田信繁の次男である大八の存在を幕府に気取らせないが為である。

 表向きには、白石を治める片倉家へ仕官するという形で白石城を訪れた景国を、真っ先に出迎えたのは阿梅と楓だった。

「覚左衛門!」

「阿梅様! それに楓も」

 五年ぶりの再会に景国は目を見張った。

 あの幼かった阿梅がすっかり年頃の娘となり、また美しさはより一層磨かれ、そして気品さえ感じさせるようになっていたからだ。

「覚左衛門様、お久しゅうございます」

 対して、頭を下げる楓は阿梅とは真逆と言ってよい程に変わっていなかった。彼女も同じだけ年を重ねたはずなのだが、阿梅に付き従う姿は景国の見知った頃のままだ。

「楓は今でも阿梅様に尽くしておるのだな」

「はい」

 しかし楓は特例であり、阿梅に付き従って白石の地へやってきた真田衆の者達は、今や黒脛巾組へと組み込まれていた。

「皆様方、息災であらせられますか」

「はい。大八も立派な男子おのこになりましたよ。覚左衛門や皆が守ってくれたおかげです」

 景国は顔を綻ばせた。自身が耐えた時間が、大八の成長を少しでも助けたとあらば本望だった。

「佐渡様も会いたがっておられましたが、なにぶん今は」

「分かっておる。佐渡は、もはやわしの部下ではない。致し方あるまい。それに―――」

 景国のかつての部下、我妻佐渡が吾妻あがつま与惣左衛門よそざえもんと名を改め、黒脛巾組として働いていることは景国もすでに聞き及んでいた。

 そして景国自身もまた、片倉家へ仕官を願い出る身。

「どうせすぐに顔を会わせることになろう」

「そうですね」

 楓も、もちろん阿梅も、景国が片倉家へ仕官を願い出ることは知っていた。

「覚左衛門ならば、きっと大丈夫です。小十郎様の下で一緒に働きましょう」

 にっこりと笑う阿梅に景国は少々驚いた顔をした。

「一緒に働く、とは?」

「女中だって立派なお仕事でしょう? 小十郎様に仕え働くのは一緒、ということです」

 景国の驚きはそこではなく、阿梅が心底自分は女中なのだと思っていることの方なのだが。そんな彼の胸中など知るよしもない阿梅は「さあさあ」と景国を急かした。

「殿のところへ参りましょう」

 礼儀正しく、いかにも女中らしく阿梅は景国を白石城内へ案内した。その様子に景国は内心で首を捻った。

(小十郎様はいったい阿梅様をどうされるおつもりだ?)

 景国は乱取りの噂を聞いていた。てっきり重綱は阿梅を側室に入れるものと考えていたのだが。阿梅の様子からはそんな雰囲気は微塵も感じられない。

 となれば何故、重綱は阿梅を匿い白石の地まで連れてきたのか。景国には不可解だった。

 だが、その疑問は片倉小十郎重綱という武将に対面して氷解する。

「貴殿の忠義と辛抱強さには、尊敬の念を感じずにはいられませぬ」

 世辞とも思えぬ声でそう言う重綱は、誠実な人物であると景国には見て取れた。

 この小十郎という武将は、真田信繁が見込んだ武将であった。そして、まことその目は確かであったのだと、景国は信繁に、そして目の前の重綱に感服した。

「そのような言葉、かたじけのうございます。我等がどれほど貴方様に救われましたことか。

 我等があるじの頼みを引き受けてくださりましたこと。その望み以上に、多大なる庇護をくださいましたことは、とても言葉では言い尽くせぬ感謝にございます」

 深々と頭を下げる景国に重綱は笑った。

「私を頼ってくださったことは、誉れと思っておりまする。どうか面を上げられよ」

 顔を上げた景国が見たのは、どこまでも清々しい重綱の顔だった。それで得心がいった。

 この御方は、ただただ真田の遺児達を助けんが為に動いたのだ、と。

 阿梅を側室に入れる素振りがないのは、この御方の意志なのだ、と、景国は思い知ったのだ。

 ああ、この御方ならば死力を尽くしてよい。いや、亡き主の見込んだ武将だ。そうせねばならない、と、景国は改めて感じた。

 景国は再び頭を床に擦りつけんばかりに下げた。

「この三井覚左衛門景国、貴方様にこの身を捧げたく思います」

 それに重綱は弱ったような声を出した。

「面を上げてくだされ。こちらこそ、できるものならば三井殿に働いてもらいたいと思っておりました。よくいらしてくれた」

「有り難き幸せにござります」

「いや、ですから、面を」

「滅相もございませぬ。阿梅様や大八様を救っていただいたご恩を考えますれば」

 そこで、はたと、重綱が思い出したように言った。

「ああ、そうだった。早速、三井殿に頼まねばならぬ事があるのですが」

「いかようなことも頼まれましょう」

「阿梅の事です。三井殿がここを訪れた今日、彼女の素性が分かったということにしたい。ご協力を」

「素性というと、真田の姫であるということ、ですかな?」

 景国は顔を上げ重綱を見つめた。

 真意を見定めようとする景国の視線に重綱は力強く言い切った。

「阿梅はもうこの白石城を支える一員。けして悪いようにはいたしませぬ。これは、阿梅が真田殿の娘として白石の女中を勤める為の方便にございます」

「……………成る程」

 重綱の考えが読めた景国は頷いた。

「貴方様が誰だか知らずに雇い入れた、と、そう言い訳が立つように、ということですかな?」

「その通りです。三井殿に教えられ、あの子が真田殿の娘だと私は知ったが、今さら放り出すのは忍びなく結局は雇い続ける、と。そうした茶番を貴方には頼みたい」

 景国は目を細めた。

「そのような茶番が、幕府に通用しますかな?」

「無理矢理にでも通します」

 きっぱり言い切る重綱に景国は、柔和な雰囲気とはまた違った鋭さを感じ、頼もしく思った。

「承知いたしました」

「頼みます」

 あとは黒脛巾組を使い、真田の姫君がそうと知られずに女中をしていた噂を流すだけだ。身分の高い娘が女中に身を落とした苦労話だ、面白可笑しく話せばすぐに広まるだろう。

 幕府に突かれたとして、もう雇ってしまっているのだから等と、のらりくらりとかわせば良い。そもそも家康公が亡くなった今、真田の娘ごときにそう敏感にもならないだろう。

 捕縛され江戸に送られたなほ姫でさえ、三年の大奥勤めを経てすでに許されているということだ。

 であるからして、阿梅達を脅かすものは今のところはない。―――というのが、重綱の主君、政宗の言い分だった。

 それを思い出して、重綱は思い切り渋い顔になる。

「どうされました?」

「あ、いや、三井殿には他にも迷惑をかけそうだな、と」

「は?」

「…………………存分に片倉で働いてください」

「は、はぁ」

 げんなりした様子の重綱の言葉の真意が、この時の景国には分からなかった。だがそれも後に判明する。

 阿梅の噂が流れた直後、重綱は城の奥の間に阿梅を呼び出して切り出した。

「阿梅、江戸に行ってはくれまいか?」

「………大殿ですね?」

「その通りだ」

 呻くように言った重綱に、大方の予想がついてしまった阿梅だった。










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