第20話 女中見習い


 本日よりと言い渡された阿梅は、さっそく城内で働くことになった。けれども、だ。

(こ、これは、どういうことなのでしょう?)

 目の前にいる、指導役の人物に阿梅は冷や汗が出て仕方がない。

「これ、聞いておるのですか」

「はいっ! き、聞いております、奥方様っ」

 女中仕事を仕込むのが、まさかの重綱の母、つまり景綱の正室である矢内の方であるとは。

 一難去ってまた一難とはこのことだ。

(むしろ、こちらの方が困難!)

 この御方に立ち振舞いや所作をまじまじ見られるだなんて! 薙刀の型を見せていた方がずっとましというものだ!!

 薙刀の稽古や武士としての心構えばかりを仕込まれてきた阿梅にとって、女子らしい振る舞いなど、とてもじゃないが見せられたものではない。

 少なくとも、阿梅自身はそう思っていた。案の定。

「まるでなっておりませぬ」

 厳しい言葉に阿梅は息をすることも忘れた。

「も、申し訳、」

「謝罪はいりません。他の者達の動きをよく見て覚えるのです」

「はい」

 胸に突き刺さる言葉に耐え、阿梅は女中の所作を何とか真似る。

「大股で歩いてはなりません。ああ、そこはそうではなくて」

 そうして、奥方様付きっきりでの指導は、夕刻まで続いた。

(これが、明日から毎日………)

 夕飯を他の女中達と同じく台所ですませ、二ノ丸へと阿梅が帰る頃には、すっかりへとへとに疲れてきってしまっていた。

 もしかすると、大阪を出てから一番に疲れた日だったかもしれない。それ程までに、女中としての―それも奥方様の指導での―仕事は阿梅には不得手であったのだ。

 それも、教えられているのが女中仕事の範疇を越えているように思われてしょうがない。

 阿梅が思い描いていたのはもっと下働きの、それこそ片倉隊でしていたような煮炊きやら掃除やらだったのに。

 今日みっちりと教えられたのは、挨拶の仕方やお茶の運び方など、実務とは違うものばかりだ。

(けれど、これも女中の仕事なのだわ)

 思い起こせば、太閤殿下がいらっしゃった大阪城でも美しい所作で素早く仕事をこなす女中が大勢いたものだ。

 阿梅の母だって武将の奥方としての振る舞いは優雅であった。

(何が小十郎様の役に立つかなんて分からぬもの。せっかく奥方様がご指導くださるのだから、早く身につけねば)

 ぎゅっと拳を握った、そんな阿梅に。

「初日からずいぶんな張り切りようだな」

 いきなり声をかけられて、阿梅は飛び上がりそうになった。だって、その声は。

「小十郎様っ!」

 ぱっと振り返れば、重綱が満面の笑みを浮かべているので、阿梅は今日あったことが重綱には全て知られていると分かった。

 だがそうと分かっていても言わずにはおれない。

「女中として勤めることになったのですから。いっそう頑張らねばと思っていたところです!」

 意気込んで言う阿梅に重綱は「あまり張り切り過ぎるなよ」と苦笑いした。

 そしてついと手を伸ばした重綱だったが、阿梅の顔を見てぴたりと動きを止めた。

 実に微妙な姿で固まった重綱に阿梅は首を傾げる。

「小十郎様? どうされました?」

「いや、その、だな。母上に厳しく注意されたのだが、どうにもそなたを子供扱いしてしまう癖が抜けん」

「えっ」

 驚く阿梅に重綱は行き場を失った手を自分の頭にやると、ガリガリと頭を掻いた。

「この城で女中として働かせるからには、きちんと女子扱いをするように言われたのだがな、これがまた難しくてだな。

 風太として傍にいたからか、つい気安く扱ってしまう。すまぬな」

 本当にすまなそうに謝る重綱に阿梅は慌てた。

「そんな! 謝ることなど何もございません!! 小十郎様の優しさにはいつも救われてきました。頭を撫でられることも、嫌というわけではないのです」

 一生懸命に阿梅は重綱に言った。

「小十郎様に一人前の女子として扱ってもらえたら、なんて、思ったりすることもありますけれど。でも、やっぱり」

 ちらりと阿梅は重綱を見上げた。

「距離をおかれるのは、寂しい、です」

 じっと重綱の目を見つめて阿梅が訴えれば、重綱は「うっ」と、奇妙な声をもらした。

「小十郎様?」

「――――いや、分かっている。そなたはまだまだ子供であるからな。私が父親代わりだ」

 阿梅はきょとんとした。

「え? 私は小十郎様を父上と重ねたことはありませんが」

「で、では兄だ」

「つまり、その――――家族のように、という解釈でよろしいのでしょうか?」

 おそらく「寂しい」という言葉を気遣って、重綱は言ってくれているのだと阿梅は思った。

「あ、ああっ! そうだ。そなた達はもう私の家族同然だ」

 阿梅はふふっと笑った。

「嬉しゅうございます」

 重綱は少しだけためらったようだったが、手を伸ばすとぐしゃぐしゃと阿梅の頭を撫でた。

「今日はよくやった、阿梅」

「小十郎様! 撫でられることは嫌ではないですが、これは強すぎです。ぼさぼさになってしまいます!」

 口を尖らせながらも、阿梅の目は笑っていた。

「髪など梳かせばよい」

「それはそうですが。ちょっと撫ですぎです!」

 ぐりぐりぐりと撫で倒す重綱とその手から逃れようとする阿梅は、たいへん仲睦まじく見えた。それがまさか、嵐をよぶことになろうとは。

 阿梅にとって大変だった一日は、また違う困難へと繋がってゆくのだった。










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