第14話 江戸の屋敷にて


 箱根も無事に越え、関所を抜ければ、もう江戸はすぐそこだ。

「江戸にはどれくらい滞在するんでしょう?」

 夜営する片倉隊のなかで阿梅は重綱に聞いた。

 徳川のお膝元だ。阿梅が不安に思うのも無理はない。だが滞在するのは伊達の屋敷だ。移動中より確実に安全ではある。

 しかし政宗はそう長く江戸に留まる気はないようだ。

「殿は、二、三日で出立するとおっしゃられていた」

「そうなのですか」

「ああ。すぐにでも仙台にもどると」

 阿梅はちらりと重綱の顔を不安げに見やった。

「私達を逃がすため、ということでしょうか」

「おそらくそれだけではない。あまり気にするな」

「…………はい」

 朗らかに笑う重綱に、阿梅はおずおずと頷いた。

 ほどなくして伊達軍は無事に江戸へと入り、立派な伊達の屋敷で休むことになった。

 重綱は着くなり、政宗に屋敷を離れても良いか相談しにいった。

「綾のところへゆくか。もちろん許す。そもそも、お前の屋敷に行くのにわしに許可をとりにくるな、この馬鹿真面目が」

 苦笑いしながら言う政宗に重綱は頭を下げた。

 片倉家は伊達家同様に江戸に屋敷を持っている。徳川家康は片倉小十郎景綱を高く評価し、豪華な屋敷を与えようとしたほどだ。もっとも、景綱は政宗への忠誠心からそれを固辞したが。

 徳川としては政宗と小十郎を離しておきたいという思惑があるのやもしれないが、何かと特別な待遇のある片倉家ではある。

 しかし江戸の片倉の屋敷には重綱の正妻である綾姫が留め置かれていた。これは人質の意味も、もちろんあったが、身体の弱い綾姫を良い医者に診せるという目的も大きかった。

「しかし土産とはな。お前にしては気が利くではないか。言えば、わしが見繕ってやったものを」

「ご心配なく。阿梅を連れてゆきました」

「ほう。何を買った?」

「蒔絵の櫛を。確か、藤の花が描かれておりました」

「藤か。成る程、お前が選ばなくて正解だ」

「私もそう思っておりますよ」

 にやにや笑う政宗に重綱は大真面目に頷く。阿梅に勧められなければ、重綱はあの櫛を選ぼうとは思わなかっただろう。

 政宗は少しだけ顔をしかめたが、「まぁ、よいか」と重綱に言った。

「綾を大切にしてやれ」

「はい」

 重綱は一礼をして政宗の傍を離れると、そのまま伊達の屋敷を出た。

 阿梅がそのことを知ったのは、その日の晩のことだった。

「ご自分のお屋敷へ帰ったというのに、こんなにすぐおもどりになるなんて」

 目の前にいる重綱に阿梅は無礼と知りつつ、そんなことを口にしてしまう。

 だが阿梅の言葉は片倉隊の皆が思っていることだ。

「今は本隊から離れるわけにはゆかん。戦が終わったといえ、まだ残務処理もある。白石に帰るまで、気を抜くつもりはない」

 生真面目すぎる重綱に家臣達すら呆れたような顔をしていた。

「せめて一晩泊まってくる、というような考えは…………」

「ねぇんだろ。まったく、これだから馬鹿大将は」

 ぼそぼそと囁きあう勘四郎と右馬之充を重綱は睨んだ。

「私が滞在すれば綾は無理をする。綾を思えばこそだ」

 重綱なりの気遣いなのだろう。

「体調を崩されておいでなのですね」

 阿梅が呟けば、重綱は顔を緩めて首を振った。

「今は調子が良いようだ。ああ、そうだ。そなたに礼を言っていたぞ。あれほど品の良い土産は初めてだ、と」

 阿梅は重綱の言葉にぎょっとした。

「わ、私が選んだことを話してしまわれたのですか!?」

 驚愕する阿梅に重綱はけろりと言った。

「綾は一目で私が選んだ品ではないと見抜いたぞ。隠すことでもあるまいに。それに、そなた達のことは綾にも知らせておかねばならんだろう」

 勘四郎は「あーぁ」と天井を仰ぎ、右馬之充は渋面になった。

「罪作りといいますか」

「かなりな朴念仁ぼくねんじんだよな」

 しかし重綱は何故そんな非難をうけるのか分からず眉をひそめた。

「喜んでおったぞ?」

 阿梅は恐る恐る聞いた。

「小十郎様に気を遣われて、喜ぶ素振りをしていたのでは?」

 夫からの土産が、子供とはいえ女子おなごと一緒に選んだ品と分かって、心から喜べる妻がいるだろうか。

 戦々恐々としている阿梅に重綱はごく自然に答えた。

「確かに喜んでいた。綾は私に気を遣うが、嘘は言わぬ。いつかそなたに会いたいと言っていたぞ」

 一同は何ともいえない微妙な顔をした。

 深読みをすれば、間違いなく修羅場の予感がする妻の台詞だが。

「あの奥方様だからこそ、期待するものがあるのかもしれませんね」

 勘四郎は阿梅を見やって呟いた。それに右馬之充も「成る程」と頷いている。

「何のことだ?」

 首を捻る重綱に二人はそれ以上は何も言わず、阿梅の肩を叩いた。

「いずれ貴方は奥方様とお会いすることになりましょう」

「むしろ俺達はそれを期待しているからな!」

 奇妙な圧力がかかる肩に、阿梅はただ頷くしかない。

「は、はぁ」

 片倉家の家臣達が何を期待したのか、また重綱の正妻、綾の本当の望みが何なのか。

 この時の阿梅は知るよしもなかった。









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