第16話 白河の関を越え


 はるばる北へ。白河の関を越え、伊達軍はなだらかな盆地を順調に進んでいた。

 片倉隊や真田衆も警戒を緩め、阿梅達も身を潜めることが少なくなってきた。そんな折り。

「小十郎様、ちょっとよろしいですか?」

 政宗の近くに控えながら馬で移動していた重綱のところに、わざわざ勘四郎がやってきた。

「何かあったか?」

 すぐに事態を察して聞いた重綱に、勘四郎は異変を報告する。

「風太の様子がどうにもおかしいのです。右馬之充がやきもきしていますが、らちがあきませんので」

 重綱は政宗に近づき許可を求めた。

「ここを離れてもよろしいでしょうか? 隊に問題が発生したようで」

 政宗は軽く頷いた。

「よい。いってやれ。

 張り切りすぎておるようだからな。そろそろ問題が起きるのではないかと危惧しておったところよ」

 阿梅の様子は政宗も把握しているようだ。重綱も険しい顔をすると、「では」と政宗の傍を離れた。

 馬を勘四郎に任せ、片倉隊の位置まで下がった重綱は阿梅をすぐに見つけた。

 荷車には乗らず、その後ろを歩く阿梅を重綱はじっと観察する。

(右足を僅かに引きずっている)

 そこへ右馬之充がやってきて囁いた。

「顔色が悪いし動きも悪い。なのに、大丈夫の一点張りだ。まったく頑固な姫様だぜ」

「迷惑をかけまいとしているんだろう」

「んなこたぁ分かる。けどよ、酷くなればもっと迷惑がかかる。それに、周りは心配するもんだ」

「…………そうだな。それは分かってもらわねばならん」

「頼むぜ、大将」

「ああ」

 右馬之充に頷くと重綱は阿梅に近づいた。

「風太」

 声をかけられるまで重綱に気づかなかった阿梅は驚いた。

「小十郎様! どうしてこちらに」

 しかし重綱はそんな阿梅を捕まえ、ひょいと抱き上げた。

「えっ!? こ、小十郎様!?」

 慌てる阿梅を無視して、重綱はそのまま彼女を荷車の荷台へと乗せる。

「あ、あの!」

「動くな。お前、怪我をしているだろう」

「え!? ど、どうして………」

 しどろもどろになる阿梅を重綱はじっと見るとため息を吐く。

「右足を見せろ」

「で、でも!!」

草履ぞうりを脱がすぞ」

 焦る阿梅だったが重綱には逆らえない。荷車と一緒に歩きながら、重綱は器用に阿梅の草履を脱がしてしまう。

 そして彼女の素足を見るなり、重綱は顔をしかめた。右足の裏は豆がつぶれ、皮が剥がれて赤くただれていたのだ。

「いつからだ?」

「それは…………その、」

 視線をそらす阿梅に重綱の声は低くなる。

「正直に言え。いつからだ」

「……………………昨日の昼からです」

 阿梅は泣きそうな声で答えた。

 周りにいた真田衆の者が重綱に近寄り短く告げる。

「酒と布をお持ちします」

「ああ。頼む」

 念のため重綱は左足の草履も脱がして確認した。

 左足はそう酷くはないが、豆ができかけているところもある。

(張り切り過ぎたな)

 阿梅の顔を見れば、彼女は泣き出しそうな、心底己を恥じているような顔をしていた。

(さて、なんと言ったらいいやら)

 重綱が思案していると、そこに真田衆の者が酒と布を持ってきた。

(まずは手当てがさきか)

 草履を真田衆の者にわたし、かわりに酒を手にして重綱は阿梅の顔を覗き込んだ。

「しみるが辛抱しろよ」

「………はい」

 消え入りそうな阿梅の返事を聞いてから重綱は傷口に酒をふりかける。

「ッ!」

 痛いのだろう阿梅は顔をしかめたが、足を動かさないあたりがやはり我慢強い。

 酒が乾くのを待って、清潔な布を足に巻いていく。重綱は武人らしく処置が上手かった。移動しながらだというのに、手早く阿梅の手当てをすませてしまった。

「ありがとうございます」

 小さな声で礼を言う阿梅に重綱は真剣な眼差しをむける。

「ひとは誰しも失敗する。とくに子供の時にしくじった記憶がないなどという者は、逆に危ういものだ」

「は、はい」

 神妙な顔に変わった阿梅に重綱は厳しい声で言った。

「重要なことは、失敗したと思った後、どうするかということだ」

 阿梅はじっと重綱の瞳を見つめ返した。

「己の現状を正直に打ち明け、それを受け入れてもらい、助けてもらう。そうしたことができるようにならねばならん」

 阿梅の聡く我慢強いところは長所であることに違いない。だからこそ、理解しなくてはならない。

 重綱は言葉を重ねた。

「そなたの志しや振る舞いは立派だ。それを咎める気は毛頭ない。だが、頼るべき時に頼れないとなれば、それは間違っている」

 重綱は足に豆を作るまで動き回ったことを叱っているのではない。痛む足のことを隠していたことを叱っているのだと、阿梅には分かった。

「すみません」

 重綱は首を振った。

「謝る相手が間違っておろう。そなたを心配していた者は多い」

「……………はい。それぞれに謝罪いたします」

「それでいい」

 言われたことを違えずにちゃんと理解した阿梅の頭を、重綱は大八にしてやったように撫でてやった。

 しかしその重綱の行為は、阿梅を複雑な心地にさせた。

(小十郎様にとって、私も大八も、大差はないのだわ)

 二十も年が離れているのだから当たり前といえば当たり前なのだが。けれど大八と同じ扱いというのは、さすがに阿梅を気落ちさせた。

「どうした? 浮かない顔をして」

「いえ………私は子供だな、と」

「何を今さら」

 笑う重綱に阿梅は素直にむくれた。

「悔しゅうございます」

「そんなことを言っているうちは、まだまだ子供だ。――――だが焦るな。どうせすぐに大人になるのだから」

 重綱は阿梅を諭した。子供でいられる時はそう長くない。それがどれ程、貴重な時間か。

「先ほども言ったが、子供のうちに沢山失敗しておけ。きっとそれが、そなたの力になる」

「……………はい」

 やはり自分は子供なのだと阿梅は痛感した。気持ちばかりでは駄目なのだ。

(私も学ばなくては)

 まずは踵を下ろすこと。そう教えられた気がして、阿梅は重綱を見つめながら言った。

「小十郎様、ありがとうございます。いつかご恩をお返しできるよう、沢山学んでゆきます」

 重綱は苦笑いした。

「だから、そう焦るなというのに。まったく」

 女子おなごの成長ときたら、あっという間に大人になって周りを驚かせるものだ。

「とりあえず、しばらくは歩くな。足が治るまでは荷車の上だぞ。いいな?」

「分かりました」

 素直に聞き入れる阿梅の、着物の裾から覗く素足が白く眩しい。

(本当に、あっという間なのだからなぁ)

 まだ子供扱いできる阿梅に安堵しつつ、重綱は大人になってゆく彼女を思い描くのだった。











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