第19話 薙刀ぶり
閉ざされた門が開き、若干疲れたような顔をした重綱が片倉隊にもどってきた。
それからは何事もなかったかのように入城を許され、阿梅達は二ノ丸にて生活することとなった。
「あの…………私達、本当に、ここにいてよろしいのでしょうか?」
不安げな顔をする阿梅に重綱は「大丈夫だ。父上も承知のこと」と言ったが、少しだけ阿梅を見やって付け足した。
「しかし、そなたは試されるやもしれぬな」
「試される……………小十郎様のお父上にですか?」
「ああ」
阿梅はごくりと喉を鳴らした。この重綱でさえ怒鳴りとばせる御方なのだ。
かつて『智の小十郎』の二つ名で呼ばれたその人に、自分は認めてもらえるだろうか。
(でも、やらねばなりません)
妹、弟達の為。何よりこの白石の地まで守り導いてくれた重綱の為に。
「精一杯、励みます」
不安を一掃して顔を上げる阿梅に重綱はくつくつと笑った。
「そなたは窮地に立たされた時ほど生き生きするな」
阿梅は少し目を伏せ小さく言った。
「ただ必死なだけです」
窮地には立たねばならぬ。己が戦うのだ、その命をかけて、と父に教わったた。阿梅は必死でそれを守って生きているだけだった。
重綱は手を伸ばして阿梅の頭を撫でた。
「その必死な姿が美しいと私は思ったのだ。必死に顔を上げ、困難に立ち向かうことは、誰にでもできることではないからな」
阿梅は顔を赤らめた。
「美しい、ですか」
「ああ。本当に良い目をする。武将にしたいくらいだぞ!」
途端に阿梅の頬から熱が引いた。
「小十郎様、私は
「だから、勿体ないという話だろう」
「そういうことではなくて――――いえ、もういいです」
「ん?」
「頭を撫でるのを止めてくださりませ」
「何を怒っている」
「怒っておりません!」
本当にきょとんとした顔の重綱に、阿梅は涙目になるしかなかった。
重綱とそんな会話をした数日後のこと。阿梅は白石城の本丸に呼び出された。むろん、景綱にお目通りする為だ。
重綱は傍にいない。阿梅ただ一人で景綱の前に出なければならない。
(そうでなくては、試練とはいえないもの)
阿梅は早鐘のように打つ鼓動を感じながら、けれど重綱と初めて対面した時よりは幾分ましだと、それを宥めた。
敵陣にいる重綱に、たった一人で助けを乞うたあの時より。何より、今の阿梅には重綱がいるのだから。
(小十郎様はどうあっても私をお見捨てにはならない)
なればこそ、重綱の父、景綱に認められるよう、必死にならねば。重綱の優しさに、今こそ報いるのだ。
阿梅は促された奧の間にしずしずと入室して座すると、三つ指をつき頭を垂れて待った。
上座には気配がある。病床にあるとはとても思えないくらいの存在感だ。
「そなたが阿梅か」
低い重綱とよく似た声は、しかし重綱のものとは違い冷たく響く。
「はい。真田左衛門佐信繁が娘、阿梅にございます」
「―――――面を上げよ」
顔を上げた阿梅は上座に座る景綱を目にした。
顔立ちはそれほど重綱とは似ていない。しわが刻まれた顔だったが、鋭い眼光に衰えはなかった。
しかしその身体は、協息にもたれかからねばならないほど―それが病の所為であると分かるほど―肥大し、もはや戦に立つことはおろか、日常生活すらも危ういことが一目で見てとれた。
だが景綱は微動だにせずに阿梅をじっと見ると、威厳ある声で聞いた。
「真田殿は槍が見事であったな。そなたは稽古をつけてもらっていたか?」
父、信繁の腕を見事と褒めた景綱だが、彼の腕前もまたそれに劣らぬと阿梅には分かっていた。
「槍も刀も、一通り扱い方は父に教わりました。なかでも、薙刀が私には一番良かったようで、父からは薙刀の稽古をつけてもらっていました」
「ほぅ、薙刀か」
景綱は目を細め阿梅を眺めた。
しばらくそうした後。
「薙刀を、ここへ」
控えの者にそう命じると、阿梅にむかって言った。
「薙刀の型を見せてもらおうか」
「――――――――かしこまりました」
頭を下げてはっきりと阿梅は答えた。
一挙一動が景綱に観察されているのが分かる。この受け答えさえも。だとするのなら、阿梅にできる最上のことをやらねばならない。
ただ必死で。彼の人の目にかなうことがなくても。今できることを尽くさねば、礼儀にもとるというものだ、と、阿梅は考えた。
用意された薙刀を手に取り、阿梅は立ち上がって深呼吸を一つした。
「―――ッ、えぇいッ! やァーーッ!! えぃッ! ハァッ!」
型を正確に素早く、さらに他方からの攻撃を想定した足さばきで、阿梅は薙刀をふってゆく。
父に教えられ鍛えられたものをここで全て見せなくては、との思いが刃に乗り空中を切り裂く。
「やぁぁぁぁぁぁッ!!」
最後の一振りを振り抜いて、阿梅は弾む息を押し殺しながら膝をつき頭を下げた。
「拙いものをお見せしました。申し訳ございません」
滲む汗を拭うこともせず、阿梅はただ景綱の言葉を待った。
「そなたの志、しかと見た。見事であった」
「………有り難きお言葉にございます」
「して、その刃、誰の為にふるわんとする」
阿梅は顔を上げて景綱の鋭い瞳を真っ直ぐに見た。
「私は小十郎様にご恩をお返しすると申し上げました。誰の為と問われましたのなら、私が思い描く御方は一人しかおりません」
「我等が主、伊達の、この奥州の為にはふるわぬと?」
「小十郎様の為にふるう刃は、伊達の為になりましょう」
「では我が倅と殿と、どちらかを切り捨てねばならぬとなったのなら、どちらを選ぶ」
「――――真の敵を討ちましょう」
打てば響くような阿梅の答えに景綱は再び目を細めた。
「…………………そう生き急ぐな。周りは気が気ではなかろうよ」
阿梅は目を丸くした。
「そなたの覚悟はよく分かった。そなたの気質もな。信用にたる者ぞ」
景綱は深く頷いて、厳かに阿梅に言い渡した。
「本日より、そなたをこの城へ女中として雇い入れることとする」
「………あ、有り難き幸せにございます!」
思わず緊張の糸が切れ、阿梅の瞳からほろりと涙がこぼれ出た。たがそれも拭わず阿梅はただ頭を下げる。
汗と涙と吐息で、俯いているのが苦しいほどだったけれど、阿梅はそれすら誇らしかった。
(認めていただけた!)
今すぐにでも、重綱のところへ走ってゆきたくなる。もちろん、それはぐっと堪え、静かに部屋を退出したが。
(信用していただけた。小十郎様の為に働くことができる!)
正体を隠す為の仮の小姓ではなく、本物の女中として!
偽らずに働けることが阿梅には嬉しくまた誇らしかった。それも自ら掴んだと思えば感激はひとしおだ。
今ならば頭を撫でられようと子供扱いされようと、かまわない。阿梅は重綱に会いたくて堪らなかった。
その重綱といえば。奧の控えの間で、父と阿梅のやり取りを全て聞いていたりした。
景綱は、その重綱の前へとやってきて腰を下ろすなり言った。
「良い目をする娘だ。あれは戦う覚悟のある者の目だ」
「はい。女子にしておくには惜しいほどでしょう」
自慢げに言う重綱に景綱はどこか遠くを見るような目をした。
「姉上によく似ておる。いや、わしが勝手に重ねただけか」
「伯母上に、ですか?」
「ああ。――――あの薙刀がな」
景綱の異父姉である喜多を重綱も知っていた。
弟である景綱の為、主君である政宗の為、その生涯を捧げた女性だ。彼女は武芸にも秀で、戦の伝令にすらなったという。
「これも天命か」
景綱はぽつりと呟いた。そして鋭い目を重綱に向けると重々しく言った。
「あの娘を手放すでないぞ」
「は?」
いきなり言われた重綱はぽかんとした。そんな息子を景綱は叱った。
「そのような阿呆面をするでない。あのような覚悟を持てる女子は貴重ぞ。算段は必ず整えよう。側室にでも入れてしまえ」
父のそれに重綱は顔をしかめた。
「側室にするつもりで連れてきたのではありません」
「何を甘い考えを」
苦々しく言う景綱に重綱はきっぱりと首を振った。
「私に側室は要りません。綾をないがしろにするつもりはありませぬ」
その頑なな態度に景綱は嘆息する。だがそれ以上は強く言わなかった。
「まずは、あの娘を無事に取り込むことが先決だ。分かっておろうな」
重綱はそれにはしっかりと頷いた。
「手筈は整っております」
「殿の動きは」
「黒脛巾組の動きと共に把握済みです。計画は滞りなく」
「さすが殿よの」
「ええ。こちらも遅れをとるわけにはまいりません」
景綱も頷くと、今日初めて目にした少女の名を口にする。
「左衛門佐殿の娘、阿梅として片倉に迎え入れるには、ここからが肝心だ。しっかりやれ」
「はい」
真田の遺児達の救出は、本当の意味では、まだ始まったばかりだった。
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